第59話 もう一人の身代わり女
「……『あの日』以来、かな?ミオ、レオン」
失敗した招待状をベストの胸ポケットに仕舞い込みながら、オーギュスト公が唇の端をにっと持ち上げた。
さらりと揺れる青い髪は艶々と美しく、手入れが良く行き届いている印象を受ける。少年の姿ながらちゃんと貴族に見えるのは、彼の立ち振る舞いもあるけれど、身形にきちんと気を遣っているのも大きいということが窺えた。
「ようこそいらっしゃいました」
「公爵様におかれましては、お変わりなく」
とにかく椅子から立ち上がり、執事さんと揃って丁寧にお辞儀をする。
お元気そうで、という思いを込めて『お変わりなく』という言葉を口にしたものの、見た目は完全な別人に変貌しているのだから、物凄く厳密に言えば相応しい表現ではなかったかも知れない。
確かに、オーギュスト公とお会いするのはあの伯爵の私室での悲劇以来だけれど、『少年の器』の彼と前に対面したのは晩餐会の時なので、この独特のシステムに慣れていない私は少々混乱してしまう。
「オーギュスト公、そちらは封蝋を仕損じた物ですので、別の物と交換を――」
顔を上げるが早いか、執事さんが速やかにそう申し出る。
しかしオーギュスト公は「いいよ、中身が読めれば。どうせ開けちゃうんだし」と、ポケットの上から招待状をぽんと叩いた。自分とは相容れないと感じる部分もある人だけれど、こういう合理的なところは割と好きだ。
「――ところで今の話、聞かせてもらったんだけどさ」
オーギュスト公が先程の続きを話題に上げようとしたので、私と執事さんは、彼と、彼をここまでエスコートしてきた伯爵に椅子を勧めた。
すると伯爵が席に着く際に、私の手を取ってするりと指を絡めたので、何となくそのまま手を繋ぐような形になる。伯爵の傍にぴったりとくっ付くように佇む私を見て、オーギュスト公が「全く、毎度毎度見せつけてくれるよね」と溜め息を吐きながら話し始めた。
「結論から言えば、君は、元の世界で――『これまで通り普通に生活している』ことになってるんだ」
机の上に肘をつき、オーギュスト公が私の顔をじっと見つめる。吸い込まれそうな菫色の瞳と向き合いながら、私は今言われた台詞の意味をよく考えた。
少なくとも、『行方不明になって大騒ぎ』という事態には陥っていないようだ。
しかし、『これまで通り普通に生活している』という状況がどのようにして成り立っているのかが分からない。
『私』が向こうの世界にもう一人いる、ということ?
……知らないうちに分身でもしていたんだろうか。
「ミオと入れ替わりで、向こうに魔族の女を一人、送り込んであるんだよ。周囲からは君の姿に見える魔術をかけてね。その女が、君になりすまして暮らしているよ」
一応、愛人の中から順応性が高くて賢いのを選んだつもりなんだけどね……とオーギュスト公が小声で付け加える。
予想は当たらずと雖も遠からず、だった。
私の身代わりが、私として生活している。私であって、私じゃない。
異世界の人間である私にこの世界の魔術は効かないけれど、こちらの魔族に魔術をかけて向こうに派遣することは出来るんだ。オーギュスト公の口振りからするに、あっちで魔術が切れてしまうこともないみたい。
ということは、元いた世界で解明されていない不思議な現象の幾つかは、異世界のファンタジックな力が干渉したものだったりするのかしら?
「確かに僕の開いたゲートは君を選んだけど、百パーセントの自信があった訳じゃないんでね――万が一、『相性』が悪かった場合、君をすぐ元の世界に戻せるようにしておきたかったんだ」
続けてオーギュスト公から明かされた事実に、私は少し驚いた。
場合によっては、あっちに帰されていたかも知れないんだ……。
つまり今の私があるのは、本当にありとあらゆる偶然が積み重なったお陰だということ。奇跡的な確率で手に入れた幸せに感謝の念すら抱いた私は、伯爵と繋いでいる手に改めて強く力を込めた。
握り返される感覚と温もりが、途轍もなく愛しい。
「それに、私欲のために別世界におかしな影響を与えるようなことは、公爵としての性分が許さなくてさ。用済みになったら記憶を消して放り出しちゃう、どこぞの伯爵家より人道的だろ?」
頭の後ろで手を組み、オーギュスト公が伯爵をちらりと見やる。
すると伯爵と執事さんが揃って『耳が痛い』というような表情をしたので、私はつい零れそうになる苦笑いを噛み潰した。
確かにウィランバルの所業は決して褒められたものではないけれど、オーギュスト公は使える能力が段違いなんだから、その言い方はちょっと狡い。
「まあ、ただ……他人に人生を乗っ取られたって聞いたら、いい気分はしないでしょ?だから本当は明かしたくなかったんだよね、これ」
不意に、オーギュスト公が真面目なトーンでそんなことをぽつりと零す。
「済みません、色々とお気遣いありがとうございます」
「……怒らないの?」
「いえ、両親が悲しんでいないなら充分です。身代わりの方には負担をかけてしまいますけど」
私は思ったことを素直にそのまま伝えた。
結果的に親不孝であることに変わりはないけれど、向こうの『私』が上手くやってくれているならそれでいい。一人暮らしを始めてから、さほど頻繁に顔を見せに返っていた訳でもないし。もう戻る気はないのだから、今更『本物』の無事を知らせたり状況を説明したりして混乱させる必要もないだろう。
「ちなみに私、あるところに勤めていたんですが、その仕事とかは……」
「あー、そこまではフォロー出来てないや、ごめん。どうなってるか覗いてみようか?今すぐには無理だけど」
「いえいえ、いいです!ありがとうございます」
私は伯爵と繋いでいない方の手を胸の前でぶんぶんと振った。
まあ、クビになっている可能性が高いよね。身代わりさんに会社の場所が分かる訳ないから、きっと無断欠勤になっているだろうし。行ったところで、異世界の人がこなせるような仕事ではない。確認するまでもないような気がする。
ただ……大分経つけど、お金とか食べ物とか、困っていないんだろうか?
それこそ、アパートで餓死死体発見!なんてことになっていたら困る。
それも恐る恐る尋ねてみると、「彼女の身に何かあったら、ディアトリスが感知出来るようにしてあるけど、今のところ何もないから無事はなずだよ」とのこと。
それでも、全く文明の異なる世界で、周囲に知人もいない状況で生きていくのは、相当な苦労が想像出来る。私みたいにトントン拍子に事が進むのは極めて稀なケースだろう。
だから私は、今日は仕事の相談をしに来たというオーギュスト公が、伯爵と話を詰めている間に、手紙を認めることにした。御礼と謝罪、そして私の部屋のどこに何があるか、生活をしていくうえで分かっていると便利なことなどを、事細かに記した物を。
そしてそれをオーギュスト公にお持ち帰りいただき、身代わりさんの所へ送ってもらうことにした。気休め程度のものだけれど、無いよりはましだろうと信じて。
実はその手紙が新生・藤堂美青さんのところに届くころ、彼女はとうに普通の暮らしが出来ていて、仕事も続けており彼氏もいるリア充になっていたのだけれど、そんなの私が知る由もなかったのだった。




