緑の章 最終話
主のいない館で、その家族と束の間過ごしたあと、部屋へと戻ろうとした聖斗を止めたのは珠利だった。
何度も聖斗の背中と地面とを見比べた後、珠利にしては珍しく緊張した声で声をかけた。
「あのさあ!」
ほんの少し上ずった珠利の声に聖斗は足を止め振り返る。
いつものように冷静な聖斗と、どこか落ち着かない珠利がいた。
珠利は引き止めたものの、唇を噛んで色々思案しているようだった。
聖斗はそんな珠利をあえて急かしたりすることなく、珠利が頑張って自分の考えと言葉を出すのを待っているようだった。
ほどなくして、まず珠利はあたりさわりのない質問を聖斗にぶつけてみた。
ずっと考えていた小さな小さな質問。
「あの熊ってどこにでも売ってるのかな」
黙ったままでいる聖斗に珠利は続ける。
その小さな質問の後ろにある自分の人生をも変える出逢い、もしくは再会を期待して。
珠利は軍人というよりも、ただ年相応の女性の顔で、聖斗の顔を窺い、
何かその表情から読み取ろうとしていた。
どこか共通点を探そうとしていた。
「私、気がついたときにはもう施設にいたから、あんたみたいに親の記憶も村の記憶もないんだけど」
「それで?」
「記憶もほとんどないけど……でも、お兄たちがあの熊であやしてくれたのは覚えてる。それだけはすごく覚えてるんだ。ねえ、それってどこでも売ってるの?」
「さあな。俺もこの記憶しかない。兄達がこれで遊んでくれたのだと思う。うちの家でも、この汚い熊は『熊吉』だった」
「まさか! 本当に? じゃあ、もしかして」
自分の思考の中でずっと、思っていたことが現実に起ころうとして、弾んだ声を上げる珠利に聖斗はどこまでも無表情のまま、熊を珠利へと手渡した。
自分の思い出の熊を、その熊が思い出だと証言する年下の女性の掌の上に。
そして渡す対価として、自分の想いも曝け出そうと決めた。
「お前は俺の妹かもしれない」
「妹って! 本当? ねえ、妹がいたって記憶はあるの?」
「さあな、全くない。俺の記憶の中では俺は末の子供だった」
「そっか、じゃあ、わかんないね。偶然が重なっただけだもんね」
やはりどこにも断定できる証拠が見つからず、しょんぼりした珠利に聖斗は背を向けた。
自分の中でもいいきかせようとしたのかもしれない。
けれど珠利は諦められず、その聖斗の背中にもう一度だけ声をかけた。
「あのさあ! 勝手に心の中でお兄ちゃんだと思っててもいいかな。あんたは思ってくれなくていいから」
すると聖斗は振り返りもせず、ただ足だけを止めて、俯いた。
「もし、私がお兄に会えて、本当のことが分ったら、ものすごくバツが悪くなるかもしれないけど」
聖斗は静かに踵を返すと困ったように頭を掻く珠利を黒い瞳でただ捕らえた。
「きっと、俺達が兄と妹である確率はかなり低い」
「それでも、もし、そうだったらすごく嬉しいじゃない」
茶色の珠利の瞳と目が合った途端、聖斗の瞳が少しだけ緩んだ。
「そうだな、どこかで、そんな想いを持ってウズウズしているのも悪くないな」
物陰から、そんな二人のやり取りをのぞいていた美珠と相馬は笑みで会話をしてから、誰にも口外しないことに決めた。
二人の心の中を、気持ちを大切にしたかった。
珠利と聖斗はそれ以上何を言うこともなく、ただ一度だけ微笑み合うと、お互い背を向けてまたいつものように騎士団長と姫の護衛として自室へと戻っていった。
緑の章 終りました。
ここまで、お付き合いいただきまして本当にありがとうございます。
なんか、いつもみたいにガッツリ続いた章ではないのですが、
書いてみたかったんです。
確定しない、でも、そう思いたいみたいな話を・・・
感想いただけると、とても嬉しいです。
さて、次の章は「黒の章」
先日もちらりと言ったのですが、
とてもどす黒い章となる予定です。
ではでは、
次章でお会いできたら幸いです。