132.悪徳ギルドマスター、田舎から出てきた若者をそそのかす5
アクト・エイジのギルド【天与の原石】のもとへやってきた、ヤボイ少年。
町長のマダム・グリージョに挨拶をしたあと、ふたりはギルドへと向かっていた。
「午後は実際に仕事をしてもらうぞ」
「うぃーっす! 了解っす!」
前を歩く黒髪のギルドマスターを見ながら、ヤボイは期待に胸を膨らませる。
彼は悪党を夢見て田舎から出てきた。
アクト・エイジ。稀代の大悪党。
そんな彼にあこがれて、都会に出てきた。
(いよいよアクトさんの下について、仕事するんだ! いったいどんな悪事だろうか……くく、だがおれは決めたのだ。ビッグになると、たとえ悪事だろうとなんだろうと、やってやるぜ!)
……ヤボイはひどい勘違いを起こしていた。
そして、そのことに、この未来を見通す目をもつギルドマスターが、気づかないわけがない。
ほどなくして、天与の原石へと戻ってきた。
「お帰りなさい、アクト様!」
出迎えたのは弟子のユイだ。
アクトたちはギルド奥の、受付カウンターへとやってきた。
「ヤボイ。仕事を任せる」
「うぃーっす! おまかせっすぅ! どんな仕事も、喜んでやらせていただきやすっ!」
やる気十分のヤボイ。
一方でアクトは、にやり、と凶悪な笑みを浮かべる。
「その言葉に、二言はないな?」
「もちろんっす! アクトさんから振られた仕事は、おれ、なんでもしますっ!」
アクトはうなずくと、ユイに目線を向ける。
彼女は奥へ引っ込み、そしてその腕に、大量の書類を抱えて戻ってくる。
カウンターの上に、ずんっ、と書類が山のように置かれる。
「これを片付けろ。今日中にな」
「ほえ……?」
ヤボイは間抜けな顔で言う。
その書類は、どう見ても、悪事にまったく関係なさそうだ。
ギルドの収入・支出が書かれた紙だった。
「貴様はまずこの書類に不備がないのか、確認しろ。間違いがあるようなら修正しろ」
「は、はぁ……」
大悪党の仕事にしては、随分と地味な仕事だった。
もっと血しぶきが舞い散るような、アウトローな仕事を任せるとばかり思っていたのだ……。
「なんだ、不満か?」
アクトが、試すようにヤボイを見てくる。
彼は悟った。
(なるほど……試してるんですね、アクトさん! おれが、どの程度でねを上げるかを!)
悪事というのは表に出ては困るもの。
信用に足る人物でないと、任せられない。
「おれの資質を、試してるんですね!?」
「そういうことだ」
「やっぱり! 了解しやした! このヤボイ、全力で書類に目を通させてもらいます!」
ヤボイは椅子に座ると、すさまじいスピードで数字を確認していく。
「あ、あの……アクト様。いいのですか?」
ユイが恐る恐る訪ねてくる。
「あの量の書類、一人で任せてしまって。あれって複数人で数日はかかる量ですよ?」
「まあ見ていろ」
アクトは腕を組んで、ヤボイの作業が終わるのを待つ。
ユイはハラハラしながら、何度も手伝おうかと、ヤボイに声を掛けようとする。
ヤボイはすさまじいスピードで目と手を動かし、書類の山を消化していく。
ものの1時間もしないうちに……。
「終わったっす! ご確認よろしくですー!」
笑顔で、ヤボイが書類を提出する。
ユイは目を丸くして言う。
「ほ、本当に全部見終わったんですか……?」
「もっちろんすよぉ! 姐さん!」
ユイはちら、と不安げにアクトを見やる。
彼は黙ってうなずく。
彼女はペラペラと書類をめくりながら、ヤボイが修正を入れた、赤字の部分を見る。
「え……うそ……」
ページがめくられるにつれて、ユイの目が見開かれていく。
そう、すべて、きちんと計算しているのだ。
赤字の部分は、たしかに、計算上のミスがある。
ユイは絶句し、アクトはにやりと笑う。
「どうっすかアクトさん! おれ、役に立つでしょう!?」
「まだだ。まだ足りないな。おいユイ。残りの書類を持ってこい。第1四半期、全部だ」
「あ、アクト様……さすがに……」
四半期とは3ヶ月分のことだ。
それこそ、一人でやる仕事量ではない。
だが、ユイは、先ほどの、ヤボイの脅威の計算力を見た後である。
「おまかせあれ姐さん! なんでもしやすぜ! 書庫に案内してください!」
「わ、わかりました……」
ヤボイがユイととも、カウンターを後にする。
「さすがですね、マスター」
「フレデリカ、いたのか」
「ええ、ずっと」
フレデリカは、ヤボイが修正した書類を手に取る。
「恐ろしい計算のスピードと正確さですね。あんなバカそうな感じなのに」
「知識量の多い少ないだけが、優劣には直結しない。やつは自分の能力に気づいていないだけで、もともと頭の回転はいい方だ。レストランの時でもそうだったからな」
なるほど、とフレデリカは感心したようにうなずく。
「さすがマスター。一瞬でどんな才能を持つ原石かを見ぬき、適切な方向へと導くのですから……しかし、よろしいのです?」
「なにがだ?」
「あの少年、どうやらかなりの勘違いしてるような……」
フレデリカも彼の言動には、違和感を覚えているようだ。
だがアクトは言う。
「そうだな。やつは悪党に弟子入りし、悪事を重ねて出世したいらしい」
「……なんとも無礼な男ですが、かみ殺してもいいですか?」
フレデリカにとって主人であるアクトを、そんな風に思われることが不快だった。
アクトは、表面上は悪人に見えなくないが、その実、誰より優しい。
フレデリカはアクトを誤解してるヤボイを許せなかった。
だが一方でアクトは冷静に言う。
「ダメだ。奴は使える」
「……むぅ」
「不服か?」
「……あとでしっぽブラッシングで手を打ちましょう」
「すきにしろ」
ぱたぱた、とフレデリカはいつの間にか出現させた犬尻尾を揺らす。
「やつには悪いが、俺の手先として修業を積んでもらう。いずれ個々の経理を任せられるほどに育てるのだ」
「まぁ。マスターってば、相手の希望をガン無視して、自分の都合のいいように育てるなんて。なんて悪いお人なのかしら」
くすくす、とフレデリカが笑う。
「さすがですね。悪党なんかよりも、向いている仕事につけるように、導いてあげるのですから」
「勘違いするな。やつは俺のために、奴の才能を磨くだけだ」
「はいはい。ほんと、なぜ誰よりも優しいあなたを、悪党と勘違いする人がいるんでしょうね」
フレデリカが微笑んで言うと、アクトは興味なさそうに鼻を鳴らし、その場を後にするのだった。