九、カフヒー
あの後、結局私は城田さんと会えずじまいで、二日が経った。
「清助、こんなもの貰って来たよ」
若女将の幸恵が、布袋を持って調理場へ来た。
「ほう、それはなんですか」
清助は煮物の具合を、助手の定吉に任せ幸恵に訊いた。
「なんでも、カフヒーというものらしいよ」
「カフヒーですか・・」
清助は袋を受け取り、開けて中を確かめていた。
「西洋の飲み物らしいよ」
「そうですか。香ばしい匂いがしますね」
「それで、作り方を教わったんだけどね。これをお客に出そうと思ってるんだよ」
「そうですか。で、どういった作り方なんですか」
私は二人のやり取りを見ていて、もしかするとコーヒーのことじゃないかと思った。
「あの・・」
そこで私は二人の前まで行った。
「水樹、なんだい」
幸恵が言った。
「そのカフヒーを作るには、道具がいると思うんですけど」
「なんだい、やぶからぼうに」
私は袋の中を確かめてみた。
「おいおい、水樹。何やってるんだ」
清助が慌てて袋をよけた。
やっぱりコーヒー豆だ。
このままじゃ飲めないし、せめてミルが必要なんだけどな。
「水樹、余計なことしてないで、さっさと料理を運びな」
幸恵が私を手で追い払うようにした。
私は仕方なく、板の間に上がった。
どうするつもりなんだろう・・
まさか・・あのままお湯とか入れないよね・・
幸恵は清助に作り方を教えている風だった。
幸恵が去った後、清助は鍋に湯を沸かし、そこへ豆を入れていた。
げ・・やっぱりあのまま煮てる・・
「あの・・」
私はまた、調理場へ下りた。
「さっきから、なんでぇ」
清助は迷惑がった。
「それ・・その後、どうするんですか」
「どうするって・・湯が湧いたら湯飲みに入れるんだよ」
「それじゃ・・ダメだと思うんですけど・・」
「んなこと言ったってよ。奥さんがそう言うんだから、しょうがねぇやな」
「えっと・・煎った方がいいと思うんですけど」
「え・・そうか?」
私もよくわからないけど、少なくとも豆を煮るっていうのは無いと思うわ。
「でも、見てみな。色が出てきたじゃねぇか」
清助はサジですくって味見をしていた。
「ん・・?味がしねぇな・・」
すると清助は豆を追加しようとした。
「ダメですってば。煎った方がいいですよ」
そして私は別の鍋に豆を放り込み、かまどに乗せて煎ることにした。
「おいおい、それはお前の仕事じゃねぇだろ。かしてみな」
清助は私から鍋を取り上げ、上手に煎った。
すると香ばしい香りが調理場に広がり、他のみんなも何事かと清助を見ていた。
「よし、これを湯に入れたらいいな」
清助は煎った豆を別の鍋に入れた。
いや・・コーヒー豆は細かい粒々なのよ。
原形のままだったら、ダメなのよ。
「あの」
私はまた、清助に声をかけた。
「おいおい、次はなんでぇ」
「それ・・細かくすり潰した方がいいと思うんですけど」
「半殺しにするってぇのか」
「半殺し・・?」
「ほら、ゴマをすり潰すようにさ」
「はい、そうです」
「確かに・・ゴマはすり潰した方が味も香りも出るな・・」
清助はすり鉢で豆を潰した。
そしてそれを湯に入れて沸かし、サジで味をみていた。
「げぇ。なんだ、この苦さは」
清助は、ペッと吐き出していた。
「失敗だな」
清助はそう呟いていた。
私はサジを清助から無理やり取って、味見をした。
「いえ、失敗じゃありません」
私はそう答えた。
「なんで失敗じゃねぇんだ」
「カフヒーというのは、こういう味なんです」
「おいおい、水樹。なんでお前ごときがカフヒーの味がわかるってんだ」
「砂糖、ありますか」
「あ・・?ああ」
清助は調味料棚から砂糖を出し、私に渡した。
私は柄杓で上澄みをすくって、湯飲み茶碗に注ぎ、砂糖を入れて味見をした。
よしっ・・これでOKだわ。
私は湯飲み茶碗を清助に差し出した。
「お・・おぅ・・。どれどれ」
コーヒーを飲んだ清助は、「おおっ!美味くなったな」と驚いていた。
「でもよ・・水樹。お前、なんで知ってんだ」
清助は怪訝な表情になった。
「それは・・その・・。ああっ、横浜の港で外国の船員さんが、日本人に振る舞っていたのを見たことがあるんです」
「へぇ・・。それってよ、本当の話か」
「本当です。見たことあるんです」
「まあいい。これでカフヒーを出せるな。しかしまあ、西洋人ってのは、妙な物を飲んでるんだな」
コーヒーかあ・・
この時代じゃ妙な飲み物って感覚なのね。
「清助さん、私も飲みたい~」
女子たちはみんなそう言って、清助に味見をせがんだ。
「水樹。港で見たっていうの、本当なの?」
初枝が私に訊いた。
「ほ・・本当よ。それでああやって作るんだな~って思ったの」
「そうなの。なんだか上手い話に見えるんだけど」
「本当よ。信じてね」
「まあいいわ。でもこのこと、女将さんや旦那さんに知れたら、あっ、真知子さんが一番危ないわ。口外しちゃダメよ」
初枝はおそらく、私が字を書けると言ったことで、女将や旦那さんに叱られたことを心配してるんだね。
農家の娘がコーヒーの作り方を知ってるなんて、それこそ大目玉を食らうに決まっている。
ある意味、字を書けることよりもタブーなのかも知れないな。
それからというもの、「カフヒー」の評判がすこぶる良く、わざわざ「カフヒー」だけを求めて来店する客も少なくなかった。
どうやらこの時代では、コーヒーは貴重品らしく、上流階級の者しか口にできないらしい。
その後、清助は作り方を工夫し、潰した豆を麻袋に入れて湯に浸すようにしていた。
現代でいうところの、ドリップ方式をとっていたのだった。