黒の章 第十一話 二人が見たもの
高級ホテルの最上階のレストランに初音と光東の姿はあった。
公演終了後、二人はおそがけの夕食を取ることにしたためだ。
「はあ、まだ興奮してる。世界の歌姫って、名前だけはあるわね。聞いた途端鳥肌立っちゃった」
「ああ、見事な歌だった」
初音はコースの最後に出てきた美しく飾られたオレンジと自家製ケーキのデザートを口に運びながら満足そうに頷いた。
「やっぱり、徹夜で並んだ甲斐があったわ」
「え? 並んだのか?」
「あ、……うん」
初音は貰ったことにしていたのを思い出してチラリと兄を上目遣いで観察する。
兄は少し嬉しそうに微笑んだ。
「だったら、そう言ってくれたら、どうやったって都合つけるのに」
「邪魔な女にはなりたくないもの」
「初音のことだったら、なんでもしたいんだ。でも、どうして王がそのことを?」
「行く相手がいないから相馬君にチケットをあげたの。そしたら一緒に行こうって。きっと、美珠様に話をつけて王に進言してくれたんだわ」
「そうか。礼をしないとな」
「ええ、絶対よ。美珠様にもよくお礼を言って頂戴!」
初音も頷いて兄を眺める。
目が合うと光東は優しい笑みを浮かべた。
「何か初音とこんなにゆっくりしてるの、何日ぶりだろう」
「そうね、予定があわないから」
「でも、初音も仕事をやめようとはおもわないんだろう?」
「ええ、今、仕事が楽しいの。素敵なものを素敵な方に売るの」
「そうか」
光東は酒を煽ると、初音を眺めた。
仕事の話をしている初音がとても可愛く見えていた。
「ああ、帰したく無くなってきた」
「え? お兄様?」
顔を赤らめる初音。
初音だって意識していないと言えば嘘になる。
さっき下着だって可愛いものに変えてきたし。
けれど心の準備はできていなかった。
「酔ってるの?」
「早く一緒に暮らしたい」
「え?」
「ずっと、初音、閉じ込めてたい」
「お兄様?」
「駄目だ! 帰ろう! 俺、どんどん我侭になってる! 送るよ」
「あ、何? お兄様」
急に席を立った兄を追いかけ、初音も席を立つ。
廊下を歩きながら追いついた兄の手を取ると光東もしっかり握り返してくれた。
「お兄様、大好き」
「ああ、初音、愛してる」
お互い幸せでならなかった。
そしてこんな時間をくれた姫にも王にも仲間達にも感謝してもしつくせなかった。
そんな時二人の前を男が横切った。
身なりのいい子供を抱えた男。
良く知った顔だった。
初音と光東は立ち止まり思わず顔を見合わせ、どちらということもなく後ろを追った。
「ねえ、お父さん、お母さんまだ帰ってこないの?」
「今日は遅くなるって言ってたろ?」
子供はその男のことを「お父さん」と呼んだ。
それは光東、初音ふたりの耳にもはっきり入った。
知らぬふりはできなかった。
彼を愛する少女のために。
自分達に幸せをくれた少女のために。
声をかけようとした光東の耳に子供の声が入った。
「あ、お母さん」
その可愛らしい声に沢山の人間に囲まれた女が駆け寄ってきた。
「里、いい子にしてた? 明君に迷惑かけなかった?」
「いい子にしてたよな? 里」
明と呼ばれた男が子供を揺すると、子供も自慢げに胸を叩いた。、
「うん、いい子にしてたよ。お母さんは? 上手にできた?」
「上手にできたわよ。さあ、お部屋に戻りましょう」
良く知った男に微笑みかけて子供を受け取った女を、今日、光東と初音は見た。
むしろ、今日はその女を見に行った。
その女の声を聞きに言った。
世界の歌姫を。
光東は黙っていなかった。
ここでは引き下がれなかった。
奥歯をかみ締め、男へと寄ってゆく。
世界の歌姫の護衛が不審者かと構えたが、そんな男達を体術で吹っ飛ばしてして、明と呼ばれた男へと。
同僚へと。
襟を掴んで力いっぱい壁に押し付ける。
「国明!」
向こうは別に驚いた風でもなく、ただ視線を反らし、光東の腕を押し返した。
「説明しろ! どういうことだ! この子供は! この女は!」
「お前に関係ない」
「国明!」
すると光東の怒鳴り声を聞いて、子供が泣き出した。
女がすぐにあやして、困ったように国明のそばに立つ。
「明君、この人は? 警吏を呼びましょうか?」
「同僚だ、いい、離れてろ。何も言うな」
その言葉が光東に更なる怒りをもたらした。
説明が必要なのだ。
何故、国明に息子がいるのか。
この女はなんなのか。
お前の愛してる人は、美珠姫ではなかったのかと。
「お父さん! 怖いよお!」
尚も子供が悲鳴をあげながら泣き叫ぶ。
すると光東の手を初音が掴んだ。
「お兄様、人目があります」
「しかし!」
「国明様は逃げません。もし逃げられるようであれば私が美珠様にお話します。いいですね、国明様。美珠様とちゃんとお話をなさってください。行きましょう、お兄様」
初音の言葉に光東はゆっくり、手を放して堪えられずそのまま壁を殴った。
壁がめり込み、光東の拳が割れる。
「お父さん、大丈夫?」
背を向けた途端きこえた子供の言葉に初音も光東も耳を塞ぎたくなった。
「行こう」
国明の声の後、人々が二人の隣を通っていった。
突然、襲いかかってきた不審者を責めるような目つきで。
「帰ろう。俺達も」
「ええ。美珠様、きっと傷つかれるわね」
「ああ、でも黙っておくこともできまい」
こんばんは^^
今日もアクセスありがとうございます。
ちょっと進展しそうだった光東、初音が見てしまったもの。
まさか、まさかの修羅場です。
この先どうなるのか、
ではまた次回!