黒の章 第三十二話 触れ合った手
「こんな」
教皇は目の前に広がる光景に首を振って、一歩踏み出した。
そこは生など何も感じない瓦礫の山だった。
生き残った騎士数名と、駆けつけた領主とその私兵数十人が、瓦礫の間から生存者を探していた。
「美珠は! 美珠は! どこに!」
つかまれたのは魔希だった。
騎士の装束ではなく、中にきていた白いシャツと黒いズボンで捜索に当たっていた魔希は突然飛び込んできた相手を見てから、じんわり涙を浮かべ膝を突いた。
「教皇様……申し訳ありません。申し訳ありません!」
土と涙と煤でどろどろになった顔で何度も何度も詫び続ける。
魔希は瀕死の魔央を見ないようにして、美珠を救い出すために魔力を放出していた。
恋人よりも主に忠誠を誓う。
それが騎士としての自分の心構えだったからだ。
けれどこの状況下、精神的な限界はとうに超えていたのだ。
「どこにいらっしゃった! どこを探せばいい! 教えてくれ」
国明は想像よりも酷い状況に、ただ救い出すことだけを考えていた。
いまならまだ助けられるかもしれない。
それだけを信じていた。
けれど魔希は焦点の合わない目で、呆然と瓦礫を見渡していた。
「ここにいらっしゃったんです。ここに。あの時まで、俺たちは戦ったんです。でも、ここにあったのは」
魔希の足元には白い布に置かれた体の一部分が二つ置いてあった。
左腕から指先にかけてと、見たことのある靴をはいた右足。
腕は若い女のもののように思えたし、切断された足が履く白い靴だって姫が部屋履きにしていたものだった。
その箇所を失ったとなると、相当失血しているに違いない。
もう生存など、信じられる状況ではなかった。
国明は無心のうちにゆっくりとその体の欠片に触れた。
土に汚れ、血に汚れ、冷たくなったその掌にかつて恋人として一緒にいたときのように、自分の掌を重ね合わせる。
もう彼女のほうから絡ませてきてくれることはなかった。
そして国明は目をきつく閉じると、その手を優しく置いて、瓦礫を持ち上げた。
「美珠、どうして、美珠」
教皇はその体の前で手をついてただ泣いた。
ただの一人の母親として。
娘を愛するただの母親として。
職務など忘れて叫ぶように泣いた。
そして国王は瓦礫の間にあった、見覚えのある娘の衣服の切れ端を額に当てて佇んでいた。
「生存者を探せ!」
切羽詰った光東の声が響き、騎士達が瓦礫を協力して避けてゆく。
一方、聖斗は魔法騎士の副団長に救護所を作らせて、領主お抱え医師というのに治療されていた魔央を託すと、教皇の下へ急いだ。
そして息を呑んだ。
教皇の前に置かれた人の体の一部。
そしてこの状況で、考えられる人間は一人だった。
どんなにきつい稽古をしても、いつも楽しそうにしていた負けず嫌いな姫。
「教皇様、まさかそれは」
「お願い、あの子を出してあげて」
教皇の目の前で国王は瓦礫を掘っていた。
国明もまた必死に瓦礫を掘り返していた。
聖斗はすぐにそこに入ると、明らかにもう精根尽き果てた魔希に気付いた。
「お前は少し休め、魔央についていろ」
ボロボロの魔希の背中を叩いたが、彼は首を振った。
「お探しします。俺は騎士ですから」
騎士達は列をつくり、石を別の場所へと持って行く。
それが暫く続いたときだった。
「生存者だ!」
声があがった。
皆の視線がそちらへ向けられる。
瓦礫の隙間からでている汚れた指先。
「珠利さん!」
国友はすぐ傍で見つかった女性を抱き上げて救護所へと運んだ。
女性は酷い火傷を負い頭から血を流していた。
「珠利さん! 俺です! 国友です! 分かりますか? 珠利さん!」
国友は全く意識のない珠利に声をかけながら、救護所で魔法騎士に託した。
「お願いします! 珠利さんを! 彼女を助けてください! 俺の体のどこ切ってもいいから、この人を助けてください!」
それだけ叫んで、珠利の手をきつく握った。
こんばんは。
本編、ただならぬ事態の中、今日もアクセスありがとうございます。
そしてこんな状態で、後、1話で『姫君の婿捜し リターンズ』は終了いたします。
今後の紗伊那につきましては、以前「活動報告」にも書かせていただきましたとおり、すぐに連載を開始いたします。
詳細は最終回のあとがきにて、報告をさせていただきますので、もう少しお待ちくださいませ。
では、失礼いたします。