二十、芝居
それから二日後。
水連亭に仕事で出向いていた江梨子に、私は城田さんのことを話した。
「ふーん。城田の若旦那ねぇ」
「姐さんの小唄が、たいそうお気に召されたみたいで・・」
「それで?若旦那はいつ起こしになるんだい」
「それはまだ訊いてませんけど・・」
「芸を買ってくれるのはありがたい話だ。お受けするから水樹から伝えといておくれね」
「わかりました」
そこで私は持ち場の受付へ戻ろうとした。
「ちょいとお待ち」
江梨子が呼び止めた。
「はい、なんですか」
「私が言うのもなんだけどね、糸田の若旦那には気をつけた方がいいよ」
「え・・」
「あいつ、あんたを狙ってるよ」
「そんな・・」
「私はね、小娘を相手にするなと何度も言ってんだけど、どうにも本気みたいでさ」
「私・・絶対に嫌です・・」
「そりゃそうだよ。私だって仕事だから相手してるけど、死んでも懇ろになんかなりたかないよ」
「私・・どうすればいいですか・・」
「そうだねぇ・・」
「ここの大女将に、指名されたら断るなって言われてるんです。金になるからって・・」
「酷い話だねぇ・・。ま、とにかく、私ができるだけ引き止めるようにするけど、いざとなれば逃げるんだよ」
逃げるって・・どこへ・・
逃げたら捕まえられたりしないのかな・・
「姐さんのお家って・・どこですか・・」
「え?私の家に来るってのかい」
「ダメですか・・」
「いや、まあ・・ダメってことはないけどさ」
「いざとなったら駆け込んでもいいですか・・」
「うーん・・まあいいさ。私の家はね・・」
そして江梨子は自宅を教えてくれた。
その実、私は城田さんに助けを求めたかったが、それはもう叶わないことだと知っていたので、藁をもすがる思いで江梨子に頼むしかなかった。
そしてあの日以来、城田さんが私を指名することは途絶えていた。
といっても、一見の客として妹の千代や、友人と思しき男性たちと来店することは時々あった。
城田さん・・もう完全に私から引いちゃったんだな・・
嫌われてはいないだろうけど、糸田と関わりあいたくないんだよね。
気持ちはわかるけど、結局、私って城田さんにとっては、その程度の存在だったのよ。
「水樹」
私が受付で座っていると、おばあに声をかけられた。
「はい」
「あんたさ、城田の若旦那となにかあったのかい」
おばあは私の耳元で囁いた。
「何もないですけど」
「嘘をお言い」
「え・・」
「あんた浴衣まで貰っといて、なにやってんだい」
「どういう意味ですか・・」
「あんたさ、若旦那と寝たのかい」
「なっ・・そんなっ・・寝てませんよ」
「バカっ!男が女に物を贈るってのが、どういうことか、わかってんのかい!」
「・・・」
「それでか。若旦那が指名しなくなったのは」
「ち・・違いますよ」
「それしかないだろ。まったく・・あんたって子は」
おばあは怒っていたが、想像していたのと違う気がした。
なんか・・本気で怒ってないっていうか・・
「まあいいさ。それでだ。糸田の若旦那からご指名が掛かったから、着替えて行くんだよ」
「えっ!」
「驚くことはないだろう。酌もして来たんだし、いずれはこうなることはわかってんだよ」
「それって・・離れってことですか・・」
「そうだよ。まあ城田の若旦那を掴み損ねたのは残念だが、糸田の若旦那が馴染みになってくださるんだ。それで目を瞑ってやるよ」
「い・・嫌です・・」
「子供みたいにわがまま言うんじゃないよ。あんた、そもそも選ぶ立場じゃないんだよ。選ばれる立場なんだ。よく心得ておきな」
そんな・・
嫌だ・・
死んでもあんな、いやらしい男と・・
「さっさと着替えな!」
私はおばあに突き飛ばされた。
「うっ・・ううっ・・」
突然、涙が溢れてきた。
「みっともない。泣くんじゃないよっ」
私は絶望感に襲われながらも、離れ用の着物に着替えるしかなかった。
こんなっ・・
こんな屈辱・・
耐えられない・・
「着替えたらさっさと行きな!」
私はおばあに急っつかれた。
何で私がこんなこと・・
元々は、城田さんが私をこの時代に送り込んだんじゃないの。
なによ、この展開。
私は突然、怒りが湧いてきた。
よーし、行ってやろうじゃないの。
それでボコボコにして、逃げてやるんだ。
私は立ち上がって離れへ向かった。
階段を上る足も、ドスンドスンと、わざと音を鳴らした。
そして離れの前まで来た。
私はなにも言わずに立ったまま障子を開けた。
すると剛三が独酌で酒を呑んでいた。
「おお、水樹。来たか」
「お邪魔しますねっ!」
私はふてくされてそう言った。
「おい、いきなりどうしたんだ」
私の様子に、剛三は少々面食らっていた。
「どうもしてませんよっ」
そして私は胡坐をかいて座った。
「おやまあ・・」
剛三は口をパックリと開けていた。
「酌をしてくれ」
剛三は猪口を差し出した。
「はいはいっ!」
私は片手で徳利を持ち、注いだ。
「どうしたんだ。水樹」
「はあ?どうもしてませんよっ!」
「無礼にも程があるぞ」
「そうですかっ!」
「なにをそんなに怒ってるんだ」
「はああ?私はあんたみたいな男が嫌いなの。だから怒ってるの」
「こりゃ・・参ったな」
「ふんっ」
私は徳利を置き、そっぽを向いた。
「水樹」
「なんですかっ」
「そんなことして、僕が見抜けないとでも思ってるのか」
「え・・」
そう・・私はわざと無礼なことをやって、剛三が私を嫌いになる作戦に出たのだ。
「まあ、今回は大目に見てやるが、今度同じことをやったら、ただじゃ済まないからね」
「ど・・どういうことですか・・」
「店がどうなってもいいのか」
「そっ・・そんな・・」
「しかしまあ、お前の下手な演技は笑えた。なかなか面白いじゃないか」
「・・・」
「嫌がる女を手中に収めることほど、男冥利に尽きるものはないな」
「・・・」
「今日のところはお前の下手な芝居に免じて解放してやる。実際、酒も不味くなったしな。だが、次はないからな」
剛三はそう言って立ち上がった。
「ちょ・・ちょっと待ってください・・」
「なんだ。気が変わったのか」
「いえ・・あの・・どうか、私のこと、諦めてくれませんか・・」
「あはは。さっき言ったこと聞こえなかったのか」
「お願いですから・・どうか、諦めてください・・」
「それ以上言うな。さすがの僕でも許さないよ」
そして剛三は離れを出て行った。
しまった・・
逆効果になった。
どうしよう・・
次は・・やっぱり逃げるしかない・・




