四十一、江梨子姐さん
その日の夜、私たちは食事を終え、本堂の階段に座っていた。
「夜はもう、すっかり冷えますね」
城田さんが言った。
「はい・・」
夜空には星がたくさん輝いていた。
「水樹さん」
「はい」
「戻る勇気はありますか」
私はそう訊かれ、なんとも答えようがなかった。
戻ればどうなるか・・
水連亭に迷惑かけたことは、なんとか必死で働いて取り戻せるかも知れない。
けれども剛三に対して、どうしていいかわからなかった。
剛三が城田さんになにをするのか。
それがとても怖かった。
「和真さんの仰ったことは、尤もだと思います」
城田さんが言った。
「僕は、あなたを守ると決め、こうして一緒に逃げることが、あなたにとって良いことだと思っていました」
「・・・」
「でも・・和真さんに、県外へ逃げても追っ手が来たらまた逃げるのか、と言われた時、僕はあなたを守っているのではないのだと気づかされました」
「城田さん・・」
「僕は頼りない男ですね」
「そんなことありません!」
「いえ、この年になって、現実から目を背けることしかできないなんて、自分が情けない限りです」
「だから、そんなことないですって」
「あなたにそう言われれば言われるほど・・自分の愚かさが身に沁みます」
私たちのしたことって、そんなに間違ってるの?
自分勝手なわがままでしかないの?
私たちが悪いの?
私が・・剛三の手籠めにされることが・・一番よかったっていうの。
誰にも迷惑かけず、私一人が我慢すればよかったの。
私はそう考えたとたん、涙が溢れてきた。
「水樹さん・・」
「わ・・私が・・糸田の女にさえなれば、こんなことにはならなかった・・」
「なにを言ってるんですか」
「嫌だけど・・そうすればこんなことには・・」
「だから、それは僕が嫌だと言ったでしょう!」
「でも他に何ができるって言うの!」
「水樹さん・・」
「だってそうでしょ!それ以外に解決方法なんてない。私が拒めば今度は城田さんが酷い目に遭うんです!」
「そのために、僕にあなたを諦めろというのですか」
「そんなこと・・」
「そう言ってるではありませんか」
こうして私たちの話し合いは、出口が見つからないままに終わった。
翌日、私は一人で境内の掃除をしていた。
城田さんは本堂の中で、瞑想にふけっていた。
そこで私は何気なく山門の方を見ると、誰かが寺に入って来るのが見えた。
私は急いで本堂の裏手に回り、身を隠した。
「和尚さん、ご無沙汰してます」
女性の声だわ・・
「ああ・・そうでしたね」
和尚は女性が来たわけを知っている風だった。
「月命日もと思いつつ、つい足が遠のいてしまって」
えっ・・
この声って・・
「ご先祖様が化けて出ますね」
この声・・江梨子姐さんだ・・
私はそっと覗いてみた。
するとやはり江梨子だった。
私は思わず涙が溢れた。
「それじゃ、和尚さん、失礼します」
江梨子は和真に頭を下げて、墓の方へ向かった。
私は江梨子が戻るのを待っていた。
声をかけてもいいんだろうか・・
きっと叱られる。
でも・・姐さんと話がしたい・・
ほどなくして江梨子は墓参を済ませ、境内の方へ歩いてきた。
「姐さん・・」
私は本堂の陰から姿を現した。
「えっ・・」
江梨子は私を見て絶句していた。
そして私の方へ向かって来たかと思えば、いきなり私の頬を叩いた。
「水樹・・あんた出家でもしたのかい」
「姐さん・・」
「みんなどれだけ心配してると思ってんだい!」
「すみません・・」
「それで、若旦那はどうしてんだい」
「本堂にいます・・」
「まったく・・なにやってんだい!」
江梨子はズカズカと本堂へ入って行った。
私も江梨子を追いかけた。
「若旦那!」
江梨子は大声で怒鳴った。
すると城田さんは驚いて振り向き、江梨子を見て複雑な表情を浮かべていた。
「ちょっと、若旦那。こんなところでなにやってんだい」
江梨子は城田さんの前に座った。
「・・・」
「答えな!」
それでも城田さんは何も言えなかった。
「若旦那、あんたの家じゃ、大騒ぎになってるよ」
「わかっています・・」
「水樹をそそのかして、一体、どういう了見だい!」
「ちょっと姐さん、待ってください」
私がそう言った。
「そそのかすだなんて、とんでもないです。城田さんはそんな人じゃありません。今回のことは私の責任なんです」
「当たり前だ!水樹も同罪さ。けどね、若い女を連れて逃げるってのは、自分の人生と女の人生を背負うってことさ。そんな覚悟もないくせに、茶番をやってんじゃないよ!」
「姐さん、違います。城田さんは自分の人生をかけて、私を連れて逃げてくれたんです」
「ああそうかい。で?こんなところで坊主ごっこかい。おまえさんたちの人生ってのは、そんなに軽いもんなのかい」
「・・・」
「男の責任ってのはさ、ちゃんとけりをつけることだ。ましてや女を連れだしたんだ。女の方のけりもつけるんだよ」
「姐さん・・あんまりじゃないですか・・」
「あんまりだあ?」
「私たちのやったことって、そんなにいけないことですか・・」
「ダメに決まってんだろう!」
「じゃあ、私はどうしたらよかったんですか!あのまま糸田の女になってればよかったとでも言うのですか!」
「そんなこと言ってやしないよ!けりをつけろって言ってんだよ」
「・・・」
「無責任に全部を放り出して、よかっただあ?バカ言ってんじゃないよ!」
それからしばらく、江梨子の説教が続いた。
「わかった。後は私に任せな」
「え・・」
「若旦那」
「はい」
「お前さんは家へ戻りな」
「・・・」
「水樹と一緒になりたかったら、みんなを説得するんだよ」
「はい・・」
「それと水樹」
「はい・・」
「あんたは私の家へ来な」
「え・・」
「私が店と話をしてやるから、そうしな」
「はい・・わかりました」
こうして私と城田さんは寺を後にした。




