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第61話 ここからが本当の始まり

「では、行こうかミオ」


 凛々しい婚礼衣装に身を包んだ彼が、こちらに向かってすっと手を差し伸べる。


「ええ、ディアス」


 私は手袋越しでも温かい彼の掌に自分のそれを載せ、長いドレスの裾を踏まぬようにゆっくりと立ち上がった。

 「ああミオ、本当に綺麗」と感嘆の声を上げたマディは、式が始まる前からすでに涙目だ。


 彼はそのまま『ディアス様』呼びを継続することも、夫婦らしく『貴方』に切り替えることも良しとせず、ただ『ディアス』と、ありのままの彼を呼ぶことを望んだ。

 私は初対面の『ヴァンパイア伯』のイメージが強過ぎて、つい脳内では彼を『伯爵』と呼び続けていたけれど――それももう、今日を限りに卒業だ。


「どうしよう、私も何だか胸がいっぱいで泣きそうだわ」


 コレットが胸に手を当て、心を落ち着けようと肩で大きく息をする。

 既に一度涙腺が崩壊しかけたリズは、ライラに目元のメイクを直してもらっているも、今のコレットの言葉で再び危ない状態になり、自分の手の甲をつねって必死に堪えていた。


 リズ、コレット、ライラ、マディの四人には、私のいた世界で言うところのブライズメイドの役割をお願いしていて。

 お揃いのブルーのドレスと花冠が可愛らしく、華やかな娘達に付き添ってもらえることを私も楽しみにしていたのだけれど、私の支度が整うにつれて皆、感極まってしまったようだった。

 私とディアスはもう準備万端なのに、このままでは彼女達が人前に出られそうにない。


「――それじゃ、涙が引っ込むような話をしてあげるわ」


 私はディアスから一度手を離すと、ブーケをしっかりと両手で持ち直し、背筋を正して皆のほうを向いた。

 本当は式が終わって落ち着いてから、リズがグレンデル伯へ嫁ぐまでの間に話そうと思っていたことなのだけれど、如何せん今はこれしか方法が思いつかない。


「実は私――本当は、この世界の存在じゃないの」


 喉の奥でこごり、外に出ようとするのを躊躇う台詞を、私は何とか一思いに吐き出した。声は少し揺れたかも知れない。控室の中はしんと静まり返り、私が呼吸をするだけでドレスの衣擦れの音が響いた。


 信頼関係が築けたら――あの案件が片付いたら――次のティータイムの時にでも――そんな風に思いながら延ばし延ばしにしてきてしまったのは、私は皆と同じヒウムではないと、実はこの中でどうしようもなく孤独な存在なのだと、認めてしまうのが怖かったから。


「ディアスやレオンさん、ヴァネッサさん、オーギュスト公……一部の人は知っていたことだったんだけど。親友である貴女達に切り出すタイミングが掴めなくて、今日まで来てしまったの。チャンスは幾らでもあったはずなのに、ごめんなさい」


 背中のヴェールが垂れて来ないように気を付けながらも、私は深々と頭を下げた。


 彼女達の涙は恐らく引いてくれるだろうけれど、どうしてそんな大事なことを黙っていたのかと怒られるかも知れない。私が何食わぬ顔でヒウムのふりをしていたことに、嫌悪感を持つような性格の娘は多分いないと思うけれど、実際のところは分からない。


 挙式の前に話すような内容じゃないのは明らかだったけれど、私は彼女達の仕事への集中力に期待をかけた。

 多少もやっとしながらも、サポートの役割はきちんと果たしてくれるだろうと。動揺してブライズメイドを降りるような人達じゃないと、そう思ったのだ。


 だけどその見通しは、全く別の意味で、甘かった。


「何だあ、そんなこと。今更よねえ」

「むしろ、いつ打ち明けてくれるんだろうと思っていたわ」


 その時耳に届いたリズとコレットの台詞は、完全に予想外のもので。

 私が「えっ?」と顔を上げると、二人は互いに視線を合わせ、おどけたように肩を竦めてみせた。


「最初は、きっと凄く遠い所の出身なんだろうなあくらいに思っていたんです。村で普通に暮らしていたら遭わないような出来事について沢山知っているし、アイデアも豊富だから、とても頭のいい方なんだとも」


 リズのメイクを直し終え、彼女に鏡を渡しながら、ライラが微笑む。


「そうそう、で、頭がいいのは確かなんだけど、それだけじゃ説明がつかないことが私達の中ではあったのよね。もうこれは、ミオのいた所はそもそも文明が違うんじゃ?と思って」

「このお城に来て魔族の皆さんと触れ合って、不思議なものを色々と目にするようになっていたから、ミオって異世界から来た可能性もあるんじゃない?なんて話を密かにしていたの。やっぱり、当たりだったのね」


 リズとコレットは手を合わせて喜んですらいた。うんうん頷いているところを見ると、ライラも情報を共有していたみたい。


 そんな中、事態について行けず、あたふたしている人物がここに一人。


「え?待って、え?私、半年も家で一緒に暮らして、ここに来てまた一緒に生活するようになってたのに、全然気付かなかったわ!え!?」


 マディだけが目を白黒させ、その場で足踏みをするような形で酷く落ち着きのない動きを見せていた。

 これに対し、リズを始めとする三人は「え!?マディは当然知ってるものだと思い込んでたんだけど!」と逆に驚き、瞳をぱちくりさせている。


 二組が吃驚し合っている様子に、私とディアスは思わず顔を見合わせて笑みを零した。

 するとふと我に返ったコレットがこちらに歩み寄り、私の手を優しく握って真正面から告げる。


「貴女がどこから来た人であろうと、私達の大好きなミオに変わりないわ」


 今度は私の涙腺が刺激される台詞だった。

 私も、抱きしめてチューしたいくらい皆のことが大好き。

 そんなことを思いながら普通に息を吸ったつもりが、鼻をすするような音になってしまったため、今度はリズ達が慌て出す。


「あ、駄目!今度はミオが泣いちゃいそう」

「堪えて堪えて」


 立場が逆転してしまって申し訳なくなり、私は苦笑いで何とか湿っぽいのを誤魔化そうとした。しかし目の奥も鼻の奥も熱い。これはまずい。どうにかして気を紛らわせなくちゃ――。


 その瞬間、腰を抱き寄せられて耳孔に濡れた舌を差し込まれ、私は艶めいた声と共に身体を跳ねさせた。皆がそれに仰天し、恥ずかしさで頭に血が上る。

 ただ、確かに涙は一気に引っ込んで。「もう!」とディアスのほうを向けば、彼は「止まったか?」と悪戯な笑みを唇の端に浮かべる。これは感謝して良いものなのかどうか。


「誓いのキスの前にいやらしいことはいけませんよ、ディアス様」


 物凄く怖い顔で、マディがディアスをじろりと睨んだ。

 「妹君は手厳しいな」と彼がぼやき、リズ達がこれにくすくすと笑い出す。


 式の前に少し時間を食ってしまったけど、決して『無駄な時間』じゃなかった。

 私はこの上なく幸せな気持ちでディアスに腕を絡め、最高のブライズメイド達と共に、ゲストの待つホールへと足を運んだのだった。

次話、ラストです!

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