緑の章 第九話 旅立ちの朝
次の朝、王都は霧に包まれていた。
ベールを降ろしたような不鮮明な空間の中、美珠はシンプルな茶色の外套を羽織って王城の裏門に立っていた。
背中の麻袋には最低限の荷物。
腰には適当に選んだ剣。
瞳には隠し切れない期待。
そんな美珠の手を誰かの手がしっかりと握る。
父の大きな手だった。
「大丈夫よ。だって珠利も聖斗さんもいてくださるんだもの」
美珠の前に立つ聖斗の姿は法衣を模した白い鎧を脱ぎ、グレーの厚手の外套。
そこからのぞく清潔な丸首のシャツ、汚れのない黒いブーツ、そして剣一本。
珠利も美珠とおそろいの茶色の外套におそろいのブーツ、そして聖斗よりも細い剣一本。
そして剣を持たない乳兄弟相馬は凝ったつくりの黒い外套に、尋常ではない大きな荷物と、きっとどこかの国に立ち寄った際に気に入って買ったのであろうエキゾチックなブーツ。
そんな四人を裏門まで父と光東、国明が見送りにきてくれていた。
美珠は国明と光東と目を合わせると、口を持ち上げた。
「じゃあ、行ってきます」
「ええ、ご無理なさらないで。くれぐれも無茶はしないで下さい。聖斗の言うことをちゃんと聞いて下さいね」
「親ですか? 国明さん」
「国王様に代わって申し上げてるんです」
お互いどんどん表情が険悪なものへと変わってゆく。
どうしてこいつはいつもこうなのかと。
そんな二人の間に白い甲冑が割り込んだ。
「まあまあ、国明。美珠様、行ってらっしゃい。気をつけて」
「はい。ではいってきます」
明るい美珠の声と共に、一行はそのまま振り返ることもなく、靄の中へと消えていった。
王都の南の街道は穏やかで、鮮やかな緑の草原の中に作られた一本の道だった。
美珠は自分の腰ほどの高さの浅葱色の草に触れながら、後ろ向けに歩き、徐々に小さくなってゆく王都へと視線を送っていた。
何よりも立派な王城も、王都から立ち上る煙も、一歩ごとにどんどん小さくなってゆく。
もう喧騒だって聞こえない。
「ちょっと、そんな歩き方してたらこけるよ」
珠利が笑いながら声をかけると美珠は素直に前を向いた。
(すごく綺麗な道)
緑に溢れた道。
その緑の街道は行商人や、王都へ来る一般人が途切れることはない。
そして多くの荷物が王都へと吸い込まれ、空になった荷馬車が王都から吐き出されてゆく。
王都で比較的ゆっくりした時間を過ごしている美珠にとってはそれほどの荷物が行きかうのを見ることが非日常的な光景だった。
張り切るあまり、少し足早になる美珠を追って相馬がピタリとつく。
どこにいてもすぐに対処できるように。
そんな二人を守れるように珠利は視界に入れながら、隣を歩く聖斗に声をかけた。
「全く、本当に子供だね、美珠様」
「あれが、年相応なのだろうが」
「だね」
珠利は聖斗に笑いかけたが、聖斗が表情を崩すことは無い。
けれど珠利は気を害することもなく、そんな聖斗の鞄かチラリチラリと見えていた熊のぬいぐるみに目を留め、少し思案した後、問いかけてみた。
「あのさあ、その熊って」
「ああ、形見だから持って来た」
「それってさあ、やっぱり言ってたように、どこにでも売ってる物なのかな」
「さあな、そういえばお前これを見て熊吉って呼んでたな」
珠利は思いつめた瞳で聖斗を見上げた。
聖斗もまた冷静な瞳で珠利を見ていた。
「だから?」
けれど聖斗は何も言わず目を前に向け、歩く速度を早めただけだった。
夕暮れ、街道沿いの宿の前で聖斗は樽の上に腰掛けて東の空に視線を向けていた。
「今日の食事は何にしましょうか」
隣に立った美珠に聖斗は少し目を向ける。
「何でも構いませんよ」
「……母は今頃どこにいるでしょうか」
「さあ、どこでしょうか。これほどあの方の傍から離れたのは初めてですから」
聖斗は教皇その人を求めるように再び東の空へと視線を向けた。
美珠も同じ方へと顔を向ける。
「昨日ね、珠利達と話をしていて思ったんです。もし、私がお母様のもとで育てられていたら、私は国明さんではなく聖斗さんと幼馴染だったんだなって」
すると聖斗は微かに頬を緩めた。
「そうですね。それはありえるかもしれません。私も幼い頃何度か、教皇様の所へいらっしゃる美珠様を拝見いたしましたし。教皇様からもいずれは美珠様を守るようにと言い付かっておりましたから」
「そうしたら、母も寂しくなくて」
「俺とあんなことにはならなかった、とおっしゃりたいんですか?」
美珠が肯定も否定もせずただ挑戦的な目を向けると聖斗は静かに美珠を見返して空を見上げた。
暫くお互い言葉はなかった。
けれど、やがて聖斗は言葉をつむいだ。
「熊吉」
「え? 熊吉?」
聖斗はまだ東へと目を向けていた。
決して美珠に瞳を向けることはない。
(な、何のことです? どこかで聞いたことのある名前)
隣でドギマギしている美珠に静かに呼吸するように言葉を吐き出した。
「あの熊のぬいぐるみの名前です。俺の家での」
「そう言えば……クマキチって珠利も言ってた」
「ええ、そうですね。彼女もあの熊を熊吉と呼んでいた。俺が供えていたあの熊吉の前で」
「え、それは……あの熊は聖斗さんにとっても珠利にとっても熊吉っていうことで、お二人とも孤児なんですよね。そんな家族の思い出が熊吉? まさか!」
「そのまさかを考えて、絶対誘ったらついてくる貴方をだしに彼女と同行することにしたんです」
「まさか……あなたが珠利と兄妹とかそういうこと?」
こんばんは!
いつもありがとうございます。
今週は、ちゃんと毎日更新できず、申し訳ございませんでした。T0T
さて、姫様、今回は合法的(笑)に外出です。
それもよりにもよって色々な意味で、一番難しい聖斗さんと…
そして珠利と聖斗の関係は!