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カフヒーで始まった恋  作者: たらふく
23/55

二十三、流行病




―――それから五日後の午後九時ごろ。


とうとう次の指名がきた。

もちろん剛三だ。

私はおばあに離れ用の着物を手渡され、「いいかい、くれぐれも粗相するんじゃないよっ」と、きつく念を押された。


この間の作戦は、もう通用しない。

剛三は・・「次はないよ」って言ってたし・・

逃げればいいんだろうけど・・そうなると、どのみち店は潰されることになる。

どうしよう・・

私はこのまま、あの気持ち悪い男の言いなりに・・?


嫌だ・・嫌だ・・

耐えられない。


徳利を持って調理場を出ようとした時、女子たちは憐れむような表情で私を見ていた。


うっ・・お願い、そんな目で見ないで。


盆を持つ手が、かすかに震え、徳利がコトコトと音を立てた。

清助も、助手の定吉も、気の毒そうに見ていた。


「水樹、ほらっ、しっかりしな!」


私は真知子に檄を飛ばされた。


「は・・はい・・」


私はそう言いながら、涙を流した。


「泣いてたら、若旦那の気分を害するよ。泣き止みな」


真知子は手拭で私の目じりを拭った。


「ほら、若旦那がお待ちだよ。行きな」


私は小さく頷いて、階段へ向かった。


「水樹・・」


後ろから里が追いかけてきた。


「え・・なに・・?」


私は足を止めて振り向いた。


「あんたさ・・もう覚悟を決めろよ」

「え・・」

「なんていうの、こんなのさ、一瞬で終わるんだよ。それにたくさん金を貰えると思って、開き直るんだよ」


里は、どこかしら言いにくそうにしていた。


「里・・」

「目を瞑って、ほんのちょっと我慢してりゃいいのさ」


言葉は乱暴だったが、これは里なりの励ましてあると察した。


「里・・私、嫌なの・・ううっ・・」


私はまた涙が出てきた。


「水樹・・」

「でも・・粗相をしたら、店を潰すって言われてるの」

「そっか・・」

「逃げちゃダメだよね・・」

「逃げるって・・あんた・・」

「わかってる。逃げないよ。店を潰されたら、里たちを路頭に迷わせることになるもんね・・」

「・・・」

「ごめん。じゃ、行ってくる」


私は階段を上がろうとした。


「ちょっと待って」


里に引き止められた。


「え・・」

「あんたさ・・城田の若旦那のこと考えてるだろ」

「えっ・・そんなっ・・」


そんなどころか、図星だった。


「嘘言ってんじゃないよ。顔に書いてあるって」

「・・・」

「わかった、それ、貸しな」


里はそう言って私から盆を引き取った。


「ちょっと・・里」

「あんた、具合が悪くなったことにしなよ」

「え・・」

「それも、流行病はやりやまいってことにするんだよ」

「流行病・・」

「そしたら、さすがに糸田も無理強いはしないだろうさ」


里はクスッと笑った。


「それで・・里がこれを運んでくれるの?」

「うん。私が言っとく」

「上手くいくかな・・剛三は勘が鋭いし・・」

「それじゃ、あんた行きなよ」

「え・・」

「どうするのさ、行くのか行かないのか」

「えっと・・それじゃ、里、お願いできる?」

「ああ、わかった」


そして里は階段を上がって行った。

私はどうしようかと思ったが、この場で里を待つことにした。

しばらくすると里が下りてきた。


「里、どうだった?」


すると里は、笑いながら下りてきた。


「あはは。上手くいったよ」

「ええっ、そうなの?」

「なんかさ、明日、外国の貿易商人に会うんだって。だから帰るって言ってたよ」

「そうなんだ」

「でもさ・・また来るって言ってたよ」

「そっか・・」

「あいつ、あんたを”もの”にするまで諦めないつもりだね」

「・・・」

「まあ、今日のところは難を逃れたんだし、また考えればいいさ」

「里・・ほんとにありがとう・・」

「あいつ、私を指名してくれれば、たんまりせしめてやるのにさ」


里はまた、そう言って笑った。


「里・・」

「あんたさ、とりあえず自室へ戻りな」

「え・・」

「それで寝るんだよ」

「あ・・うん」


私は里に言われた通り、自室へ戻った。

そして布団を敷いて横になった。


里・・いい子だな・・


私は剛三の難を逃れたことよりも、里が私のために一肌脱いでくれたことが、なにより嬉しかった。



そして次の日、私はおばあに「医者へ行くよっ」と言われた。

私は仕方なく、おばあに連れられ、町医者へ向かった。


どうしよう・・

これって絶対にバレるよね。


「まったく・・間の悪いことだねっ」


おばあは、また私が剛三とそうならなかったことに、不満をあらわにした。


「すみません・・ゴホッ・・ゴホッ・・」


私はわざとらしく咳をした。


「単なる風邪だろ」

「はい・・そう思います・・ゴホッ」


ほどなくして着いたのは、「内藤医院」と書かれた場所だった。


「入るよ」


私はおばあの後に続いて、中へ入った。


「お世話になってます、井坂いさかです」


おばあは受付でそう告げた。


え・・おばあたちの苗字は井坂っていうんだ。

初めて知ったわ・・

というか・・おばあの下の名前ってなんだろう。


椅子に座って待っていると「井坂さんどうぞ」と診療室から声が聞こえた。

私とおばあは、中へ入った。


「先生・・どうも、いつもお世話になってます」


おばあはそう言って頭を下げた。


っていうか・・女医さんだわ。

よかった・・


その女医は、色白で若くて美人だった。

そして白衣を着ているせいか、とても賢そうに見えた。


「このお方はね、ここの娘さんなんだよ」


おばあが私に説明した。


「それで、患者さんはこのお嬢さんですか」


女医が言った。


「はい、なんでも風邪を引いたようで」

「わかりました。井坂さんは待合でお待ちください」


女医がそう言うと、おばあは「よろしくお願いします」と頭を下げ、診察室を出て行った。


「それで?いつから悪いの?」

「ああ・・えっと・・昨日から・・」


ダメだ・・絶対にバレる・・


「はい、口を開けて」


私は大きく口を開けた。

女医は舌圧子で喉を確認した。


「うーん、はい。じゃ、胸を出して」


私は胸を出し、聴診器をあてられた。


「うーん、はい、しまっていいですよ」


女医は次に脈拍を計った。


「はい、いいですよ」


女医はカルテに診察結果を書いていた。


「なにかあったの?」


女医は書きながら私に訊ねた。


「え・・なにかって・・」

「嘘をつかなきゃならない、なにかよ」


げ・・やっぱりバレてる・・


「別に・・」

「安心しなさい。井坂さんには言わないわよ」

「ああ・・はい、すみません」

「私もね、水連亭の事情は知ってるの。だからおおよその察しはつくわ」


この先生・・お見通しなんだ・・


「でも私も医者だから、何度もってわけにはいかないの。今回限りだからね」

「はい・・すみません・・」

「それでお薬は栄養剤を出しておくから。それでいいね」

「ありがとうございます・・」


先生のおかげで、なんとか嘘がバレずに済み、私たちは医院を後にした。


「治療費、給金から引くからねっ」


おばあは歩きながらそう言った。


はあ~・・がめついわっ。


私は「はい」と小さく答えた。

そこで私は、城田さんとすれ違ったことに気がついた。


あ・・


思わず振り向くと、城田さんは内藤医院へ入って行った。

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