四十八、決意
私は城田の店を出たあと、警官が駐在する派出所へ出向いた。
あんな事故があったんだ。
きっと警察も動いたに違いない。
いや、事故じゃない。事件だ。
派出所には一人の警官が立っていた。
「あの、お訊きしたいことがあるのですが」
私がそう言うと、中年の警官は「なんですか」と、優しく聞き返してくれた。
「先日、この付近で人力が若い女性を轢いた事故がありましたよね」
「人力と人との衝突事故は、結構あるんですよ。いつのことですか」
「十日ほど前のことです」
「十日ね・・」
「女性は意識不明になったんです。憶えてませんか」
「あ・・ああ、あの事故のことですか」
警官は思い出した風だった。
「あれって、本当に事故だったんですか」
「え・・?どういうことですか」
「事件じゃないんですか」
「いや、あれは事故でしたよ。なんでも車輪を制御できなくなったそうで」
「本当ですか?」
「本当も何も、現場検証した者が、そう言ってましたからね」
「それって、わざとじゃないんですか」
「えっと、あなたは誰ですか」
そこで警官は怪訝な表情を浮かべた。
「轢かれた女性の知り合いです」
「検証の結果、実際に車輪は壊れてました。車夫への取り調べを鑑みても、事故で間違いないとの判断が下されました」
「目撃者によると、車夫は女性を轢いたあと「ざまあみろ」と言ったそうですが」
「目撃者の証言も、全てとってあります。そのような証言はありませんでしたよ」
「あの、ちゃんと調べたのですか」
「事故を疑う余地はありません。もうこの件は済んだことです」
「もし、殺意があったとしたら、殺人罪で罪に問えますか」
「あのね、お嬢さん。あの日のことは事故です。軽々しく殺人などと言うものではありませんよ」
警官は、少し辟易としていた。
「もし、殺人だったらどうするのですか」
「だから、さっきから違うと言ってるでしょう。もう巡回の時間ですので」
警官はそう言って、パトロールに出かけた。
嘘よ・・
絶対に事件だわ。
あ・・そうか・・
以前、剛三は、私が糸田のやった犯罪行為を邏卒に話すといったら「世の中のこと何も知らないな」と笑っていた。
そういうことか。
裏で繋がってるんだ。
私は、これ以上警察に相談しても無駄だと思い知った。
おそらく城田さんや両親も、警察に相談したに違いない。
徳の言ったことを、知らないはずがないからだ。
そして私と同じように「事故」の一点張りで突き返されたに違いないんだ。
もしそうだとしたら、城田さんや両親の心中は察するに余りある・・
きっと絶望の淵に落とされたことだろう。
翌日、私は店の掃除をしていた。
「それにしても、糸田の若旦那は、まったく来なくなったよね」
一緒に拭き掃除をしていた志歩がそう言った。
「そうだね」
「でも、これでよかったよね。水樹ちゃん、糸田から解放されたわけだし」
「うん」
「どうしたの?嬉しくないの」
「え、いや、嬉しいよ」
志歩は私の様子が、どこか変だと思ったようだ。
「城田の若旦那は、どうなの・・?」
志歩は、千代の死のことを言った。
「とても落ち込んでるみたいよ」
私は志歩の顔も見ずに、ひたすら廊下を拭いていた。
「みたいって・・会ってないの?」
「会わせてもらえないからね」
「そうなのね・・」
「ねぇ・・水樹ちゃん」
しばらく間を置いて、志歩が私を呼んだ。
「なに」
「なにか悩んでいるんじゃないの・・」
「ううん。城田さんと会えないから。それだけよ」
「前に言ったけど・・なにかあったら私たちにも相談してって」
「・・・」
「ほんとになにもないの・・?」
「うん、ないよ」
私は志歩を見て笑った。
「そっか・・。それならいいんだけど・・」
「さて、あっちの廊下を拭かなきゃね」
私はバケツを持って移動した。
志歩は私の後をついてきたが、その表情は曇っていた。
掃除を終えた私は、子供たちを集めて「塾」を開いた。
「は~い、いいですか。この間のお浚いね」
「足し算だあ~」
五助が嬉しそうに言った。
「そうです~足し算です。じゃ、問題を出すから帳面に書いてね」
「はぁーい」
子供たちは声を揃えて答えた。
「今日は、ちょっと難しいよ~。十二足す六は」
私がそう問うと、子供たちはノートに数字を書いていた。
「できた~」
五助は読み書きより、算数の方が得意なので、すぐに手を挙げた。
「はい、五助くん」
「十八です!」
「正解!」
「五助は早いなあ」
孫一がそう言った。
「僕もできたよ~」
続いて晴太もそう言った。
すると孫一は、「まってよ~」と言いながら、指折り数えていた。
私は子供たちの無邪気な様子を見ていると、とても複雑な心境になった。
「お姉ちゃん」
五助が私を呼んだ。
「え・・なに?」
「次の問題は?」
「あ・・ああ、そうね。えっと、じゃあ九足す八は」
「それ、この間やったよ」
「ああ・・そうだっけか」
私は掃除の時から、すでに別のことを考えていた。
このことは、子供たちにも悟られちゃいけない。
私はなんとか気を取り直して、子供たちと向き合った。
店が終わり、私たち女子は別棟へ向かって歩いていた。
「先に行っててくれる?」
私は女子たちにそう言った。
「どうしたのさ」
里が訊いた。
「ちょっと受付に忘れ物」
「そっか。わかった」
そして女子たちは私を置いて歩いて行った。
その際、志歩だけが私をじっと見つめながら歩いて行った。
私は調理場へ戻り、あるものを探した。
「あった・・」
私は、布巾に包まれた包丁を手にして店を出た。
そう・・私は剛三を殺すと決めたのだ。




