紅の章 第百〇一話 教皇と国王妃
「まあ! このお茶、懐かしい。母が好きだったブレンドだわ。教皇様! ここまでお心配りいただけるなんて。はあ、またこの国でこのお茶をいただけるなんて」
祥子は侍女の入れたお茶を香りを楽しんでから幸せそうに一口飲み込んだ。
「この国の方々はとても優しい。正直、兄の姿を見たときには驚きましたが、それ以上に兄も支えられているようですようで」
「ええ、今は国が一つとなっています。建国以来、また一つになろうとしているのです」
「確かに。私がこの国にいた頃はこれほど穏やかな国だと思ったことはありません。国が二つに分かれていたのですから」
「ええ」
教皇もお茶を飲んだ。
母親同士の穏やかな時間が流れたのもつかの間、
祥子が教皇のほうへと乗り出した。
「教皇様、美珠様にはもういいお相手があらしゃるのかえ?」
「どういうことです?」
「婚約などなさっているのかということです」
「婚約はしてませんが、相手はおりますよ」
「それはどのようなお相手か?」
どんどん乗り出してくる祥子に教皇が閉口すると、聖斗が咳払いをした。
すると祥子は聖斗を見てから更に好奇の目を教皇へと向けた。
「あら、あら、まだ内密なのかしら?」
「ええ、そうですね、公式には発表されてません。ただ私は娘の恋が叶うように応援をしています」
「まあ、お相手を決められたのはご本人だというの? その方の家柄は? 真っ当な家の出なのですか?」
教皇はこの世話好きな女性が厄介になりつつあった。
美珠の相手はこの国でも屈指の名門。
そして父も申し分のない地位にいて、本人も伝統ある国王騎士団の団長。
きっと、彼女も納得するだろう。
ただ、もしそれが聖斗だったらどうなったのだろう。
彼は教会が保護した、貧しい農村の出の孤児。
親の名前も、他に家族が生きてるのかも分らない。
けれどそれでも今この国で一番強いのは聖斗だと言ってよかった。
そしてこの国一の教会騎士の団長。
それだけ本人が頑張ってきても家柄が悪いと判断して反対するのかもしれない。
娘の結婚に、今まで会ったことのない親戚がとやかく言ってくるのはあまり好むことではなかった。
「家柄がどうこうというよりも私としては本人の功績を認めてあげたい」
「ですがね、それが一農民だったらどうするのです? 小麦作りがうまくても国は治められません。ただの街娘の結婚とは違うのです」
「国を動かすのは一人だけではありません。多くの力が要るのです。例え、あの子が農民を選ぼうと、あの子を助けてくれるものは多くいる。そうすれば国は成り立ちます」
「農民など貴族が相手にすると? 教皇様、あなたが平等を説かれる気持ちは分りますが、考えてみてください」
「なら、相手はどういった方がいいと?」
祥子はその一言を待っていたようだった。
「相手は誰もが納得のいく相手でありませんと。私に心当たりがあるのです」
「心当たり?」
「いいえ、でもこれはただ、思っているだけですから。兄にも相談しませんと」
教皇もこの厄介な話から切り抜けたかった。
すると教皇の腹心の部下ともいうべき遜頌が割って入った。
「祥子様、教会の内部をご案内させていただこうと思うのですが。国宝の眠る蔵などご紹介させていただきますよ」
「国宝! なんと甘美な響きだこと」
嬉しそうに立ち上がった祥子は遜頌につれられ消えていった。
部屋で息を吐いた教皇に聖斗がお茶を出した。
それは教皇が一番好きなお茶だった。
「疲れます」
「美珠様の相手は国明なのです。祥子様に遠慮する相手ではないのでは?」
「考え方が気に入らなかったのです」
「成る程」
そして聖斗は口元を緩めた。
「もしかして教皇様は私のことを考えて怒って下さったのではありませんか? 他の団長達は皆出自のしっかりした者達。でも、俺は」
「聖斗は私が育てたのです。文句など言わせません」
すると聖斗は本当に嬉しそうな笑顔を作った。
表情の少ない男が、人目も気にせず顔を崩すのはやはり彼女だけだった。