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カフヒーで始まった恋  作者: たらふく
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三十六、逃避行




「逃げる覚悟って・・」


私はあまりのことに、言葉に詰まった。


「ですから、なにがあったのか、話してください」

「でも・・城田さんには関係のないことですから・・」

「関係ない?ではさっき、なぜあんなことを言ったのですか」

「・・・」

「なぜ、僕に抱きしめてくれと言ったのですか」

「それは・・」

「水樹さん・・」


城田さんはため息交じりに私を呼んだ。


「僕は人の気持ちを察することが苦手です。心の奥を読み取るなどできません」

「・・・」

「でも水樹さんが、僕を好いてくれてることくらいはわかっていました」

「・・・」

「僕にはあなたの気持ちに応える勇気がありませんでした。呉服屋の跡取りということもあり、一歩踏み出せずにいました。けれども僕は、次第にあなたに惹かれていく自分の気持ちに気づき、あなたに浴衣や櫛を贈りました。それが僕にできる精一杯のことだったのです」


え・・

今、なんて言ったの・・

私に惹かれてく・・って言ったよね・・


「けれども僕は、そこから先には踏み込めずに、両親が勧める内藤(ないとう)民子(たみこ)さんと見合いをしました。民子さんはとてもいい人ですが、僕の気持ちは傾きませんでした。でも、両親にはそのことを正直に話すことができずにイギリスへ行くことを決めたのです」

「・・・」

「でもそれは結局、民子さんからも水樹さんからも逃げていたにすぎません。僕がここへ来たのは、自分の気持ちを確かめるためでもあったのです。自分の気持ちが本物なのかどうかを・・」

「城田さん・・」

「僕ははっきりとわかりました。ですから、あなたは僕と逃げる覚悟ができますか」

「逃げるって・・どうして・・」

「あなたが死のうとした理由は、こんな僕でも薄々とはわかります」

「・・・」

「僕にはなんの力もありません。僕が糸田に戦いを挑んでも敗北するのが落ちです。だから逃げるしかありません」

「でも、呉服屋はどうするのですか・・」

「それを考えていては、なにもできません。水樹さん、どうしますか。僕と逃げますか」

「城田さん・・ほんとにいいんですか・・」

「はい」


城田さんの目は真剣だった。

私は「そうしてください」と喉まで出かかっていた。

でもほんとにいいんだろうか・・

城田さんの人生を壊してしまうことになる・・

そんなこと・・私にはできない・・


「城田さん・・」

「はい」

「逃げるなんてダメです・・」

「え・・」

「跡を継がなければ、呉服屋は潰れてしまいます。そうなったら和装を残したいという城田さんの気持ちが踏みにじられます」

「水樹さん・・」

「私は大丈夫です。城田さんは気持ちを打ち明けてくれました。だからもう死のうなんて思いません」

「でもあの店にいる限り、水樹さんは糸田のものになってしまうのですよね」


私はたまらず、顔を背けた。


「それは僕が嫌だ」

「・・・」

「きっと耐えられなくなってしまう。僕は嫌だ」

「城田さん・・」

「僕と一緒に逃げよう。水樹さん、そうしてください」


そうよ・・

水連亭にいる限り、近いうちに私は剛三の手籠めにされる。

そうなったら、もう城田さんとは会えない。

そんなの、耐えられない・・


「城田さん・・私を連れて逃げてくれますか・・」

「当たり前じゃないですか」


城田さんはそう言って、今度は私をきつく抱きしめた。


「水樹さん・・僕はあなたが好きです・・」

「・・・」

「僕に着いて来てください」


私は幸せ過ぎて、自分の気持ちをどう表現しようにも、言葉が見つからなかった。

けれども、逃げるということは、城田さんの人生を狂わせてしまう。

その気持ちの葛藤が、苦しくなるほど痛かった。


それから私たちは、横浜の小さな旅館へ入った。

私の持ち合わせは微々たるものだったが、城田さんは「僕に任せてください」と言った。

やがて女将に案内され、私たちは二階の六畳の部屋に通された。


ここまで来るのに、二人ともいわば「熱く」なっていたので、突然我に返ったように、私と城田さんはぎこちなくなった。


「いい部屋ですね」


城田さんが気を紛らすように言った。


「はい・・そうですね・・」


私も顔を逸らしながら答えた。


「座りましょうか」


城田さんが先に座り、私は少し離れて向き合う形で座った。

部屋には床の間もあり、花瓶が置かれてあった。

私は直ぐに立ち上がり、窓の障子を開けると、横浜港が見えた。


「もう真っ暗ですね」


私の後ろで城田さんが座ったまま、そう言った。


「そうですね・・」


私は港を見つめたまま答えた。


「お腹が空きましたね」

「あっ・・そう言えば、私、朝から何も食べてませんでした」


そう言って振り返ると、城田さんは私を優しく見つめた。


「女将に頼んできますよ」


城田さんはそう言って立ち上がり、部屋を出た。


なんか・・とんでもないことをやってしまったのでは・・

今ごろ・・店では大騒ぎになっているに違いない。

水連亭だけじゃない。

呉服屋だって同じだわ。


私は後悔などしていなかったが、糸田の復讐が怖かった。

いや・・私にならいい。

次の矛先が、城田さんに向くことが怖かった。


やがて食事も済み、部屋には二組の布団が敷かれた。

私たちは部屋の隅に座って全く動くことができず、互いに固まったままだった。


「あのっ」


私と城田さんは同時にそう言った。

すると互いに「あはは」と笑い、少し緊張が解けた。


「あまり緊張すると、身体によくないですね」


城田さんがそう言った。


「そうですよね」


私はニコッと微笑んだ。


「そろそろ寝ますか」


城田さんがそう言い、私は「はい」と答えた。

私たちはそれぞれの布団に入った。

そして顔を見合わせた。


「水樹さんが僕の贈った浴衣を着てくれて嬉しいですよ」

「私も本当に嬉しいです」

「とても似合っていますよ」


私はそう言われたとたん、布団で顔を隠した。


ダメだ・・ドキドキする・・

めちゃくちゃ緊張するんだけど・・


「水樹さん」


うわ・・呼ばれた・・

どうしよう・・


「はい・・」


私は顔を隠したまま返事をした。


「こっちへいらっしゃい」


げ~~~・・

ダメです。

まだ心の準備が・・


私は目だけ布団から出した。


「あはは。なにをやってるんですか」

「なにも・・」

「こっちへいらっしゃい」


城田さんはそう言って手を出した。


「・・・」

「心配しなくてもいいですよ。なにもしません」

「ほんとですか・・」

「はい」


私は心臓が破裂しそだったが、城田さんの布団に入った。


「一緒に寝ましょう」


ううっ・・ち・・近い・・

ダメだ・・もう死にそうだ・・


その夜、城田さんは本当に何もしなかった。

ただ私を優しく包んでくれたのだった。

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