第6話 初めまして、伯爵様
馬車が停められたところからちょっとだけ森を歩いて、辿り着いたのは茨のような蔓の絡みついた黒い門。
キールが手をかざして何やら呪文のような言葉を呟くと、その不気味な雰囲気に似つかわしい悲鳴じみた金属音を立てて、門がひとりでにゆっくりと開かれた。
とうとう本拠地に着いた、という思いからかごくりと喉が鳴る。気付かないふりをしていたけれど、本当は少し怖いのかもしれなかった。
色合いこそ暗いけれども豪奢な造りの、それはそれは重厚な扉を送迎人の面々に開けてもらい、城の中へと通される。
舞踏会でも開けそうな大広間は、やはり黒や紫、暗紅色といったダークカラーが基調となっているけれど、誂えられた調度品はどれも立派で一流のもののように見えた。
しかし私以外の女の子達には、内装の細やかな美しさに目を留める心の余裕などあるはずもなく。足も進まないので、自然と私が先陣を切って奥へと進む形になった。
踊り場で左右に分かれる形の階段を上り、次の間へ続くらしい扉の前で、キールが「俺達はここまでです」と言ってひらひらと手を振った。
「どうもありがとう。貴方のお陰で退屈しなかったわ。それと、偉い人とは知らなくて色々失礼な口をきいてしまって、ごめんなさい」
「いやいや、生贄のお嬢さん達のほうが、ゲストですから、大事ですんで。俺達は単なる足ですよ」
キールは牙を剥き出してにやりと笑い、「それじゃ、いってらっしゃいませ」と私達を送り出した。恐らくは永遠の別れだったはずなのに、この時妙にあっさりしていたなあと気付いたのは、随分後の話だ。
部屋があると勝手に思い込んでいたけれど扉の向こうには廊下が続いていて、そのさらに最奥にある扉の前に、マディに勝るとも劣らない、陶器のような白い肌の女性が待ち受けていた。
燃えるように赤い髪から微かに角のようなものが覗いているので、少なくともヒウムではないみたいだし、キール達とも違う種族のように思えた。黄色の瞳は猫目石にそっくりで、睫毛が羨ましいほど長い。
彼女の着用している濃い葡萄色のクラシカルなワンピースは、バッスルのないドレスという感じで丈の長さが床まであり、ウエストがぎゅっと絞られていた。ネーレルの村どころか、私がこれまでに訪ねた街でもお目に掛かったことのないような衣装だ。いいなあ、私もこんなの着てみたいな。
「皆様、ようこそいらっしゃいました。ウィランバル伯がお待ちです。どうぞこちらに」
恭しくお辞儀をした女性はそう言うと、私達に背を向けて目の前の扉を押し開け、歩き出した。何とそこもまた廊下が続いていて、少し進むと階段があり、私達はそれを上らされることになった。
ウィランバル伯って、つまりはヴァンパイア伯のことかな。『ヴァンパイア』は俗称だろうし、それもそうか。
そんなことを考えながら大人しく階段を上っていたけれど、なかなか行進が終わらない。ネーレルの村に階段なんてものはほとんどないので、私達の息は少し上がり始めていた。外から見たお城の大きさを考えれば確かに頷ける広さなんだけど、それにしても伯爵って随分上のほうで待っているのねえ。
踊り場を何度通ったか分からなくなってきた頃、ようやく長い階段が終わり、廊下を少し進むと控えの間のようなところに通された。
「それでは私はこれで。次の案内役が参りますので、こちらでしばしお待ちくださいませ」
女性がまたも丁寧にお辞儀をして、つい今しがた通って来た扉の向こうへと静かに消えて行った。
また、誰かとバトンタッチなの!?お城って、いちいち仰々しくて何だか凄いわね。
立派なソファに腰掛け、ふう、と大きな溜め息を吐く。他の女の子達は疲れよりも恐怖のほうが勝ってきたみたいで、こぞって青い顔をしながら手を組んで震えていた。
私なんて正直、そんな彼女達の様子を見るまで、吸血鬼の生贄として来たことを半ば忘れていたくらいで。それまで、少し汗かいちゃったなとか、微妙に足が痛くなったかもとか、そんなことしか考えていなかった。やっぱり心臓に毛が生えてるのかしらね。
息がどうにか整い始めた頃、燕尾服をパリッと決めた男性が一人、室内に入って来た。
銀色の長い髪を後ろで束ねた、ちょっとこの世界では今まで会ったことのないイケメンだ。髪の色以外にこれといった特徴は見受けられないけど、この人もこれで魔族なのかなあ。
「皆様、このたびは遠い地からこちらまで御足労頂き、誠にありがとうございます。私はこのウィランバル家の執事を務めております、レオンと申します」
その美貌にぴったりの耳触りの良い声で、澱みなく自己紹介を終えた彼は、「こちらへどうぞ」と私達を促し、部屋の奥の黒い扉を両手で勢い良く押し開けた。
そこはこれまたホールのような広々とした空間で、天井が物凄く高く、室内ながら例の綺麗な蝙蝠達が数匹、自由気ままに飛び交っている。
そして、見えた。最奥の玉座のようなところに、誰かがドカッと腰を下ろしている姿が。きっとあの人がヴァンパイア――ウィランバル伯で間違いない。
執事さんの後を静々とついて行き、玉座の前で、横一列に並ぶ。女の子達がいよいよという恐ろしさで下を向きっ放しの中、私は伯爵がどういう人物なのか見極めてやろうと、堂々と前を向いていた。
「ディアス様、例の者達をお連れしました」
生贄、という言葉をあえて選ばなかったのか、執事さんがそんな風に玉座の人物に告げる。
「ああ」と短く応えたその人は、とても整った顔立ちをしていて、ヴァンパイアお決まりみたいな襟の立った黒いマントこそ身に付けていたものの。
病的に肌が白い訳でもなければ、爪が他の魔族のように尖っている訳でもなく、黒髪でそこそこガタイの良い、ごくごく普通の男の人みたいに見えた。そう、薬を売りに行った街で普通の服装ですれ違ったとしても、何ら違和感を覚えることはなさそうな。
「道中御苦労だった。ディアス・ザナンダール・ウィランバル、この城の当主だ」
彼がそう名乗る間、その口元を私はずっと凝視していて。
至近距離でないから、ひょっとしたら見落としたのかもしれないけど、初見の印象はとりあえず、(あれ?この人、牙生えてないのかな?)だった。




