紅の章 第三話 舞い上げられたもの
不意に強い風が吹いた。
砂埃を巻き上げていた風が黄ばんだ紙数枚をも巻き上げ、そのうちの二枚が美珠の足元へと飛んできた。
拾い上げた紙を見て美珠は動きを止めた。
「これ。」
それは色も何もついていないただの鉛筆書きだった。
取りに走ってきたのは息子、犀競だった。
「すごい風でしたね。失礼しました。ちゃんと重しをしていなかったもので。」
そして美珠の持っている絵を見てため息をついた。
「それは父に却下されたものです。」
「あなたがお書きに?」
「あ、いえ。あの、」
美珠はそれを見て顔を緩めた。
そのモチーフは真ん中にいる女性を老若男女大勢の民が、囲みそして民の周りに騎士が六人立っていた。
「騎士が六人。」
「ええ、なので否定されてしまいました。何故、廃止された騎士を今更描くのかと、そして真ん中の美珠様が小さいと。」
「否定?」
「ええ、あの様な事件をおこした竜騎士はやっぱり重罪人だそうです。っと、紙が飛んでく!失礼いたしました。」
犀競はまだ風で飛ばされる紙を集めに回った。
(重罪人。騎士が重罪人。)
心の中が苦しかった。
六騎士揃っている姿が自分の中で理想の姿だった。
思い悩んでいる美珠の下へと相馬が走ってきた。
「美珠様、どうしたの?目にごみ入った?」
「え?あの。」
「さあ、そろそろ行こうか?人が多くて、騎士たちも大変そうだ。」
「え?もう帰るの?私、あのモチーフが。」
けれど相馬は後ろでどんどん増え続ける人を見て悲鳴に近い声を上げた。
「わ、すごい人!」
押さえている騎士も人に飲まれつつあった。
「団長!帰ろう!」
人の整理をしていた国明は相馬の声に気がついて手を挙げ部下たちに合図を送る。
すると騎士達は人をかきわけ馬車の通り道を何とか作り出した。
「あのね相馬ちゃん。さっき、」
相馬に話をすれば分かってもらえると、犀競の持っていたものを見てもらおうとしたが、もう先ほどの犀競の姿自体も見えなかった。
「さあ、乗って。早く!」
相馬に馬車に押し込まれるとまるで逃げるようにその場をあとにした。
「さてと、国明さんとどこ行く?」
「え?」
「早く終わったら、一緒に出かけて大丈夫だって言ったでしょ?」
馬車の中で相馬と向かい合いながら美珠は手の届く距離にいる国明に視線を送った。
竜に乗った国明は美珠ではなく騎士と打ち合わせをしていた。
「うんん。やっぱり今日はいい。お父様、書類に目を通さないといけないんでしょ?それ手伝う。」
「どうしたの?」
「ちょっと、疲れちゃった。」
正直、自分に向けられる視線が怖くなった。
「美珠姫」という言葉を聞いて多くの人が好奇の目と尊敬の目で美珠を見ていた。
民から見れば本当に自分は後光のさした人間に見えるのだろうか。こんなただの小娘の自分が、女神のように見えるのだろうか。
(皆、期待してるの?私に。)
だったら、それに答えないといけない。
失望させるわけにはいかなかった。
(早く、お父様みたいにならなきゃ。)
「思いの外、早かったな。」
白亜の宮の共同生活スペースに戻り国明は黒いソファに座った。
美珠との白亜の宮での共同生活は今でもまだ続いていた。
それは婚約者を探すという当初の目的ではなく、国王、教皇、美珠がここで暮らし始めたために、ここで団長も過ごすほうが警備的に楽だと判断したからだ。
そして今でもここで時間に余裕があれば騎士団長が集まり仕事について話し合うようになった。
帰ってきた国明に声をかけたのは先にいた教会騎士団長、聖斗だった。
「ああ、美珠様は陛下を手伝われるというので。仕事が終わった。」
「そうか、勉強熱心なことだ。」
奥にいた暗黒騎士団長、暗守は書類を作成していた手を止めて、顔を上げた。
暗守の書類を見て国明も手に持っていた分厚い紙の束を机の上に置いた。
書類は今回の騎士の採用人員についてだった。
「俺もここでその書類を作ろうと思ってな。」
「そうか。正直これから騎士は忙しくなるからな。今のうち手をつけられるものから。」
「そうだな。今回採用枠が増えたからな。」
聖斗はそんな二人を前に何を言うこともなく自分で淹れたお茶に口をつけた。
すぐに扉が開いて一人の男が入ってきた。
そして心配そうに国明の隣に座って声をかけた。
「やっぱり、ここか。国明、美珠様どうなさった?」
「え?」
「とても険しい顔をされてたぞ?まあ、帰ってきてくださって国王様を見てくださってるのはよいのだが…。何かあったか?喧嘩でもしたか?今日は二人でゆっくりするのではなかったのか?」
「いや、喧嘩などしていないが。」
すると光騎士団長、光東は優しい笑みを浮かべて自分の間違いか、と笑って頭を掻いた。
そして暗守と国明の手元にある紙を見て笑みを浮かべた。
「何だ?書類作ってるのか?どこも今は書類作成期だな。」
「お前は終わったのか?」
国明が恨めしげに光東を見ると、嬉しそうに頷き、そして体を伸ばした。
「ああ、もう終えた。さてと、今日はじっとしていたから体が重い。そうだ、聖斗、手が空いてるなら相手してくれないか?」
「構わん。」
聖斗がお茶を置いて、剣を持つと書類を作っていた二人も顔を見合わせた。
「何だ?お前たち。書類を作るのではないのか?」
「少しぐらいなら構わない!俺たちは騎士だ。書類作りが仕事じゃない。」
「子供だろう。」
呆れたように顔を見合わる聖斗と光東の前で国明と暗守は書類を片付けて嬉しそうにたちあがり部屋を飛び出て行った。