四十七、事故
「離れ」を廃止してからというもの、剛三はぷっつり来店しなくなった。
店内では時々、料理にケチをつけるお客はいたが、糸田とは無関係で、嫌がらせもない。
私はそれが反って不気味だった。
あいつは、このまま引き下がるような男じゃない。
そしてある日、とんでもない事故が起こった。
あろうことか、城田さんの妹の千代が、人力車に轢かれたのだ。
現代の車と違って、もちろんスピードは比較にならないくらい遅いし、衝撃も軽いはずだが、不運なことに打ち所が悪く、千代は意識不明の重体となっていた。
私はひょっとして、糸田の仕業かと思ったが、その証拠は何もなく調べる術もなかった。
千代は市内の病院へ運ばれたとのことだった。
このことは、城田さんが受付に来て知らせてくれたが、私はお見舞いにも行けずにいた。
いや・・正しくは行くと言ったのだが、両親が普通じゃないとのことで、私は遠慮していた。
そして・・それから三日後のことだった。
千代が亡くなってしまったのだ。
私はそこで、ふと記憶を辿った。
確か、現代の城田さんにも妹がいて、事故で亡くなったと言っていた。
私はそのことを思い出したとたん、寒気がした。
一体・・どういうことなのか・・
私の頭は少し混乱したが、すぐに気を取り直した。
その後、葬儀が執り行われたが、当然、私は出席させてもらえず、線香をあげることすら拒否された。
それからというもの、城田さんの落ち込みようは、見ているこちらが辛くなるほどだった。
逢うことは許されていなかったので、私は時々、呉服屋の前にて城田さんの様子を確かめていた。
辛い時こそ声をかけたいと思っていたが、城田さんはもとより、両親の持ち気を思うと、とてもじゃないが扉を叩く勇気はなかった。
「ちょいと、水樹」
私が受付で座っていると、江梨子に声をかけられた。
「あ、姐さん」
「姐さんじゃないよ」
「え・・」
「あんたさ、若旦那と話をしたのかい」
「いえ・・」
「まったく、なにやってんだい。妹さんが亡くなったってのに、なにもしてないのかい」
「逢うことを禁じられていますから・・」
「はっ。バカだねっ」
「・・・」
「若旦那は、あんたを待ってるに決まってんだろ」
「そ・・そうなんでしょうか」
「親なんか放っときゃいいのさ。誘い出して話を聞いてやんな」
「はい・・」
「じゃ、私はお座敷があるからね」
そして江梨子は中へ入って行った。
そうなのかな・・
城田さん、私を待ってるのかな・・
私は江梨子の言葉に後押しされ、翌日、城田さんに逢うと決めた。
店の前まで行くと、中には誰もいないように見えた。
私が扉を開けようか迷っていると「あ、水樹ちゃん」と、乾物屋の忠助に声をかけられた。
「あ、こんにちは・・」
「どうしたの?浅緋を探してるの」
「はい・・」
「僕が呼んで来てあげようか」
「あ・・どうしようかな・・」
「なに?ご両親が怖いかい」
え・・忠助さん、知ってるんだ・・
「怖いというか・・その・・」
「浅緋さ、きみのことですごく悩んでて、その上、千代ちゃんが亡くなったでしょ・・」
「はい・・」
「まあ、その落ち込みようったら、見ていられない程だよ」
「・・・」
「仕方がないことだけどね」
「そうですよね・・」
「あ、よかったらさ、あっちのカフヒー店へ行かない?」
忠助は、大通りを渡ったところのコーヒー店のことを言った。
そこは以前、私と城田さんが相席でコーヒーを飲んだ店だった。
そして私たちは通りを渡り、コーヒー店へ入った。
「それにしてもさ、きみたちの逃避行には驚かされたよ」
席について、忠助がそう言った。
「そう・・ですか・・」
「浅緋にしては、上出来だよ」
そう言って忠助は笑った。
「浅緋はさ、子供のころから優等生で。親に反発なんてしなかったんだよ」
「そうですか・・」
「僕はさ、ほら、こんなだろ。親も手を焼いてた、いや、焼いてるかな、進行形ね」
「・・・」
「だからさ、よくやったと思ってるんだよ」
「はあ・・」
「いずれは反発しないと。ずっと親の言いなりなんて僕には無理」
「・・・」
「だから水樹ちゃんもさ、自分の気持ちを抑えてないで。遠慮しちゃダメだよ」
「でも・・逢うことすら禁じられているんです・・」
「それがどうだって言うの?あのさ、水樹ちゃんはもう嫌われてるの、ご両親にね。だからこれ以上嫌われることはないんだよ」
「・・・」
「今の浅緋を救えるのは水樹ちゃんだけだよ」
「・・・」
「僕でもない、ご両親でもないんだよ」
「そうですか・・」
「これね」
忠助は、そう言って懐から何かを取り出した。
「これ、千代ちゃんのだよ」
忠助が取り出したものは、簪だった。
「これ、千代ちゃんの形見だよ」
「そうなんですか・・」
「僕さ、千代ちゃんのこと好いてたんだ」
え・・
確か千代さんも忠助さんのこと好きだったはず・・
私は祭りの日に、忠助を恥ずかしそうに見ていた千代の姿を思い出した。
「もう、これしか残ってないけどね」
「そうだったんですか・・」
「でもさ、ずっと悲しんでても千代ちゃんは帰って来ない」
「・・・」
「水樹ちゃんには浅緋がいる。浅緋も水樹ちゃんがいる。だから後悔しないようにしてほしいんだよ」
「はい・・」
「さてと、そろそろ行こうか」
そして私たちは店を出て別れた。
忠助は千代が亡くなって、ほんとは悲しいはずだ。
いや・・死ぬほど悲しんだに違いない。
まだ悲しみを乗り越えたわけじゃないだろうが、少なくとも乗り越えようとしている。
そんな忠助の健気なまでの「強がり」が、私の心に刺さった。
そしてまた翌日。
私は今度こそ、城田さんに会う覚悟を決めて店へ向かった。
「こんにちは・・」
私は扉を開けた。
すると奥から、徳が出てきた。
「あ・・」
徳は、困惑した表情になった。
「どうも・・」
「なにか・・ご用ですか」
「その・・若旦那様はいらっしゃいますか」
「おられません・・」
「どちらへ・・」
「存じません・・」
徳は何も答えなかった。
きっと口止めされているに違いない。
「いつ頃、お戻りでしょうか」
「それも・・存じません・・」
「そうですか・・」
「あの・・」
私が帰ろうとすると、徳に引き止められた。
「はい・・」
「大変、申し上げにくいのですが・・」
「なんでしょうか」
「いえ・・その・・お嬢様の事故のことですが・・」
「え・・」
「若旦那様が・・事故は自分のせいだと仰ってまして・・」
「えっ・・どういうことですか」
「その、ですね・・車夫は、わざとお嬢様にぶつかったのではないかと・・」
「え・・」
「そのですね・・目撃者が言うにはですね・・お嬢様が歩いている方向へ突進したと・・」
「えっ!どういうことですか」
「それで・・お嬢様が倒れた時、車夫は「ざあまみろ」と言ったとか・・」
ちょっと・・なによそれ・・
どういうこと・・
「それって・・殺されたんじゃないですか!」
「そうかも知れませんが、その証言も確かなものではないのです・・」
「どういうことですか」
「そう聞こえた、と言うだけでして・・」
私は糸田の仕業だと直感した。
城田さん本人を狙うんじゃなくて、妹を狙ったんだ。
城田さんも、そう思ってるに違いない。
でなければ「自分のせい」とは言わないはずだ。
もとを糺せば、私のせいだ。
糸田は私を城田さんに奪われたことで、復讐をやったんだ。
なんてやつなの・・
私は怒りでどうにかなりそうだった。




