カイム・アラゴナー (360 ロストオデッセイ)
☆死んだ人に会う方法☆
「ロストオデッセイ」は、
突然世界に魔導力が溢れ出し、
わずか30年で急激に魔導文明が発達した
「魔導産業革命」と呼ばれる時代の世界を舞台に、
1000年を生きる不死の男・カイムが、
失われた記憶と世界の謎を求めて旅するRPGです。
今回はいつもと少し趣向を変えて、
カイムのセリフを1つピックアップしてみたいと思います。
話は少し前後しますが、
先日、筆者の連載小説「結衣の都市伝説ファイル」で
「兆し」という話を書きました。
詳しい内容は読んで頂けると非常にありがたいのですが(笑)、
恋人が死んで落ち込んでいる少女に、
友達が、「死んだ人に会う方法を教えてあげる」と言い、
その少女を自殺させるという都市伝説を題材にした話です。
(「兆し」はアレンジしてますので、
この話と内容は多少異なります。
なので、ネタバレではありません。念のため)
この話を書くに当たり、
「死んだ人に会う方法」についてネットで少々調べました。
すると、大手掲示板サイトや質問サイトに、
「死んだ人に会う方法を教えてほしい」という内容の書き込みが多く見られました。
親、兄弟、友人、恩師、恋人……会いたい人は様々出したが、
その会いたい理由のほとんどが、
「生きていたとき、たくさん迷惑をかけたけれど、
そのときはそんなことにも気付かなかった。
今は激しく後悔している。
会って謝りたい。あのとき言えなかった言葉を伝えたい」
というものでした。
それに対する答えも様々で、
「霊媒師に頼む」「某泉の人に頼む」「恐山に行く」から、
「そんな方法は無い、今を精いっぱい生きるしかない」とか、
「死ねば会える」といった前述の都市伝説の内容に沿ったものまで
(必ずしも都市伝説のようなブラック的な意味ではなく、
精一杯生きて天寿を全うすれば、死んだ後、必ず会えます、
という前向きな意見もありました)
様々でした。
それらを読んでいて、
私はふと、カイムがゲーム中に言った言葉を思い出しました。
ゲーム中、ある姉弟の母親が死に、
姉が、「死んだら魂はどうなるの?」と言う疑問を口にします。
するとカイムは、こう答えました。
「人は、死んで朽ちてゆくだけだ。
魂がゆく場所があるとしたら、記憶の中だ。
思い出という姿の永遠になる」
不死の身体を持つカイムは、
1000年と言う長すぎる時間を生きて来ました。
その中で数えきれない人々と出会い、
数えきれない人の死を見て来ました。
その結果たどりついた
「死とは何なのか?」という問いの答えの1つがこれなのだと思います。
カイムと違い、人の命には限りがあります。
決して永遠には生きられません。
人は死んだら、どうなるのでしょうか?
様々な意見があると思いますが、
私はこのカイムの言葉が、すごく深くて、心に残っています。
死んだ人にもう1度会いたい。
思いの強弱はあるでしょうが、
きっと誰もが1度はそう思ったことがあるはずです。
私も、死んだおばあちゃんに会って、
子供のころわがまま放題言って困らせたことを謝りたいと、
常々思っています。
(そりゃあもう、
ドラえもんの映画「おばあちゃんの思い出」なんて比じゃないくらい
わがままを言ってました)
しかし、普通に考えて、それは不可能なことです。
死んだ人はもう存在しませんから、話すことなどできないのです。
仮に死後の世界があるとしても、
死者の魂と会話することができる人はごくわずかで、
誰にでもできるものではありません。
しかし、本当にそうでしょうか?
カイムが言うには、死んだ人の魂は、記憶の中に行く、とのことです。
なら、死んだ人に会う方法は、すごく簡単です。
その人のことを思い出せばいいのです。
「あのとき、おばあちゃんにいろいろわがまま言って、
困らせたなぁ。ごめんね、おばあちゃん」
これだけでいいのです。
人は死んでも、その人のことを覚えている限り、
記憶の中で生き続けることができるのです。
あなたの大切な人は、あなたの記憶の中でずっと生き続けているのです。
死んだ人に会って謝りたい――。
あのとき言えなかった言葉を伝えたい――。
あなたの思いは、すでに叶っています。
あなたの会いたい人は、あなたの心の中にいます。
あなたがその人のことを思うだけで、
いつでも会うことができるのです。
だから決して、その人のことを忘れないであげてください。
いつも、心の中でその人に話しかけてあげてください。
あなたの大切な人は、
あなたの心の中で、これからもずっと生きていけるのですから。