三十二、因縁
無料券効果は直ぐに出た。
といっても、まだ客足が戻ってきたわけではない。
無料券を手にした、比較的若い人が大勢詰めかけ、見た目だけは"賑わい"を装っていた。
それでも私たちは、例え無料であろうと、お客を次から次へと案内し、みんなは、ここを乗り越えれば何とかなると希望を持っていた。
「いらっしゃいませ」
今しがた入ってきたお客に、私はそう言った。
「これ、無料券なんだけどよ、ここかい、飲ませてくれるってのは」
見た目、二十歳過ぎくらいの男性が、券を持参し女性を三人連れて入ってきた。
「はい、そうです」
「おーい、お前ら、やっぱりここだってよ。カフヒーとやらを飲ませてやるぜ」
男性は無料券一枚をかざし、女性たちに向かって自慢げに言った。
女性たちは「やったー」と声を挙げて喜んでいた。
えっと・・無料券は一枚で一人なんだけどな・・
この人、四人分をタダで飲もうとしている?
「あの・・申し訳ありませんが、一枚につき、お一人なんです」
私が説明すると、いきなり男性の顔が曇った。
「ああっ?お前らが駅前で「無料です、来てください」って、そう言って配ってたじゃねぇか。だからわざわざ来てやったんだよ」
「あの・・券を見ていただくと書いてあるんですが・・」
券には「一枚につきお一人さま」と書いてある。
「ああっ?俺はよ、字が読めねぇんだよ」
「そうですか・・申し訳ありません」
「おい、ねえちゃんよ。わざわざ来てやったんだ。一枚でいいじゃねぇか」
男性は全員に飲ませろと迫った。
どうしよう・・前例を作っちゃったら、他の客にもそうしないといけなくなる。
やっぱり断るしかない。
「申し訳ありませんが、百名様限定なんです。無料券は百名様にお配りしています」
「なんだと~~!これってよ、詐欺じゃねぇか」
「詐欺だなんて・・違います」
「あれだな、やっぱり水連亭ってのは、客を騙してやがんだ。まったく酷い店だねぇ」
「そんな・・騙してません」
「おい、お前ら、俺たちはこんな券につられてバカみてぇに来ちまったけどよ、飲ませねぇってんだから帰るしかねぇな」
男性は女性たちに向かってそう言った。
「ええ~~、せっかくお洒落して来たのにさ~」
「あたしなんて、親の手伝い放り出して来たんだよっ」
「あ~あ、嘘だったのかい。酷い店だね」
女性たちは、わざと他のお客にも聞こえるように、不満を言い放った。
どうしよう・・
このままじゃ、また変な噂が広がってしまう・・
おばあはあの日以来、奥に引っ込んだままだし・・
私の独断で決めるわけにもいかない・・
「ちょっとお待ちください」
私はそう言って、調理場へ走った。
調理場では、次から次へとコーヒーを湯飲みに入れ、盆が足りないくらいだった。
「おや、どうしたのさ」
私を見た真知子がそう言った。
「あの・・」
そこで私は受付で起こったことを話した。
「それって因縁をつけてるんじゃないのかい」
「そうですよね・・」
そうよ。
因縁をつけてるのよ・・そうとしか思えない。
「わかった。私が行くよ」
真知子はそう言って受付へ向かい、私も後に続いた。
「お客さま、お待たせしました」
真知子は玄関へ下りて、一礼した。
「で?どうなんだよ」
男性が答えを待った。
「この無料券は一人一枚とされておりますので、三名様はお代を頂戴しますけどよろしいですか」
実際、他の客は、みんなそうしていた。
真知子の説明は、なんら間違っていない。
「俺はよ、字が読めねぇんだよ」
「そうですか。でも、いま説明したとおりです」
「わざわざ足を運んだことを、どうしてくれるんだよ」
「真知子さん、どうしたんだい」
そこに江梨子がやってきた。
「あ・・江梨ちゃん」
江梨子は私たちのただならぬ雰囲気を、すぐに察した。
「おや、これはこれは」
江梨子が女性の一人を見て、そう言った。
その女性は、江梨子にそう言われ、バツが悪そうにしていた。
「今日は、若旦那とご一緒じゃないんですか」
江梨子は女性に訊ねた。
「・・・」
女性は無言のまま、下を向いた。
「今度は若旦那といらっしゃいな。無料券で店に難癖つけるような男じゃなくてさ」
「なんだよ、お前」
男性が江梨子に食って掛かった。
「あんた、それでも男かい。女を連れて来る時のイロハってもんを知らないのかい」
「なんだと!」
「あんなみたいな男をなんて言うか知ってるかい」
「なんだよ!」
「男のクズってんだよ」
「なっ・・」
「甲斐性なし、でもいいかね」
「言わせておけば・・この女!」
男性が江梨子に殴りかかろうとしたので、私は江梨子の前に出た。
「やめてください!」
「なんだと~~!」
「水樹、どきな」
江梨子は私を押しのけて、再び男性の前に出た。
「殴るんなら殴ってみな」
江梨子の迫力に、男性は少し怯んだ。
「できないのかい。それじゃとっとと帰りな」
「くっ・・」
「それと・・そちらのお嬢さん」
江梨子はさっきの女性を呼んだ。
女性は無言のまま江梨子を見た。
「若旦那によく言っておきな。小細工はおやめとね」
そう言われた女性は、図星を突かれたといった風に驚いていた。
そして四人は、この場を去った。
「姐さん・・」
私は思わずそう声をかけた。
「江梨ちゃん・・危ないところを・・ほんとに申し訳ない・・」
真知子が頭を下げた。
「なに言ってんだい。あんなの怖くもなんともないさ」
「姐さん・・若旦那って・・誰のことですか」
私が訊いた。
「糸田だよ」
「えっ・・」
「あの女、糸田のこれさ」
江梨子はそう言って小指を立てた。
「おそらく糸田に命令されたんだろうよ」
「・・・」
「まったく・・ここまでして水連亭に拘るかね」
なんてやつ・・
デマを流しただけでは足りないっていうの。
最低だわ。
「真知子さん、今後も気をつけた方がいいよ」
江梨子がそう言った。
「そうだね・・まったく、困ったもんだ・・」
「それと、水樹を守っとくれよ」
「ああ。わかった」
真知子はそう言いながらも、困り果てた様子だった。
実際、真知子一人でどうこうできる相手じゃない。
というか・・私がどうすればいいか。
みんなに迷惑をかけられない。
これは、水連亭というより、私に対しての嫌がらせなんだ。




