十三、カフヒーの味
翌日、私は日頃の働きを認められ、午前中だけ休みをもらった。
これも、おばあが独断で決めた沙汰だった。
おばあは、なによりお金にうるさい。
一円もの取り立てを、いわば新米の私が簡単にやって見せたことで、おばあは上機嫌だった。
「ほら、これで甘いものでも買いな」
おばあは私に二銭手渡してくれた。
「ありがとうございます」
店が開店するまでは、奉公人の男の子たちはもちろん、給仕の女子たちも部屋の掃除をしなければならなかった。
私は申し訳ないと思いながらも、せっかくの厚意に甘えることにして外へ出た。
私はダメだと思いつつも、自然と足は城田呉服屋へ向かっていた。
店の前まで来ると、足がすくんでとてもじゃないが、中へ入ることはおろか、声をかけることすらできなかった。
「誰も出てこないな・・」
私は仕方なく、街ブラをすることにした。
大通りを向こう側に渡ると、行列を見つけた。
私はその場所まで行き、なんの行列かと確かめた。
すると「新装開店」と書かれたプラカードを持って「美味しいカフヒーの店だよ」と、宣伝する人が立っていた。
へぇ~・・
コーヒーの店か。
店の外装はまさに洋風建築だった。
私も入ってみようと思い、列に並んだ。
やがて順番が来て、私は店内へ案内された。
店内は、とてもモダンな雰囲気で、というか・・この時代じゃ最先端ってことよね。
いわゆる西洋のテーブルと椅子を使用し、テーブルには白のクロスが掛けられてあった。
窓にもレースのカーテンが掛けられてあり、私は見惚れていた。
「お客さん、この混雑ですので、相席になりますけど」
女性店員がそう言った。
「はい、かまいません」
私が案内された席には、こちらに背を向けて一人の男性が座っていた。
「こちらへどうぞ」
私は男性の向かい側に座った。
あ・・
ああっ・・!
そう・・私の目の前には城田さんが座って、本を読んでいた。
城田さんは顔を上げ、私を見て驚いていた。
「あ・・きみ・・」
城田さんは本を閉じ、テーブルに置いた。
「相席・・すみません」
「ああ・・いえ、どうぞ」
城田さんは戸惑いながらも、ニコリと微笑んだ。
なんか・・偶然カフェで会ったあの日と似てるよね・・
「今日は、お一人なんですか・・」
私が訊いた。
「ええ、まあ」
「そうですか・・」
「あなたもお一人なんですね」
「はい・・午前中だけ休みをもらったんです」
「そうですか」
私たちの会話は、とてもぎこちなかった。
私はまた、あの日のことを問いただしたかったが、逃げられそうな気がしてとどまった。
「それ・・何の本ですか」
私が訊いた。
「ああ・・これは『浮雲』という小説です」
「そうですか・・」
「二葉亭四迷はご存じですか」
誰・・二葉亭四迷って・・
「いえ・・知りません」
「それにしても、妹も言ってましたが、おたくのカフヒーは美味しいですね」
「そうですか、ありがとうございます」
「ここだけの話・・おたくの方が美味しいですよ」
城田さんは先にコーヒーを味わっていた。
そして小声でそう言った。
ちょ・・このシチュエーション・・そしてこのセリフ・・
まさにあの日と同じだわ。
そこに私のコーヒーが運ばれてきた。
私は早速、飲んでみた。
すると城田さんの言う通り、水連亭の方が美味しかった。
「ほんとですね。うちの方が美味しいです」
私はそう言って笑った。
「ですよね」
城田さんも笑った。
「同じコーヒーなのに、どうしてここまで味が違うのでしょうね」
私が訊いた。
「やはり作る工程とか、豆の分量に違いがあるんじゃないですかね」
「なるほど・・」
「おたくはどなたが作ってるんですか。やはり料理長ですか」
「あ・・まあ・・」
「ん・・?違うのですか」
「いえ、料理長が作ってるんですけど、最初に作り方を提案したのは私なんです」
「えっ・・これは驚いた。どうしてあなたが?」
「その・・横浜で・・」
私は初枝に説明したことと、また同じことを城田さんに言った。
「ほぅ。外国船ですか。それにしてもよく理解できましたね」
「ええ・・まあ・・」
「そうだ。こんど店へ伺いますから、その時はあなたの淹れたカフヒーを出してくれませんか」
「え・・」
「僕があなたを指名しますから」
「指名・・」
うっ・・
この言い方って・・馴染み云々って感じがする・・
意味は全然違うのはわかってるけど。
「あなた、お名前は?」
「白川水樹といいます」
「水樹さんか。いい名前ですね」
「ど・・どうも・・」
「あはは。こうしていると、なんだかお見合いみたいですね」
え・・
確かあの日、城田さん、同じことを言ってた・・
やっぱり・・なんかあの日と繋がってる気がする・・
「え・・そんな・・」
「あはは。冗談ですよ」
「はい・・」
それにしても・・さすがに呉服屋の若旦那だわ・・
今日も、着流しが似合ってる。
まるで俳優みたいだわ・・
「知ってますか」
城田さんが訊いた。
「なにをですか」
「日本もどんどん西洋の文化を取り入れ、僕のような和装は、時代と共に消えていく運命です」
「いえ、そんなことありませんよ」
「どうして?」
「着物はずっと愛されて残ってます」
「え・・残ってるって・・?」
「あ・・いえ、残ります。そりゃ洋装は増えるでしょうけど、和装だって形を変えながらも残りますよ。今なんて和装が見直されてるくらいですし」
「は・・?」
「あっ・・ああ・・えっと・・大丈夫ってことですよ!」
私はまた、大きな声を出してしまった。
「あはは。水樹さんは面白い人ですね」
「す・・すみません」
「水樹さんは、年はいくつなの?」
「十九です」
「ほーぅ。妹と同い年ですね」
あの日もそんなこと言ってた・・
でも・・妹さん・・亡くなったのよね・・
「城田さんは、おいくつなんですか」
「二十五です」
やっぱり・・同じだ・・
「そうなんですね・・」
「妹もカフヒーが好きなんですよ」
「そうですか」
「それじゃ僕はそろそろ行きますね」
「あ・・じゃ私も出ます」
そしてコーヒーは城田さんがご馳走してくれた。
「なんか・・すみません」
店を出て私は礼を言った。
「いいんですよ」
「では・・来店をお待ちしております」
私は頭を下げてこの場を去ろうとした。
「水樹さん」
私は城田さんを見上げた。
「お話ができて、嬉しく思いました」
「いえ・・こちらこそ、ありがとうございました」
「先日は、失礼なことを言って、申し訳ありませんでした」
「いえいえ、私の方こそわけのわからないことを言って、城田さんを困らせてしまいました」
「では、これで」
そして城田さんは大通りを渡って行った。