六、酌
やがて若旦那ご一行が到着し、幸恵が三階に案内した。
私は調理場でお酒を燗にしたり、次々と作られていく料理を食器に盛り付ける作業をしていた。
城田さんとの、あの行為はなんだったんだろう。
これってきっと夢を見ているのよ。
すごくリアルだけど、夢って結構リアルだもんね。
どこかで途切れて、覚める時が来るわ。
私はそう考えながら、もくもくと仕事をこなしていた。
「水樹。お前は手慣れているね」
真知子が私の手際の良さを言った。
「そうですか・・」
「その調子でやっとくれよ」
「はい・・」
「それと、あとでお前を連れて行くから、そのつもりでいとくれよ」
「あ・・はい・・」
そして時間は過ぎ、私は真知子に燗酒を持って行くよう言われた。
「三階だからね」
私は木の盆に徳利を二本乗せ、真知子の後に続いた。
「私ら給仕はこの階段を使うんだよ」
玄関から上がって中へ進むと、廊下を挟んで階段が左右に分かれていた。
私たちは左を上がった。
「右はお客さんが使う階段だから、よく覚えておくんだよ」
「はい・・」
そして三階に到着し、廊下のすぐそばに障子で囲われた部屋があった。
「ここだよ。さっ、盆を置いて声をかけるんだよ」
「え・・なんと言えばいいんですか」
「失礼します、お酒を持って参りました、だよ」
「はい・・」
私は少し戸惑ったが、覚悟を決めた。
「失礼します。お酒を持って参りました」
「ご苦労さん」
中から男性の声が聞こえた。
そして障子が開いた。
するとそこは、十畳ほどの広い和室で、上座に若旦那と思しき男性が座り、その横には芸者さんが座っていた。
若旦那を挟んで左に二人、右に三人の男性がそれぞれ座っていた。
「どうも若旦那、この子は今日からここで働くことになりました水樹と申します。どうぞ以後、お見知りおきを」
真知子は私を紹介した。
「ほーぅ、器量よしだね」
若旦那が私をじっと見つめた。
なんか・・キモイんですけど・・
若旦那は年こそ若そうに見えたが、コロコロと太り、顔も・・イケてなかった。
「ほら、ご挨拶しなさい」
私は真知子にそう言われ「水樹です・・よろしくお願いします」と頭を下げた。
「どうだい、こっちへ来て酌をしてくれないか」
若旦那がそう言った。
「え・・」
私が戸惑っていると、真知子に「お酌をさせてもらいなさい」と言われた。
「水樹だっけ。ほら、そんなところで座ってないで、若旦那のお相手をなさいな」
芸者さんがそう言った。
なんて綺麗な人なんだろう・・
まるで日本人形みたい・・
この人が江梨子姐さんなんだな・・
「ほら、早く」
私は真知子に急かされた。
なんか・・時代錯誤感、半端ないんですけど・・
現代だったら完全にパワハラよね。
私は仕方なく若旦那の横に座った。
若旦那は私を舐めるように見ながら、猪口を差し出した。
私は酌の仕方もわからず、片手で徳利を持って注ごうとした。
「あはは。水樹、私が手本を見せてあげるから、よく見ておくんだよ」
江梨子がそう言い、徳利を両手で支えるようにして持ち、白くて綺麗な長い指と、科を作った所作で猪口に注いだ。
なんて・・女性らしいんだろう・・
いやいや・・見惚れている場合じゃない。
私は芸者じゃないし、部下でもない。
こんなこと・・できない・・
「わかったかい?」
江梨子は微笑んだ。
「あ・・はい・・」
「じゃ、やってごらん」
「はい・・」
私は両手で徳利を持ち、若旦那の猪口に注いだ。
でも手は震えていた。
「なにごとも、経験だからね。早く慣れるといいね」
若旦那がそう言った。
「す・・すみません・・」
「若旦那、申し訳ありません」
真知子が詫びた。
私が立とうとすると、若旦那が私の袖を引っ張った。
「え・・なにか・・」
「次に来た時も、水樹が酌をしてくれ」
若旦那はいらやらしい目で私を見上げていた。
「やだわ~、若旦那。私の立場がありゃしませんって」
江梨子がそう言って笑い、若旦那の腕を引っ張った。
「水樹、もういいよ」
江梨子が私を解放してくれた。
私は一礼して部屋から出た。
「これ、水樹。障子を閉めなさい」
真知子が言った。
私が閉めようとすると「座ってだよ」と真知子に言われた。
そして私は言われた通りにした。
「水樹」
階段を下りながら真知子が私を呼んだ。
「はい・・」
「あまり気にすることはないよ。徐々に慣れていけばいいのさ」
「あの・・私、またあんなことしないといけないんですか・・」
「あんなこと?」
「えっと・・お酌とか・・」
「当然じゃないか。なに言ってるんだい」
「だって・・運ぶだけだと思って・・」
「あんたね・・」
真知子は二階の階段を下りたところで、足を止めて私を見た。
「馴染みとして指名されたら、給金がいくら貰えると思ってるんだい」
「馴染み・・?」
「私はね、年行きだから関係ないけど、あんたたち若い娘には馴染みを待ってる子もいるんだよ?」
「あの・・馴染みって・・どういう意味ですか・・」
「かっ。言わせるってのかい。察しの悪い子だねっ」
「・・・」
「女だよ」
「え・・」
「馴染みってのは、女になるってことさ」
なによそれ・・
愛人ってこと・・?
バカなっ。
冗談じゃない・・
「それって・・指名されても断れるんですよね・・」
「あはは。ほんとあんたはウブだねぇ。そんなこと出来るわけないだろう」
「どうしてですか」
「断ったりしたら、店が潰れちまうよ。それでもいいのかい」
ちょっと・・どういうこと。
それと・・城田さんよ。
怖くないって言ってたじゃない。
ぜっんぜん、違うんですけど!