第7話 知らないほうが、良かったのかも
伯爵への御目通りが叶った私達は、続けてほとんど名前だけの簡単な自己紹介をさせられ、今日のところは疲れているだろうからと、二人一組でゲストルームへと通された。
驚いたのは、その後だ。
部屋には決して粗末ではないきちんとした夕食が運ばれ、何とお風呂は猫足のバスタブで、花弁を好きに散らしていいという薔薇が沢山用意されていた。
極めつけはよく眠れるようにと蜂蜜のたっぷり入ったホットミルクで、大人の私にはブランデーに似たお酒を少し垂らしたものが振る舞われた。
それまで勝手ながら抱いていた一般的な生贄の扱い方とは随分違う。丁重にもてなされているような印象を受けて、私だけでなく他の女の子達も大分面食らっていた。
「……すぐに血を吸われる訳ではないんですね」
私と同室になった他の村の女の子、ライラちゃんがベッドに腰掛けながら呟いた。顔色はまだあまり良くないけれど、ひとまず今日のところは無事だ、という安心感からか、表情は先程までより明るい。
「うん、何か、拍子抜けしたね」
私ももう一つのベッドにダイブしながら言葉を返す。
わお。ふかふか。まるでちょっとお高めのホテルのベッドみたい。
「それにしてもライラちゃんは、村から一人だったんだね。ただでさえとんでもない役目なのに、心細かったね」
ごろりと身体を仰向けにしながらそう言うと、彼女は『ライラ』でいいですよ、と前置きしてから気になることをぽつりと漏らした。
「元々うちの村は今、『健康な娘』の条件にあてはまる子が私を含めて三人しかいなくて。一人は胸の病で、もう一人は腕の骨を折った状態だったので、連れて行かれなかったんです」
だらしないポーズで何気なく聞いていた彼女の説明が、妙に引っ掛かる。
「……ねえ、胸の病はともかく、腕の骨って、血を吸うのに関係あるのかな?」
私は思ったことをそのまま口に出した。そこまで気に留めていなかったらしいライラが、「言われてみれば、本当にそうだわ……」とビックリしている。純粋な娘なんだなあ、私だったら「チッ、こんなことなら自分も骨折しときゃ良かった」なんて毒づいちゃいそう。
ふと、夜伽の相手をするのに腕が折れてると不都合だからかな、なんて考えが頭を過ぎった。さすがにライラの前でそれを言語化することは躊躇われたけど、可能性として、なくはない。
まあ、伯爵って結構いい男だし、かれこれ一年以上彼氏らしい彼氏もいなかったから、ワンナイト的な行為を楽しむのも悪くないかもね。って、私、状況を受け入れ過ぎかしら。
とりあえず、普段ならまだ寝つくような時間ではないけれど、部屋に娯楽らしい娯楽がある訳でもないし(本が何冊か置いてあったけど私には読めない文字だった)、軽い登山ばりの階段で肉体的な疲労も蓄積されていたので、私達はさっさと休むことにした。
一応、寝ている間に血を吸い尽くされて冥界へ行かないことを祈りながら。
そして、翌日。
私達は再び、昨日ヴァンパイア伯と対面した大広間に集められた。
普通に、朝起きてすぐ、だった。吸血鬼って夜しか活動しないようなイメージがあったけど、意外と朝でも大丈夫なのね。天井近くから掛かってる、長い天鵞絨のカーテンは閉め切られたままだけど。
伯爵は勿論、執事のレオンさんと一緒に、あの猫目石の瞳の女性も同席している。
執事さんが軽く再会の挨拶を済ませてから、私達に彼女を紹介した。
「彼女はヴァネッサ。当家のメイド長のような存在です」
ヴァネッサと呼ばれた彼女が、昨日のように恭しくお辞儀をする。メイド長かあ。じゃあ、昨日の贅沢なおもてなしは彼女が手配してくれたものなのかな。
「さて、皆様方にはこれから、彼女の下に付いてメイドとして働いていただく訳ですが――」
その時、執事さんが続けて誰一人として予想だにしていなかった発言を繰り出したので、私達は思わず顔を見合わせた。
メイドとして働く!?
突然の電撃発表に思考がついて行かず、ぽかんと口を開けていると、コレットが手を挙げて執事さんに直球の質問を投げかける。
「あの、私達は、血を吸われるために集められた訳ではないのですか?」
彼女の発言を受け、今度は執事さんと伯爵が顔を見合わせる。
すると伯爵がふふん、と低く笑って、逆にコレットに問いかけた。
「なんだ、今すぐ吸われたいのか?」
その言い方が妙にセクシーで、私は思わず生唾を飲み込む。他の娘達もドキッとしたのか、頬がほんのり紅く染まっていた。
「いえ……っ、決してそういう訳では」
コレットも耳まで真っ赤にしながら俯く。その様子が可愛らしかったせいか、ヴァネッサさんがくすりと微笑むのが見えた。
「……説明不足で申し訳ありません。つまりこれは、入れ替えなんですよ」
執事さんが申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「入れ替え……?」
「はい。昨夜、前任の皆様とお別れしたのです。ディアス様が『お食事』なさいましたので」
リズがひゅっと息を飲む音が聞こえた。
私達を怖がらせないようにという配慮なのか、執事さんは極めて淡々とした口調でそう告げたけれど。
柔らかな声音に包まれても、その台詞の意味がごまかされる訳はなく、『死』という一文字が強烈な現実味を帯びて差し迫ってくる。
メイドとしてしばらく仕事をさせられ、時が来たら血を吸われ、新しい女の子達が補充される――その紅夜城の恐ろしいシステムを知らされて、私達はしばしの間、呆然とその場に立ち尽くす他なかった。