二十五、おばあの頼み
それからしばらく経って、私はまた、おばあに住居へ連れて行かれた。
そして以前のように、おばあの部屋に座らされ、おばあは数冊のノートと鉛筆を置いた。
「これなんだけどね」
私はまた、なにが始まるのかと、少々不安だった。
「店の掃除が終わると、開店まで時間があるだろ」
「はい」
「その時間を利用して、子供たちに字を教えてやってほしいんだよ」
「え・・字、ですか」
「漢字は難しいだろうから、平仮名を教えてやってくれないかい」
「はい、いいですけど・・」
「それと足し算と引き算もだよ」
「そうですか・・」
「あの子たちには、私から言っとくから。そうだな、一日一時間程度で頼むよ」
「はい、わかりました」
「部屋は、ここを使うといい。そのうち、机も買ってやるよ」
なんだか・・ケチのおばあにしては、妙に気前がいいこと言ってるけど・・
これって、なにかの策略・・?
「それとさ・・」
おばあは少し口籠った。
「あんた、城田の若旦那と仲がいいだろ」
「え・・別に仲がいいわけではありません」
「いやさ、本来なら私からお願いに上がるのが筋ってもんだろけど、ここはあんたが口を利いてくれないかい」
おばあは私の言い分など、スルーしていた。
「なにをですか」
「若旦那にエゲレス語を頼みたいんだよ」
「頼みたいって・・男の子たちに教えるってことですか」
「そうだよ」
私には、いわゆる読み書きそろばんで、城田さんには英語を。
一体、なにを考えてるんだろう・・
「あの・・女子たちには教えなくてもいいんですか」
「はっ、女に学なんて必要ないんだよ。女は嫁に行って子供を育てる。それが女の役割ってもんさ」
うっわあ~~・・現代じゃ全く通用しない感覚だわ。
「あんただってそうなんだよ?たまたま学があるってだけのことさ。ここを終えたら家を手伝って嫁に行くんだよ」
「そうですか・・」
「これからは国際人の時代だ。男は学んで外へ出て行くのさ」
「・・・」
「それを家で女が支える。世の常だよ」
やっぱりこの時代ってそうなんだよね。
男尊女卑っていうか・・
いや、封建制度・・?
あ、これはもっと昔か。
「なんだよ。なんか不満そうな顔だね」
「いえ・・別に・・」
「あんた言っとくけどさ、私は別に女を侮蔑してるつもりはないんだよ」
「はあ・・」
「私だって女だ。だけどね、人間にはそれぞれ役割ってもんがあるんだ。男は外へ出て働く。女は家を守る。それでちょうどいいつり合いなんだよ」
「でも・・女も学ぶことくらいはいいんじゃないですか」
「けっ、そんな時間があるなら、家の手伝いをするんだよ」
「・・・」
「掃除、洗濯、炊事、いくら時間があっても足りないくらいさ」
「・・・」
「嫁に行くと、それに子育てが加わる。舅姑とうまくやらなきゃならない。どれだけ大変だと思ってるんだい」
「まあ・・確かに・・」
「私もさ、ここに来た時、えらい目に遭ったんだよ」
え・・
ちょっと・・
愚痴モードになってませんか・・
「それでも私はやりこなした。しかしまあ、甚五郎には子がいない。こりゃ養子でもとらないと店が潰れるよ」
「そうですか・・」
あの・・もう、いいんですけど・・
私がそう思うのとは逆に、おばあは延々と愚痴を喋り続けた。
「あのっ」
私はたまらずそう言った。
「なんだい」
「し・・城田さんに、頼んできます・・」
「あっ、そうしてくれるかい。頼んだよ」
そして私はやっと解放された。
私はいまいち、消極的だったが、仕方なく城田さんの家へ向かった。
「こんにちは」
私は扉を開けて中へ入った。
「いらっしゃいまし」
奥から徳が出てきた。
「あ、お嬢さんでしたか」
「どうも。あの、先日は浴衣を直していただいて、ありがとうございました」
「いいえ。お安い御用ですよ」
「えっと・・若旦那はいらっしゃいますか」
「ああ、はい。ちょっとお待ちになってください」
徳は奥へ城田さんを呼びに行った。
するとすぐに城田さんが出てきた。
「こんちには・・」
「こんにちは。なにかご用ですか」
「あの・・突然で申し訳ないんですけど、うちの男の子たちに英語を教えていただきたくて、お願いに上がりました」
「英語を・・」
「はい」
そこで私は、おばあに頼まれてきたことを説明した。
「でも英語なら、水樹さんができるじゃないですか」
「いや・・私、単語はそこそこ知ってますけど、会話なんて無理ですし」
「そうですか・・」
「城田さん、そろそろお暇しますね」
そう言って奥から出てきたのは、内藤医院の女医だった。
え・・
なんで・・
「なんのお構いもしませんで」
城田さんがそう言った。
「あら・・」
私を見て女医がそう言った。
「ど・・どうも。先日はありがとうございました」
「バレなかった?」
女医は笑って、私にそう訊いた。
「あ・・ええ・・まあ・・」
「水樹さん、内藤さんと知り合いなんですか」
城田さんが訊いた。
「この子は、私の患者ですよ」
女医が答えた。
「そうでしたか」
「それじゃ、私はこれで。お父様とお母様によろしくお伝えください」
女医はそう言って私の横を通り過ぎた。
「なにかあったら、来なさいね」
女医は私にもそう言って出て行った。
「それで、英語のことですが、場所はどちらなんですか」
城田さんが訊いた。
「店の奥にある、部屋です。客間ではありません」
「そうですか。考えておきますので、後日、お返事しますね」
「はい、よろしくお願いします」
そして私は頭を下げて店を出た。
「お兄さん、内藤先生、もう帰られたの?」
後ろで千代の声がして、私は立ち止まった。
「うん」
「なーんだ。もっとお話したかったのにな。いずれお義姉さんになるんだもん」
「いいから、奥へ行きなさい」
え・・
今、なんて言った・・?
お義姉さん・・?
城田さんのお見合いの相手って・・あの女医さんだったんだ・・
私は完璧に負けたと思った。
もうダメだ・・
あんなに綺麗で賢い人に、敵うはずがない。
私は立っていられないほど、魂が抜けていくような心境だった。




