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女、ささやかな願い。

 時は宙進暦三二五年。二十年に渡る宙竜属との戦争に終止符を打った航宙軍、その中から目覚ましい活躍を見せた軍人が、ここ第三前進基地アルターニャで今まさに褒章を授与されている。


 その活躍はさまざまだ。


 人類の宇宙進出に大きな貢献をもたらし、今も最新鋭機の開発の最前線に立つ企業『ムラヤマ』の若き後継者『リョウタロウ・ムラヤマ』。清潔感のある相貌と時折見せる屈託のない笑みで女性たちからの支持を集めている。そして、そんな彼を招待席から面白そうに眺めている『ボタン・ムラヤマ』『サンジ・ハトウ』の両名もまた、彼を公私にわたって支えてきた傑物たちだ。


「緊張してんねェ」

「無理もねぇ。持て囃されちゃいるが、部屋に篭もっていろいろ弄くってんのが一番性に合うってぇ根っからの機械バカだァ」

「サン爺が言うなよ」

「何言ってんだ、俺の若い頃なんてのァ……」


 宇宙空間を自在に駆ける宙竜属たちに追いすがり、時に出し抜き、一撃を与える宙間戦闘機『カスガ』の搭乗者たちからも代表五名。操縦において相応の負荷がかかるため若者が多い。注目を集めるのは自信に満ちた微笑を浮かべる少女『タマキ』。軍人としては小柄な身体を搭乗機に詰め込み宇宙空間を奔放に駆ける様は部隊員をして『ネジが外れている』ともっぱらの評判。現在の彼女は念願であったとある褒章の授受とあって有頂天であった。


「やっっ……!」

「そういうのは帰ってからだ、大人しくしてろっ」


 窘めるのは幼馴染みのキリュウ。隊のリーダーではあるが……


『俺は彼女の喜ぶ姿が見たいんだ』

『委員長キャラなら眼鏡を常備しろ』

『これだから童貞は』


 戦績以外への評価は散々であった。


 目まぐるしく変わる戦況の中、補給物資を届け、負傷者を拾って、必要とあれば捕虜の護送と支援に類する行動を一手に引き受ける護民装甲艇『バナード』連隊。その連隊長『フレデリック・ドモン』。長身痩躯で金髪のザンバラ頭。口数も少なくマイペースとあっては周囲からの印象が悪くなるのも無理からぬこと。今も袖の端末に目をやり、幾人かの顔をしかめさせている。


(……駅前限定シュブラ・ノワが在庫二倍!? 買って帰らなきゃ)


 ほとんどの人間が知らないが、愛妻家である。


 それからは部署ごとの表彰に移り、代表がそれぞれの賞与の目録を受け取っていく。花形の紹介も落ち着き、最後の特別枠。主催側もわざわざ最後にとっておいた大本命。


『そして、最後にご紹介いたしますは、かの大敵アーゼナハクを撃墜した『利剣』部隊隊長機の搭乗者……』


 ここに集まった人々のおおよそ全てが注目しているであろう、その者の正体。実像。肉声。検索すれども出てくる画像はその隊長機か素顔の想像図ばかり。今この時、この惑星のほとんどの場所で、その姿を見せる瞬間が待ち望まれていた。


「ヤベえ。こんな同時接続数……人類の歴史の中でも最高なんじゃ」

「あたぼうよ。ガチで星を救った英雄様だ。全記録媒体、ありったけ! 用意できたな!?」


 各地の放送局から上がる了解の号令。今日という日のため、地域によっては政府主導で最新鋭の機器を持ち込ませ、ネットワーク上でリンクしている。幸か不幸かこの一大イベントの当事者となった新人たちは緊張で返事どころではなかったが。


 そして現地。


「フフフ。満を持して、ですね」


 当然、搭乗者は既に現地入りしている。本人は当初、隊長機で乗り入れてやると意気込んでいて関係者たちを困らせたものだ。全人類に先駆けてお披露目されたその正体に、感想は様々。


『アイルーン・サティ氏であります! どうぞ!』


 まず、女性であった。コクピットの画像などは機密として公開されないため当然として、軍の中ですら、加工された音声通信とマニピュレータの動作を用いたコミュニケーションしか行われてこなかったのだ。その上で、討伐数以上に生存に重きを置いた立ち回りで高い実績を残しているのだから実力は本物。颯爽と、高らかに廊下を踏み鳴らす歩き方は自信の表れか。その強い眼で、幾人かと視線を交わしていく。


 他の英雄たちもまた、彼女の正体に目を見張る。


 リョウタロウ・ムラヤマは彼女の搭乗機も手がけていた。自身の機体に女性が搭乗して戦場へと出ていくことは受け入れていたが、まさかあの機体にと。そして、ほんの一瞬その視線が交錯、ともすれば獰猛であると表現されそうなその笑みに彼は……撃ち抜かれた。


「あ、墜ちた」

「おいおい……流石エースといったところかい」


 最も接触回数の多かったカスガの搭乗者たちも愕然とする。戦場に女性がいるのは慣れっこの彼らだが、まさかあの機体だけは、というのが共通認識だった。剛胆な性格と男たちの下世話な話題にも呵々と応じてみせる度量。そして高機動機であるカスガと人型機体である利剣で共闘してみせる技量。部隊員からの敬愛は厚く、タマキに至っては恋心すら抱いていた。


「なあ、タマキ……」

「アリ……」

「は?」

「全然アリ……」

「オマエマジか!」


 また、一部の人間は彼女の名前を記憶と記録の中から探り、ようやく気づいた。彼女が表舞台に出るのはこれが初めてではないと。フレデリック・ドモンもその一人。職業柄、無闇矢鱈と広がってしまった人間関係と移動範囲の中で、彼女とは既に接触している。パイロットとして戦場で。そして、戦時ではない運搬業務の一環でとある軍人と顔を合わせることが幾度かあった。その時に秘書官として控えていたのが恐らく彼女だ。ただ、あまりにも印象が違う。


 そして、彼にとっては見過ごせない点がもう一つあった。


(まさかまさかまさか。有り得るのか、そんなことがっ……いや、これはまだ確信とは呼べない。ただの、勘だ。御仁には悪いが……調べてみるか)


 ほとんどの人間が知らないが、彼は愛妻家である。


 様々な方面に様々な印象を振りまきながら登壇する、英雄。ありったけの記録機器が彼女の姿を正面から捉えた。その身に纏うのは秘書官の象徴である黒いスーツ。担当する人間の階級によって装飾が増えるのだが、身なりからはかなり高い階級が予想される。


 女性としては高い身長と自信に満ちた微笑み。秘書官を勤めている間は纏めている髪はほどかれ、そのピンと伸びた背中を艶やかに飾っている。そして、待ち望まれたその第一声が今、マイクに乗った。


『アイルーン・イシカワです。初めまして』


 落ちる沈黙。


「イシカワ?」

「誰?」


 各放送局も困惑。手元にある僅かな資料を見る限り、彼女は『アイルーン・サティ』氏であるはずだ。


「ヘンリーくん、代わりに資料読んで」

「いえ、あの……アイルーン・サティ氏、とあります」

「……英雄さん、どういうこと?」


 新人スタッフが一人、緊張で倒れた。


 先ほどまで流れに流れていたスレッドも完全に動きを止め、一切投稿がされないという地味な記録を地味に更新中である。


 司会を務めていた男性は嫌な汗が止まらない。仮にも英雄のファミリーネームを間違えてしまった。吐き気も止まらない。しかし当の英雄は機嫌の良さげな表情でカメラを見つめている。それが怖い。


 そして、貴賓席でその放送を見ていたとある男性も対処に追われていた。具体的には、自分がテーブルに吹き出した茶をハンカチで拭っていた。


「閣下、そのようなことは我々が」

「いいのだ、私にやらせてほしい」


 高位の軍人に、青筋の浮いた表情で請われてはメイドたちも何も言えず。軋みを上げんばかりに力を入れてテーブルを拭う偉丈夫の背中を、ただ見ていることしかできなかった。


 男の名はグンドウ・イシカワ。四十三歳。軍人の家系に産まれ、男三人兄弟の次男として育つ。この時代においては骨董品じみた技能とされつつも一定の評価を残している武道を重んじ、鍛え上げられた肉体は巌のごとく。身体の各所に残る傷跡は歴戦を経てもなお生き残った勲章と、形成手術の発展している宙進暦においても完全消去を拒んでいる。


 武門の印象とは裏腹に、氏の得意とするところは持久戦。自らの預かる部隊を生かして帰ることを念頭に入れながらも何体もの敵宙竜を沈めてきた実績は教本にも載っている。基本的にメディアには顔を出さないが、数少ない独占インタビューにおいては寡黙な性格の其処此処に穏やかさと優しさが垣間見え、妙齢のご夫人たちの女心をくすぐっていたりもする。


 とはいえ、そのような経歴も『彼女』相手には奮わない。様々な事情があって彼女を秘書官に据えてから十年以上が過ぎている。いろいろあった。ありすぎた。グンドウと彼女の『交戦』、その戦績は勝利が三割を切ろうとしている。今回の一戦で大きく傾いてしまった。最近は珍妙な言動も減っていたし、一人の仕事を任せる事も増えていた。油断があったのだ。


『無事戻ってきた暁には、お願い事を聞いていただけませんか。些細なことです』


 出撃の数分前にそんなことを言っていた彼女。若い部下たちがはしゃぎながら話していた『死亡フラグ』なるものと理解した彼はこう返した。


『私がそれを聞き届けるのは、お前が無傷で帰ってきたときだけだ。必ず、帰ってこい』

『はい、必ずっ』


 やけに声がうわずっていた。ポカをやらかすのではないかと不安で不安でたまらなかった。結果、機体を半壊させつつも彼女はケロッとした表情で帰ってきた。帰ってきたが。


 グンドウは袖の端末を急ぎ起動し、彼女に通信を飛ばした。自身の名前を訂正するようにと。反応はない。故障だろうか。いや、その線は薄い。将校が使うような端末には万が一もあってはいけないし、彼女はいつ連絡を寄越してもワンコール目で出る。何故だかわからないが。


『重ねて命じる。訂正したまえ、アイルーン』


 一瞬だけ、名状し難くもどこか艶っぽい表情を浮かべた英雄は当初の自信に満ちた微笑みを貼り付け、堂々と訂正した。


『アイルーン・サティです。初めまして』


 そして時は動き出した。司会はいつの間にか交代しており、スレッドは各国の言語で『は?』に類する単語で埋め尽くされ、平均して三回、表示上限を越えた。新人スタッフが意識を取り戻した。


「おかえり」

「あっ、あの、何が」

「記者会見、あるのかなぁ……」

「帰っていいっすか?」

「ダメ」


 交代させられた若い女性の司会者が恐る恐る彼女に声をかけ、体調の良し悪しを確認した。かの英雄は『万全です』と返答し、その後も無難以上の受け答えをした。記念すべき大勝に報道の規制も緩く、口頭でのみ戦闘行為の描写が許された。アーゼナハクに言及するときだけ、酷く砕けた口調になるのが印象的な会見であった。


 それから数時間後。都内某所においてそこそこの規模の祝勝会が開かれていた。記者などは入れず、軍人の、言ってみれば身内だけの集まりだ。外聞などは気にせずに済む、無礼講。尤も、話題の中心にあるのは英雄アイルーン・サティ、その人。


「いや、ドックでも顔を見せねぇからてっきり全身機械化でもしてあのナリなんだと思っててさ」

「本来の職務は秘書官でしたから」

「ハハハ! バイト感覚で星を救っちまったか、ハハハ!」

「アイルーンさぁん、アイルーンさぁん。やったよ。ほら、私もこの勲章もらっちゃったぁ」

「おめでとうございます。しかし、飲酒の適正年齢ではありませんね。今日は大目に見ますが、ここまでにしておきなさい」


 一方で。


「ああ、僕も前線に出るような人間なら話題には困らないのに。何て声かけよう。誰か情報上げてないかな?」

「同性での付き合いは大昔に比べて敷居が低くなったと学んだ。しかし、しかしだ……!」


 バルコニーでは。


「うん、ごめんね。もう少し付き合っていかないと……うん、うん。僕は大丈夫さ。君こそ……おや」


 バルコニーから、一台の車が到着したのが確認できた。コードは政府ナンバー。車から降りてきたのは武人の見本のような男。待ちかねていた男のご到着に思わず目を細めるフレデリック。


『あなた、どうしたノ?』


 愛する妻の声が男を我に返す。


「うん、ちょっと重鎮がね。早く帰れるといいけど」

『お付き合いも大事。お掃除して待ってるワ』

「うん、それじゃ。愛してるよ」

『私モ、愛してル』


 通話を切り、頭を搔きむしり、深呼吸。


「落ち着け……彼もまた英傑の一人。敵に回す相手じゃない。それに、彼なら僕たちの理解者となってくれるかもしれない」


 いつものマイペースな仮面を被り直し、要人を出迎えに行く愛妻家。彼の行動原理の中心は、例え伝説級の英傑が相手であっても揺らがない。愛する妻のためにこそ。


 そんな強い視線を向けられれば、普段なら違和感を感じる程度に勘の働くグンドウではあったが、今はそんな余裕はなかった。あの放送を受けて、上官や同僚、果ては近所づきあいのあるご夫人からひっきりなしに連絡が続いたからだ。その内容は完全に一致。


 『結婚すんの?』であった。


 顔から火が出る、という感覚を齢四十を越えて初めて味わった。しばらく前から結婚しろ、結婚しろとは言われていた。しかし、男は青春をほぼ軍に捧げた結果、すっかり色恋に疎くなってしまっていた。宙竜たちの跋扈と珍妙な秘書官の教育という忙しさも手伝ってそういった心配(からかい)をされる機会も徐々に減っていった。


 そこに来て今回の英雄の凱旋……と、世迷い言。秘書官とそういう仲になることはいい顔をされないが、禁止されているわけではない。グンドウも男子、彼女が美しい女人であることは理解できる。しかし書類上は十三歳年下。さすがに現実的ではないと考えていた。


 もっと言えば、グンドウが無意識に持っている理想の女性像はヤマトナデシコであった。


 大柄な偉丈夫が勢い込んで、しかし怨念を抑え込んでいるかのようにゆっくりと、会場の扉を開いた。グンドウの入場に皆の視線が集まる。リョウタロウ・ムラヤマは僅かなライバル心に胸をくすぐられながら。キリュウは自分なりの計略を巡らせながら。フレデリックは諸々の感情を薄い笑みで覆い隠し。


 そして、渦中の英雄は平然と。少し酒が回っているのか、頬を赤く染めながら。


「大佐。お出迎えもせず、申し訳……」

「それはいいよ、英雄どの。今日は無礼講だ」


 グンドウの顔は引き攣っている。


「少し、顔を貸してくれるかね。英雄どの」

「少しと言わず明日の朝まででも」

「とっとと来い」


 ざわめく会場。あの現場でわざわざイシカワ姓を名乗ったことがどんな意味を持つのか。そこに考えを巡らせないような鈍い者はこの会場にはいない。強いて言えば、英雄の腕の代わりに酒瓶を抱かされて眠りこけているタマキくらいだろうか。


 会場の熱気から徐々に遠ざかり、廊下を歩く軍人と秘書官。秘書官の目つきが怪しい。グンドウは彼女が酒に強いという話は聞いていない。周りの空気に合わせて少し配分を間違えた……ともとれるが、十中八九、わざと酔ったのだと考えている。彼女には前科が多すぎた。


「ぐほぉ」


 柱にぶつかる英雄。呆れつつも、肩を貸さざるを得ない程度には彼女を大事に思っている英傑。


「浮かれすぎだ」

「フフフ」


 何回も何回も聞かされてきた、あの笑いだ。


 どうにかバルコニーまで辿り着き、据え付けの椅子に腰を下ろす二人。同時にため息がこぼれた。秘書官の口から出たソレは実に満足げで、グンドウをイラッとさせた。


「アイルーン、あれは何だ」

「願い事と言っただろう。ささやかな」

「惑星全土に伝わったが」

「やったぜ」

「貴様……」


 とても上役に対するものとは思えない彼女の態度。それをここでは咎めない男。そんな二人の出会いを説明するには、征竜戦争黎明期にまで話を遡らせなくてはならない。

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