黒の章 第二十五話 歌姫
国の為政者達が訪れたその日、
国立音楽院は立ち見もでる程の超満員だった。
美珠は母の隣に座りただ正面を見据えていた。
後ろに国明や騎士団長を従えて、舞台の中央、灯りの中に浮かび上がった女を。
その女は黒く長い髪をしていた。
けれど飛びきり美しいわけでもない、どこの街にも一人はいそうな程度の美女。
(別にそんなに綺麗でもないじゃない)
そんな第一印象だった。
(華もないし、全く、国明さんとつりあわない)
イジワルで歪んだ気持ちで一杯になってゆく。
(この女、本当に国明さんの子供を産んだのかしら。国明さんの権力に惹かれてよってきただけじゃないの? 今はちやほやされてるけど、後一年たったら、きっと誰にも見向きもされなくなるわ)
自分でも信じられないほどのイジワルな気持ちが泡のように上がってきて、そして頭のなか積もってゆく。
(絶対、うまく誰かに利用されてるだけなんだから)
けれどそれは一瞬で覆された。
歌姫が微笑み、声を出した途端、空気が変わった。
澄んだ高い声だった。
声と共にしなやかな体がかすかに揺れて、更なる美しい声を出してゆく。
優しいピアノの伴奏とともに荘厳な建物に響く彼女の声。
それはまるで教皇の祝詞を聞いているときのような神々しいものだった。
(この人、すごい)
外見に飛び切りの美しさはない。
けれどその声は聞いている誰もを浄化してゆく美しさ。
(かなうわけないじゃない。こんな人に)
美珠の瞳から涙が一つ落ちた。
それは悔し涙ではない。
敗北の涙でもない。
汚い自分の気持ちが洗われてゆくそんな涙だった。
(この人が国明さんを作った人)
彼女が口を開いている間中、耳に優しい心地よい旋律が流れてゆく。
時すら忘れる至高の空間。
美珠は瞳を閉じて、ただ声に聞き入った。
公演が終わったあと、歌姫玲那は王族三人の前に跪いた。
「よい歌でした」
母の声に嬉しそうに胸に手を当てて微笑む。
曇りのない笑顔で。
美珠はただその仕草を目で追った。
特段優雅でも、美しいわけでもない。
けれど声を聞いてしまうと彼女の存在全てが澄んだようなもののような気がした。
美珠は不躾に見すぎたのかもしれない。
切れ長の目と美珠の丸い目が合った。
すると女は微笑んで美珠にもまた、軽く会釈をした。
国の為政者達の前にいても全く物怖じをしない女性。
本当はこの女の存在は無視するつもりだった。
何があってもつんつんした陰険な馬鹿姫を演じるつもりだった。
けれど、
「貴方の歌で、嫌な気持ちが流れて行きました」
「ありがとうございます」
「一生消えないと思った嫌な気持ちだったのに」
(見事にこの人に、張本人に消されてしまった)
「お幸せに」
軽く会釈をして微笑んだ女性に、美珠もまた少し笑みを向けて立ち上がった。
振り向くと相馬と目が合った。
珠利とも目が合った。
二人はそんな美珠に良くやったという風なねぎらいの目を向けてくれていた。
美珠は少し笑うと、歩き出した。
とうとう出てきました。
国明を奪った憎い女、玲那
でも、美珠はその女に憎しみを抱けず・・・