十九、自惚れ
翌日、本当に城田さんが店に来た。
私は嬉しい反面、女子たちにまた嫌味を言われるのではないかと、複雑な気持ちだった。
おばあに渡された着物に着替え、私は調理場へ行った。
「あれま~、またお嬢さんが離れへ行くようだね」
里が当然のように嫌味を言った。
私はもう、相手にしないことにした。
そして、もくもくとコーヒーを作った。
女子たちが私に辛く当たることを、真知子も知っていたが、おそらく真知子も私に対しておもしろくない気持ちを抱いているのだろう、特に咎めはしなかった。
なによ・・以前は、「馴染みになったらいくら給金が貰えると思ってるんだい」なんて言ってたくせに。
やっぱり真知子も女よね。
そこは、嫉妬が働くんだわ。
けれども男性の清助は、私に好意的だった。
「水樹、昨日の祭りで仕入れたんだよ、これ」
清助は西洋のカップを私に見せてくれた。
「あ・・いいですね」
そのカップとソーサは、紅茶用に見えたが、私は湯飲み茶碗よりずっといいと思った。
「これな、女将さんに見せたら買い取ってくれてな。それで離れ専用にするんだとよ」
「へぇ~素敵ですね」
「まあ・・水樹のはないけどよ、お客にはこれを出しな」
「はい、ありがとうございます」
そして私はコーヒーを二人分作り、盆に乗せた。
「水樹・・」
私が調理場を出ようとしたら、清助が小声で私を呼んだ。
「はい・・」
「あまり気にするんじゃねぇぞ。女ってのはそんなもんだ。時間が経ちゃあ、笑い話になるってもんよ」
「はい、ありがとうございます」
「なにかあったら言いな。話くれぇは聞いてやっから」
私は嬉しくて涙が出そうだった。
「さっ、冷めるといけねぇ。早く持って行きな」
「はい・・」
そして私は調理場を後にした。
三階へ上がり、離れにつくと、もう城田さんは中にいるようだった。
「失礼します」
私は座って障子を開けた。
「ああ、どうも」
城田さんはどうやら、敷いていた布団を畳んだようで、部屋の隅に積み重ねられてあった。
「カフヒーお持ちしました」
私は中へ入り障子を閉めて、城田さんにコーヒーを差し出した。
「おや、西洋のカップですね」
「はい、料理長が仕入れてくれたんです」
「そうですか。これはいいですね」
城田さんはカップを手に取り、一口含んだ。
「ああ、美味しい。やはり水樹さんの淹れたカフヒーが一番です」
「ありがとうございます」
「水樹さんもどうぞ」
「あ・・はい。では遠慮なくいただきます」
そして私も一口含んだ。
うん、美味しいよ。
自分で言うのもなんだけど。
「それにしても、ここはいい部屋ですね」
「そうですか・・」
「静かでとても過ごしやすいですね」
「はい・・」
「ああ、そうだ」
城田さんは横に置いてあった、たとう紙を私の前へ差し出した。
「え・・」
「どうぞ、開けてごらんなさい」
「あ・・はい」
私は紐を解き、紙を開いた。
すると中から浴衣が出てきた。
なんて・・かわいいの・・
その浴衣は紺地に白の花柄模様が描かれてあり、とても清楚で素敵だった。
そして浴衣の下から白の帯も出てきた。
「水樹さんには、落ち着いた雰囲気の物が似合うと思いますよ」
「いえ・・あの、こんな立派な着物・・頂くわけには・・」
「僕に持って帰れと言うんですか」
「いえ・・そういうわけでは・・」
「あはは。遠慮しないでください。受け取ってくれますよね」
「は・・はい。では遠慮なく頂ます・・」
城田さん・・なんて優しいんだろう・・
大声で叫びたくなるわ・・
そこで突然、三味線の音と共に「逢うて別れて 別れて逢うて 千切れちぎれの雲みれば」と、かすかに江梨子の唄声が聴こえてきた。
「あれは・・誰が唄っているのですか」
「江梨子姐さんという、芸者さんの小唄です」
「ほぅ。これは粋ですね」
城田さんは、しばらく江梨子の唄声に聴き入っていた。
私も目を瞑って聴いた。
「恋しゆかしの一声は わたしゃ松虫主はまた
空吹く風の呑気さよ 男心はむごらしい
憎うなるほどにくいぞえ」
そこで遠くから拍手が聞こえてきた。
「いやあ~、素晴らしいですね」
城田さんも拍手を送っていた。
「はい、もう~女の私でも惚れ惚れするくらい綺麗なんですよ」
「そうですか」
「はい、それはもう」
「今度、目の前で聴いてみたいものですね」
「私からお声かけしておきましょうか」
「ええ、ぜひ」
その実、私は裏腹なことを言ってるのに気がついていた。
城田さんが江梨子姐さんを見ると、きっと惚れてしまうに違いない。
私はそれが怖かったが、浴衣を貰ったせめてものお礼だと思っていた。
「ところで水樹さんは、故郷はどちらですか」
「えっと・・」
ほんとは群馬なんだけど、この時代、群馬ってあったのかな・・
「群馬・・です・・」
「そうですか。また遠くから来られたのですね」
よ・・よかった・・もうあったんだ・・
あっ・・明治政府が廃藩置県を敷いたのよね。
だから群馬県でいいんだわ。
そういえば・・私がいるここって・・何県なんだろう。
以前、清助や初枝に、コーヒーの作り方を誰に教わったのかを訊かれた時、「横浜の港」って言っても、そこには疑問を挟んでなかったのよ。
ということは・・ここは神奈川県かな。
そうだとしたら、現代と同じだわ。
「僕はここの生まれです」
「そうですよね。呉服屋の若旦那様ですし」
「城田呉服屋は、江戸の初期から続いているので、もう三百年になります」
「おお~三百年!超老舗ですねっ」
「超・・?」
「ああ・・えっと、すごく長く続いてるんですね」
「ええ、まあ」
「あとをお継ぎになるんですよね」
「でも・・それも僕の代で終わりかも知れません」
「え・・どうしてですか」
「先日も言ったように、これからは洋装の時代です。和装は徐々に廃れていきます」
「そんなことないですって!昭和・・いえ、令和の時代までずっと続きます」
「昭和・・?令和?」
げっ・・しまった・・
時々、気を抜いてしまうんだよな・・私。
「英語で言うところのfutureですよ、future!」
「そうですか」
「future&futureですっ」
「あはは。よくわからないけど、水樹さんはほんと面白い人です」
「だから城田さん、自分の代で終わりなんて悲しいこと言わないでください」
「ありがとう」
城田さんの笑顔は、ほんとに綺麗というか・・上品というか・・
ずっと見ていたいわ・・
「あの・・城田さん・・」
私は糸田のことを話してみようと思った。
「なんですか」
「私・・もしかしたら、ここのお客で糸田という人がいるんですけど・・」
「はい」
「その人に・・その・・馴染みにされるかも知れないんです」
「馴染み?」
「えっと・・この部屋で・・その・・」
「ああ・・」
城田さんは察したようだった。
「それで・・指名されたら断れないんです・・」
「・・・」
「私・・嫌なんです。糸田さん、嫌いなんです」
「それは・・僕に助けてくれと言ってるのですか」
「いえ・・そうじゃないですけど・・」
「糸田って、もしかして糸田剛三のことですか」
「剛三・・いえ、名前までは知りませんけど、若旦那って呼ばれています」
「だとしたら、糸田造船の跡継ぎでしょうね」
「糸田造船?」
そこで城田さんは糸田造船のことについて、話し始めた。
「糸田造船は、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの会社です。外国と交易をするようになり、造船業は、ますます伸びしろがあります。これからは船の時代です」
「そうなんですか・・」
「剛三のことは、僕もよく知りませんが、父親の寛二郎は、名うてのcompany presidentです」
company president?
えっと・・社長ってことかな・・
「そうですか。社長ですか」
「はい」
なんか・・あの若旦那も、金に物を言わせてるって感じだったわ・・
「それで、僕にどうせよと」
「え・・」
「僕なんかに、どうこうできる相手ではありません」
え・・
うそ・・
そうなの・・
助けてくれないんだ・・
私は浴衣を貰ってすっかり勘違いしていた。
もしかしたら私のこと・・少しは気があるんじゃないかなんて・・
バカだ。
なんて浅はかで愚かな私。
「そうですよね。私ったらなんてことを。今の話は聞かなかったことにしてください」
「はい、そうします」
そしてその後は、なんだか重い空気が流れ、城田さんは水連亭を後にした。