第二話:ヨルガルド・エセルタイン
その直後、中心から一人の男が倒れ込んできた。
その男はアトラにぶつかると、ゆっくりと体を起こした。
「……ッ。くそッ、一体何なんだ⁉ それに……ここは……」
男が周囲を見渡しているその横で、アトラも同様に体を起こす。短刀を構え、恐る恐るその男に話しかける。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「ん……? お前は……?」
よかった。言葉が通じる。
アトラは短刀を収め、ゆっくりと男に近づく。
「アトラと言います。びっくりしましたよ。急にどこからともなくぶつかってくるんですから」
そうか、と男は呟くと、バッとアトラの顔を二度見する。
「その顔……それに確かアトラと言ったな……」
男はゆらりと立ち上がった。その時、傍らに転がっていた二つの鎧に気がついた。鎧の胸元にはキラリと紋章が煌めいていた。
男はその鎧の元まで駆け寄ると、紋章を見つめる。
確認が終わったのか、すぐにアトラの方を向き直ると、その口を開いた。
「なあ、アトラ…だよな? お前…どうした、その服装? それに…雰囲気も少しおかしくないか?」
開口一番で放たれた言葉に、アトラは困惑する。
……えっ⁉ 誰、この人? ワタシの事知ってるみたいだけど……。雰囲気とか服装とか、いろいろ言っているけど、ワタシっていつもこんな感じだし……。……人違い…よね?
「あ、あの……。人違い…じゃないですか…? 先程名乗った通り、ワタシはアトラ・ジャックルーツと言います。ですが、ワタシは生まれてこの方ずっとこんな感じですし、その…申し訳ないですが、あなたとお会いした覚えがないです。申し訳ありません」
至極丁寧に、申し訳なさを十全に感じ取れるアトラの表情を見てその男は、バカな…、とでも言いたそうな顔でアトラの方を直視していた。
暫くの沈黙の後、その男は徐に口を開く。
「……失礼。私は、オルトレイブン王国王立軍軍団長、ヨルガルド・エセルタイン。差し支えなければ、あちらの鎧の事に関して話を聞きたいが、よろしいか?」
ヨルガルドと名乗った男が指さした先にあるのは、先程アトラが斃した二人の兵士の鎧だった。
あー……。どうしよう……。嘘をつく…いや、ダメよね。ちゃんと正直に話さないと。……ん? オルトレイブン王国? なんであの国の兵士がこの国にいるのかしら?
アトラが暮らすゼレブレイド王国と彼が所属として名乗ったオルトレイブン王国は、その国境を接する。隣国として、比較的友好的な関係を気付いているとされている。しかし、例え友好国とはいえ、協定を結んでいない限り、自国以外の領土に入国するには、それ相応の準備がいる。ましてや、軍隊なら猶更だ。しかし、オルトレイブンの兵士がゼレブレイド領に来訪するという知らせを、アトラは耳にしていない。
つまり、今目の前にいるヨルガルドという軍団長は、不法侵入或いは、超極秘の案件で入国したという事になる。後者の場合、そんな重要人物がこんな山奥で道草を食っているわけがない。さらに言えば、単独で、しかも武器を携帯しての越境が、そう簡単に許可されるとは思えない。
アトラは、ヨルガルドに尋ねる。
「話すのはいいんですけど、その前に一つ確認したいことがあるんですけどいいですか?」
相手に物事を訪ねる時は冷静に、要点を抑えた簡潔な質問が鉄則だ。対話に於いて、感情は強みであり弱みでもある。こちらの意図を明確にしやすい反面、付け込まれたら意のままに操られる、いわば諸刃の剣。あくまでも冷静に、感情の乱れは信用の乱れだ。
「オルトレイブンの兵士であるヨルガルドさんが、ここゼレブレイド王国にいても大丈夫なんですか?」
「ゼレブレイド王国だと⁉ それは本当か?」
わざわざ嘘を教える訳ないじゃない、と言いたい気持ちをグッと堪え、アトラは説明する。
ここはゼレブレイド王国であり、その中でもルーメンスの森と国内では呼ばれている場所だ、と聞かされたヨルガルドは、また無言になり考え込む。
やがて考えが纏まったのか、その口を開いた。
「お陰で、ある程度わかってき……ん?」
ヨルガルドが言葉を止め、横の方に目をやる。アトラもそれにつられてその方向に視線を動かす。
そこにいたのは二〇人ほどの、これまた先ほどと同様に、剣を携え、鎧を纏った兵士達だった。彼らは皆一様に、ヨルガルドと同じ鎧を纏っており、だれが見ても同じ所属の人間だと理解することが出来た。
彼らは、頭の先から足の先まで、お見事としか言いようがない程の奇麗な敬礼を見せ、ヨルガルドと対面した。
「ああ、お前たち、無事だったか!」
ヨルガルドは彼らの元へ歩み寄る。
しかし、再開を喜ぶヨルガルドは、自らに振るわれる凶刃への対応が疎かになっていた。
彼らの中で最も先頭にいた男が抜刀し、ヨルガルド目掛けて振り下ろされた。
「危ない‼」
剣がヨルガルドを両断する直前、間一髪のところでアトラが魔法でヨルガルドを吹き飛ばすことにより、辛うじて最悪の事態を免れる。
「君にはまだ聞きたいことあるんだから、こんなところで死んじゃわないでよ、本当に。それに、あれだけ沢山の人、ワタシ独りでどうにかなるわけないじゃない」
吹き飛ばされたヨルガルドは立ち上がり、自らを切りつけてきた兵士を睨みつける。
「お前ら…まさか魔兵だったのか⁉」
「魔兵? なんなの、それ?」
ヨルガルドは剣を構えつつ説明する。
「最近発見された、魔物の一種だと考えられてる生物だ。ただ、他の魔物と違う点は一つ。あんな感じに、人間とそっくりに擬態できるという事。擬態元となった人間を犠牲にしつつな。一つ尋ねるが、お前があそこに転がっている鎧の持ち主を斃した時、魔物の様にすぐ骨だけになったか?」
「……うん。でも、どうにかして助ける方法とかないの?」
アトラは一縷の希望を賭けてヨルガルドに尋ねる。すでに斃してしまったあの二人はともかく、今目の前に迫っている彼らだけでもどうにか救える方法は無いのか、と。
しかし、ヨルガルドは首を横に振った。曰く、魔兵は、人間に魔物が憑りついた姿ではなく、人間が魔物へと変異した姿であるため、魔兵から魔物の要素を抜くことは即ち、対象の命を抜き取ることに等しいらしい。
「それじゃあ、つまり……」
「ああ。殺るしかないな。……それにしても、意外と渋るんだな。あの二人はあっさりと殺したようだが……」
ヨルガルドの尤もな問いがアトラに刺さり、思わずウッと唸り声をあげる。
「し、仕方ないじゃない。あの時は必至だったし、それにあの武器に付いてた血痕が明らかに人間の血だったから…それで……」
徐々に顔が俯いていくアトラを横目に、ヨルガルドはフッと頬を綻ばせる。
「さて、話したいことは山ほどあるんだが、どうもそんな余裕はないみたいだな」
見てみろ、とヨルガルドはアトラに促す。
話をしている間に、魔兵と呼ばれた人達は、二人をグルっと取り囲む様な陣形を取っていた。
「アトラ、いつも通り俺の背中は任せたぞ!」
ヨルガルドは爽やかな表情と声色で、アトラと背中合わせの位置を取る。
「えっ、ちょっと、いつも通りって一体何なのよ⁉ ワタシ達って初対面でしょ⁉」
敵を斃す。その一点にのみ意識を落とし込んだ彼の集中力は素晴らしかった。慌てふためくアトラの声は一切耳に届かず、ただ一心に迫りくる敵を切り伏せる。
「くッ……」
だがしかし、そう悠長に過ごす時間は既に使い果たしていた。迫りくる敵に対して、アトラもまた短刀を振る。一人、また一人と敵は斃れ、二人の足元には血の海が広がっていった。
凄いなぁ、とアトラは胸中で呟く。
ヨルガルドの一挙手一投足は、アトラの動きを最大限引き出す。そのお陰で、アトラは多数攻めかかる魔兵を相手に切り伏せる事が出来ていた。
ワタシとヨルガルド君って、どこかで会ったことが……? うーん、思い出せないなぁ……
一切の相談も指示もなく、完璧なリズムで合わせてくる動き、それに加えて、ヨルガルドが発したいつも通り、という言葉。アトラは思考を巡らせる。
しかしながら、今対処すべき最優先事項はヨルガルドではなく、迫りくる魔兵達だ。ウンザリする様な堂々巡りする思考を振り払い、アトラは改めて魔兵達と向き合う。
「それじゃあ、チャチャっと終わらせるよ、ヨルガルド君!」
「ああ‼」
同時連載中の作品『You & I -オルトレイブン王国史- 』も併せてよろしくお願いします。
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