黒の章 第十七話 自分を捨てて選んだ女
国明から妻となる女のその名が出た途端、美珠からまた涙が落ちた。
初めて国明の相手の名を聞いた。
自分を捨てて、選んだ女。
その憎い相手の名前を。
それは今評判の歌姫。
今までおぼろげにしか分らなかった女性が急速に目の前に浮かんでくる。
様々な国の人を熱狂させ、名をほしいままにする女性。
それが国明の相手なのだ。
(嘘じゃないんだ、これ、本当なんだ)
悲鳴のような声を漏らしてしまった途端、国明が吹っ飛んだ。
置いてあったサイドテーブルにぶつかり激しい物音をたてて転がる国明を美珠は見ることができなかった。
頭を抱えてただ小さくなっていた。
「お前は自分が何を言っているのか分かっているのか!」
怒鳴りつけたのは暗守だった。
国明は暗守に殴られ切れた口を拭おうともせず、ただそのまま視線を落としていた。
一方、国王は不快そうに立ち上がり、萎縮してしまっている娘の手を引いて部屋を出て行った。
「あ、待って、美珠様」
焦ったような珠利と酷く辛そうな光東もその後を追う。
事務官はざっと書類に目を通して、遜頌と目で会話してから声を発した。
「今日の公務は全てキャンセルできるものですので、王の公務は全てキャンセルといたしましょう」
「教皇様の公務につきましては一件だけ外せないものがございますが、そのほかはキャンセルということで、美珠様についていて差し上げて下さい」
「ありがとう、遜頌。国明、私が貴方に命令をする権利はありませんが、王も同じ意見をお持ちでしょう。貴方には自宅謹慎を命じます。王が許されるまで王城、白亜の宮へも登城を禁じます。貴方の職務は副団長に」
「……仰せのままに。では失礼いたします」
国明が出てゆくと、荒い息をしている暗守の肩を魔央が叩く。
「落ち着け、一番辛いのは美珠様だ」
「分っている、分っているが。あいつは!」
その隣で教皇は静かに問いかけた。
「美珠と貴方は先に聞いてたのですね。だからそんな風に」
教皇は相馬に手を伸ばして、手を包み込んだ。
相馬はその教皇の手の暖かさと柔らかさに固く目を閉じた。
目から水分が落ちないように。
執事である自分が主を救わなくて誰が救えるのだと何度も、何度も自分に言い聞かせて必死に感情を殺そうとした。
けれど教皇の手の温もりには嘘はつけなかった。
「すいません、俺、別のことに気を持っていかれてて、全然気づけなかった。分ってたら、もっと美珠様に優しく伝えられたのに」
「それは貴方の病むことではないわ。……貴方も美珠の為に泣いてくれてありがとう。あの子に一緒に泣いてくれる相手がいること私はとてもありがたく思うの」
「教皇様」
相馬の瞳にじんわり涙が浮かぶ。
「ありがとう相馬」
相馬もまた結局教皇の前でひたすら泣いた。
*
王は美珠を部屋まで連れてくると何度も何度も背を撫でみる。
細い、小さな背中が小刻みに震えていた。
娘はつきつけられたどうしようもない現実に打ちひしがれ、床の上で突っ伏して泣いてしまっていた。
「私、あいつ叩き斬ってくる!」
「よせ!」
光東が感情を抑えられなくなった珠利を止める。
「そんなことをしたら君も処罰される」
「でも! こんなの許せない! こんなの! 珠以に限って、珠以がこんなことするなんて」
いきまく珠利の裾を美珠は掴んで首を振った。
「国明さんだって。知らなかったんだもの。仕方ないわ。もうどうしようもないのよ」
(私が珠以を忘れている間にできた珠以の子供。大切な珠以を忘れた自分のせいなのだ。きっと、そう、そう割り切らなくちゃ)
「お父様、泣いたりしてごめんなさい。私、驚きすぎて。しばらく一人でいたいの」
それでも父は美珠の傍から離れない。
このまま去ってしまえば娘が消えてなくなりそうな気がしてならなかった。
けれど、娘は父親を必要とはしてはいなかった。
「ね、一人になりたいの。珠利も、お願い」
「いい子すぎるよ、美珠様は」
美珠は全員を部屋から追い出すとそこに座り込んだ。
一人になると、先ほどの国明のことを思い出した。
「レイナ」
それが妻の名前なのだという。
彼は自分の名前を呼ぶときのような優しい声音でその女の名前を呼ぶのだろうか。
そして手を握り、撫でるのだろうか。
口付けるのだろうか。
考えただけで頭が破裂しそうになった。
嫌な気持ちで一杯になっていった。
(そんなに簡単に割り切れるわけないじゃない! 珠以の馬鹿馬鹿! そうして子供なんか作ったのよ! どうして隠してたの! 一番に話してくれてもいいんじゃないの? 愛してるって言ってたくせに!)
「馬鹿珠以」
一番近くにいた人だった。
温かい、大好きな人だった。
何度も背中に守られた。
「うそつき!」
手当たりしだい小物を投げつける。
どんなに高級なものであっても手当たりしだい投げつけた。
けれどすっきりしなかった。
兎に角、また声を上げてなくことにした。
*
「自宅謹慎ですか。一体、なにしたんです」
国廣は少し驚いたように国明を見ていた。
国明は鎧を手早く脱ぐと息を吐いた。
「すまない。では後のこと頼んだぞ。朝の申し送りも忘れないで欲しい」
「ええ、それは。しかし私に説明をして下さってもよいのでは?」
「個人的なことだから」
「……分りました。何かあればご自宅の方へと伺います」
「ああ、頼む」
国明が出てゆくと国廣は頭に手を当てて考えていたが、兎に角騎士団を回してゆくために隊長達を集めた。
こんばんは~☆
アクセスしてくださった方、
そして新たにお気に入り登録してくださった方、
本当にありがとうございます。
とうとう、皆にばれちゃいました。
国明と美珠、破局です。
婿、消滅。
さあ、どうする姫様!