三十四、直談判
その後、店への直接の被害はなかったが、その代わり、女子たちが使いに出かけたおり、変な男につけ回されたり、男の子たちが駄菓子屋へ買いに出かけた時、男に突き飛ばされることが続いた。
そして極めつけは、江梨子の家に石が投げられたことだ。
私はこれらの全てが糸田の仕業だと直感した。
もう私は黙っていられなくなり、糸田の家へ行くと決めた。
その際、おばあにも、店のみんなにも黙って、一人で行くことも決めた。
「女将さん、掃除が終わったら買い物に出かけてもいいですか」
私は幸恵に相談した。
「ああ・・いいけど、店が開く時間までには戻って来るんだよ」
「はい、わかりました」
そして私は掃除を終わらせ、糸田の家へ向かった。
以前、おばあと出掛けた時は、人力車で行くことができたが、私は自分の足で歩いた。
それはある種、覚悟のようなものだった。
心が折れないように、糸田と対峙するためでもあった。
一時間半ほど歩いて、ようやく糸田家の門までたどり着いた。
夏が過ぎて季節は秋に差し掛かっていたが、直射日光を受けた私はそうとう疲れていた。
私は門をくぐり、玄関まできた。
「ごめんください」
私が声をかけると「どちら様ですか」と、先日のお手伝いの声がした。
「水連亭の者です」
そこで扉が開いた。
「あ、先日の・・」
お手伝いがそう言った。
「若旦那様はご在宅でしょうか」
「あ・・はい。お待ちください」
お手伝いはそう言って中へ戻った。
いるんだ・・
よし・・
今日こそ言ってやる。
決着をつけてやるわ。
ほどなくして剛三が現れた。
「おや、水樹じゃないか」
憎たらしくも剛三は、しらっと言ってのけた。
「お話があるんですが」
「話?」
「家へ上げてくれとは申しません。ここでいいですから話を聞いてくれませんか」
「わざわざ出向いてくれたのに、そんなわけにはいかないよ」
剛三はそう言って私を上がるように促した。
「では・・失礼します」
私は足を踏み入れた。
「おーい、富美」
剛三は誰かの名を呼んだ。
するとお手伝いが「はい」と言ってこの場へきた。
「お前は外に出てなさい」
「は・・はあ・・」
「ちょっと待って」
剛三はそう言い残して、奥へ行った。
お手伝いはきょとんとして私を見た。
「ほら、これを持って行きなさい」
戻った剛三はお手伝いにお金を渡していた。
「若旦那様・・これは・・」
「いいから。芝居でも観てきなさい」
「でも・・」
「いいから!」
戸惑うお手伝いに剛三が怒鳴ると、「はい・・」と言って、そのまま外へ出た。
なに・・
どういうこと・・
私は一抹の不安を覚えた。
「今日は・・旦那様はいらっしゃらないのですか・・」
私が訊いた。
「父は海外出張だよ」
剛三はニヤリと含み笑いをした。
これは、ヤバい・・
帰らなくちゃ。
「あの、またにします」
私がそう言って玄関を出ようとすると、剛三が私の腕を掴んだ。
「離して!」
私は振り払おうとしたが、力が及ばなかった。
「なにするんですか!やめてください!」
「水樹はなにしにここへ来たんだよ」
「なにしにって、話ですよ」
「だから上がればいいじゃないか」
「嫌です!帰ります!」
剛三は無理やり私を中へ入れ、玄関の扉を閉めた。
「なにするんですか!」
「さあ、おいで」
私は剛三に引っ張られ、以前、寛二郎に通された部屋へ無理やり入れられた。
「ちょっと、なにするつもりですか!」
「あはは。なにって決まってるじゃないか」
「勘違いしないで!私はあなたに言いたいことがあって来たの」
「なんだよ、それは」
「あなた、水連亭のありもしない噂を流したり、店に難癖つけるよう差し向けたり、うちの女の子たちの後をつけ回したり、男の子を突き飛ばしたり、江梨子姐さんの家に石を投げたり、それは全部あなたの仕業でしょ!」
「あはは。おもしろいこと言うね」
「とぼけないで!それって私に対する嫌がらせよね」
「察しがいいね」
「やっぱり!なんでそんな酷いことするのよ!」
「なんで?自分の胸に手をあてて聞いてみるといいよ」
「このこと全部、邏卒に言うから!」
「あはは。水樹はどうして僕をそんなに笑わせてくれるんだい」
「なによ!」
「僕は糸田造船の息子だよ」
「だからなんなのよ」
「水樹は世の中のこと、なにも知らないんだね」
「なによ・・」
「まあそんなことはいいから」
剛三は庭が見える障子を開け、縁側に座った。
「水樹もここへ座ったら」
剛三は振り向いてそう言った。
「誰が!」
「ふーん。まあいいよ。その代わり、あ、そうだ。あの女の子、なんて言ったかな。えっと・・初枝だったかな」
「え・・」
「あの子、美人だよね」
「ちょっと・・なに言ってるのよ」
「美人って言っただけだよ」
「まさか・・」
「女に美人って言うと、みんな喜ぶけどね」
「初枝になにするつもりよ」
「なにも?」
剛三はこの上ないくらい、気持ち悪い笑みを浮かべた。
「まさか・・馴染みにするんじゃないでしょうね」
「あはは。また水樹はおかしなことを」
「笑わないで!」
「僕があの程度の女に、大枚使うと思う?」
「え・・」
「そういうことだよ」
なによ・・
どういうこと・・
「察しが悪いね、水樹は」
「・・・」
「初枝に嫌な思いをさせてもいいのかな」
「ど・・どういうことよ!」
「僕には血の気の多い「子分」が何人もいるんだよ」
「なっ・・」
「わかった?」
「ちょ・・ちょっと待って」
「なにを?」
「やめて。初枝に手を出さないで」
「それは水樹が決めることじゃないよ」
「ど・・どうすればやめてくれるの」
「今さら言わなくてもわかるよね」
「・・・」
こいつは・・何が何でも私を馴染みにしたいんだ・・
そうしないと、剛三は嫌がらせをやめることがないんだ・・
なんでよ・・
どうして私じゃなきゃいけないのよ!
初枝が襲われたりしたら・・取り返しがつかない。
剛三はやると言ったらやる。
「私が馴染みになればやめてくれるの」
「水樹・・わかってるじゃないか」
「馴染みになれば・・店と店の者に嫌がらせをするのはやめてくれるのよね」
「うん、やめるよ」
「約束して」
「約束するよ」
そして私は家を後にした。
この日、剛三は私を手籠めにすることができたはずなのに、しなかった。
剛三は、あの離れに拘り、私が自ら出向いて自分の胸に抱かれることに拘ったのだ。




