三十、デマ
その日の夜は、また女子たちが私の部屋に集まり、昨日と今日の顛末を話すと興味津々だった。
「それにしてもさ、水樹。糸田を突き飛ばして逃げるなんて、すごいじゃないか」
里はよほど痛快だったのだろう、嬉々としてそう言った。
「だけど、大変だったのよ。江梨子姐さんにも迷惑かけちゃって」
「でも、その、糸田の旦那さん、物分かりが良くて安心だね」
初枝が言った。
「うん。剛三とえらい違いよ」
「でも、また若旦那が指名したら、水樹ちゃんどうするの」
志歩が訊いた。
「もう来ないんじゃないかな。糸田の旦那様はよく言って聞かせるって仰ってたし」
「そっか。よかったね」
「おばあは、江梨子姐さんを解雇するって言ってたけど、それも見送るんじゃないかな」
「江梨子姐さん、さすがだわ。やっぱり私の憧れの人だわ」
また初枝がそう言った。
「うん、私もすごく好きになったわ」
「それより、城田の若旦那とはどうなってるのよ~」
房子が訊いた。
「どうって・・どうもなってないよ・・」
「えぇ~そうなの?」
志歩が落胆したように言った。
「でも、惚れてるんだろ」
里が訊いた。
「うん・・」
「きゃ~水樹ちゃんったら」
志歩が頬を押さえた。
「でもね・・城田さん、結婚するの・・」
すると全員が「ええ~~~!」と叫んだ。
「結婚って・・誰と!」
里が訊いた。
「内藤医院の先生・・」
「え・・内藤って、あの女医さん?」
美智乃が訊いた。
「そうなの。お見合いしたみたいなの・・」
「ありゃ~・・これは強敵だっ」
里がそう言った。
内藤医院は水連亭のかかりつけ医院だった。
みんなは、何度か診てもらったことがあるらしいので女医を知っていた。
「水樹ちゃん、気を落とさないで」
志歩が優しくそう言った。
「そうよ。またいい人が見つかるわよ」
房子もそう言った。
「水樹さ」
里が呼んだ。
「なに」
「若旦那は、あんたの気持ち、知ってんのかい?」
「どうかな。薄々は感づいているかも知れないけど、たぶん、知らないと思う」
「ならさ、気持ちを伝えたら?」
「ええっ!だって城田さんはもう結婚するのよ」
「まだしてないじゃないか」
「そうだけど・・」
「気持ちを伝えないまま終わっていいのかい」
「でも・・伝えたところでどうにもならないよ」
「まあ、それはあんたの勝手だけどさ。私なら伝えるね」
そんなことできないって。
伝えたところで、だからなに?で終わっちゃうのよ。
それに、城田さんを困らせるだけになるもんね・・
今はまだ、普通に話ができる関係だけど、告っちゃったら、もう話もできなくなるよ。
コーヒーも・・一緒に飲めなくなるよ・・
その後、おばあは江梨子の解雇を一旦は見送った。
江梨子はあの気性だからか、「あの日」のことは一切気にすることなく、割り切って仕事をしていた。
いちいち気にしてたら、仕事できないよね。
姐さんは、強い人なんだな・・
苦労してきた人は、出来が違うよね。
そして私は、いつもの日常を送っていた。
塾も段々と慣れてきて、子供たちも徐々に字を覚え、簡単な計算もできるようになっていった。
ちなみに、城田さんの英語は、まだ始まっていなかった。
というか、承諾を得られていなかった。
というのも、Tomという白人男性を、各地の観光地へ連れて行き、そのことに時間を取られていたからだ。
―――そしてある日のことだった。
「まったく・・なんだよこれ」
おばあは出先から帰ってきたとたん、一枚の紙を見ながら独りごとを言っていた。
「どうしたんですか」
受付に座っていた私は、おばあに訊ねた。
「どうもこうもないよ。誰がこんな嘘を・・」
部屋に上がってきたおばあは、私に紙を見せた。
そこには、こう書かれてあった。
―――水連亭は客が残した料理を使い回し、酒にも湯を足して薄めて出している。客を騙して大枚をふんだくるとんでもない店だ。
なに・・これ・・
完全にデマじゃない。
誰がこんなことを・・
「女将さん、これ、どこで・・」
「横浜駅だよ」
「え・・駅・・」
「見知らぬ男がこれを配ってたのさ」
「そんな・・」
「くそっ・・誰の仕業だ・・」
私は糸田ではないかと直感した。
寛二郎は物分かりのいい人だけど、剛三はそうじゃない。
プライドが高くて、手に入れたいものは、どんなことをしてでも手に入れる性格だ。
あいつは・・私を手に入れることに失敗し、おそらく寛二郎に咎められ、その腹いせにこんなことをしたに違いない。
きっと・・剛三の差し金よ。
「女将さん、警察に届けた方がいいんじゃないですか」
「警察ってなんだい」
え・・この時代、警察って言わないんだ。
「えっと・・お巡りさん?」
「ああ、邏卒のことかい」
「ああ・・はい」
私は意味がわからなかったが、そう返事した。
その後、おばあは警察に相談したが、誰の仕業かまったくわからなかった。
現代だと指紋とか、DNA鑑定とか、監視カメラとかあって、すぐに特定されるだろうに。
ビラが撒かれたのは一度だけだったが、この類のデマとは恐ろしいもので、噂が噂を呼び、水連亭の客足は徐々に減っていった。
ある日のこと、私は調理場へ行った時、みんなはすることがなくて、板の間で座っていた。
「水樹」
里が私を呼んだ。
「みんな・・どうしたの」
「どうしたって、この通りだよ」
里は、もう拭いたであろう食器を、念入りに拭いていた。
「受付・・誰も来ないの?」
美智乃が訊いた。
「うん・・」
「まったくさ~、暇ったらありゃしないよ」
里がまたそう言った。
「給金・・どうなるんだろうね・・」
志歩が不安げに言った。
「ほらほら、あんたたち!ぼさっと座ってないで手を動かしな!」
真知子が水を汲んで調理場に入ってきた。
「真知子さん。でも、やることがないんですよ」
里が言った。
「バカだねっ。そう言う時は、見つけるんだよ!」
「見つけるっていったてさ~」
「口答えするんじゃないよっ」
「真知子、じゃあ、一体、なにをするってんでぇ」
清助がそう言った。
「清さん、あんたまでなに言ってんだい。いつお客が来てもいいように準備しときなよ」
「客ねぇ。そんなものどこにいるってんだ」
二人はしばらくやり合っていた。
できることを見つける・・か。
でもなにをすればいいんだろう。
あ・・
ああっ!
そうだわ!
私は、ある考えが浮かんだ。
「みんな、聞いて!」
私の声にみんなは驚いていた。
そして私は、考えを話すことにした。




