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第52話 偶然が起こした奇跡

「ミオ……ああ、本当に……?」


 長い睫毛に縁取られた美しい葡萄色の瞳が、こちらを見つめてうるうると輝く。


「来てくれてありがとう。久しぶりね」

「ミオ!!」


 玉座のあるホールのど真ん中を駆け、真っ直ぐに私の胸に飛び込んで来た彼女を、私は笑顔で抱きしめた。

 艶々の黒髪からふわり、懐かしい花の香りがする。何ヶ月ぶりかだというのにしっくりと馴染む感触が、この世界に来たばかりの頃のことを私にありありと思い出させた。


「とんでもない我儘を言って済みません、ヨオトおじさん」


 最後に会った時から変わらない優しいその面差しに、こみ上げて来るものを感じながら私はぺこりと頭を下げた。おじさんが穏やかに微笑み、マディが私の背中に回した腕に力を込める。生きて紅夜城を出られなければ二度と会うこともないだろうと、覚悟を決めて別れた二人との再会は、感激も一入ひとしおだった。


 事の経緯はこうだ。


 グレンデル邸から戻ってきたリズが、向こうでの生活に何の問題もなかったことで正式に婚約の意思を表明したので、彼女の抜ける穴をどうするか、お城全体で話し合いが行われた。


 普通の食事はさほど問題ないけれど、おもてなしのデザートや、何より毎日のおやつが困る!というのがほぼ全員一致の意見で、それならば残っている厨房メンバーがレシピを引き継げばいいという話になったのだけれど、事はそう単純ではなく。

 リズの製菓はとても繊細であり、甘みや香りづけの調整などはまるで薬品の調合のようで、エルクさん曰く「どーんとした大皿料理が得意な魔族がそう簡単に身に付けられる技術ではない」とのことだった。


 ではお城の外から腕利きの菓子職人パティシエを引っ張ってくる?どうやって見つける?そもそもアテはあるのか?などと、難航しそうになった時、『薬品の調合』という表現を聞いた私はふとマディのことを思い出したのだった。


「いやあ、ミオを連れて行った遣いの人がもう一度うちに来た時は、絶望しかけたけどね。そこの執事さんが、全て説明してくださったんだよ」


 ヨオトおじさんが肩で大きく息をしながら、手でその方向を指し示す。


「拙い説明であったにも拘らず、ご理解いただけて幸いです。何しろヒウムの男性と言葉を交わすのは初めてでしたので、些か緊張してしまって」


 話を振られた執事さんが、胸元に手を当てて、申し訳なさそうな表情を作る。

 普段あれだけ魔族達と渡り合っているのに、と思ったら少し口の端が持ち上がってしまったけれど、確かに実のお父さんの顔も知らない彼からしたら、あまりに新鮮な触れ合いだったのかも知れなかった。ちょうど今は、ヨオトおじさんくらいの年齢の男性もこのお城にはいないしね。


「これまで通りマディと一緒に暮らせるなら、場所はどこだって構わない。まして、『もう一人の娘』も無事だったんだ、こんなに嬉しいことはないさ」

「ヨオトおじさん……」


 『もう一人の娘』という表現に、眼の奥がじーんと熱くなる。たった半年間ながら、素性の知れない私を家族として快く受け入れてくれていたことに、私は改めて感謝した。


「何だか凄いことに巻き込んじゃってごめんなさいね、マディ、ヨオトさん」


 婚約が決まり、幸せいっぱいのリズが静々と近付いてくる。


「リズ!」

「ふふふ、久々ね。また会えて嬉しいわ」


 可愛らしい女の子二人が抱擁を交わす様子は、目の保養になった。まるでぱっと花でも咲いたかのように、華やかな雰囲気がその場に生まれる。


「貴女への引き継ぎをきちんと終えるまでお嫁に行かないから、安心してね」

「勿論!びしばししごいてちょうだい」


 気合充分のマディがぐっと力強い拳を作ったので、思わず皆で笑い合った。お世話になっていた時は私が主に炊事を担当していたけれど、彼女も料理は得意だし、とにかく調剤師として素晴らしい腕を持っているので、頼もしい戦力になってくれることは間違いない。


「これからは同僚ね。宜しく、マディ」

「ああコレット、貴女にも会いたかった!」


 もう一つの、同郷同士の再会。よく考えればマディは、私を含めて一度は友人を三人も同時に失っていたのだ。今日という日は夢のような出来事の連続だったと、彼女は後に語っていた。


「ライラと申します。どうぞ宜しくお願いいたします」

「こちらこそ!」


 今度は、初対面同士。けれども、二人の醸し出すにこやかな雰囲気から察するに、すぐに打ち解けられそうな予感がしていた。事実、歳の近い二人はこの後どんどん親友同然になっていく。


「馬車に長時間揺られてお疲れでしょう。今日のところは、夕食を召し上がったらもうお休みください」


 玉座に腰掛けて私達を見守っていた伯爵が、ゆっくりと立ち上がって声をかける。マディに「素敵な方ね」と耳打ちされて、少し気恥ずかしいような、でもどことなく誇らしげな、そんな気持ちになった。


「あの……これから我々は使用人になるんですから、そんな畏まった言い方をなさらなくとも」


 ヨオトおじさんが恐縮してぽりぽりと後頭部を掻くも、伯爵は丁寧な物腰を崩そうとしなかった。


「そうですが――貴方がたは妻の『父上』であり、『妹君』ですから」

「妻……!」


 その響きに感激したのか、マディが自分の頬を両手で挟んで黄色い声を上げる。


「ああ本当に伯爵夫人になるのね!?ミオ、馴れ初めを是非聞きたいわ」


 ひどく興奮した様子の彼女に、私は笑いを堪えることが出来なかった。こんなに可愛い『妹』のお願いを無碍むげに断れるはずもなく、この日私は、紅夜城に来た日から今までにあった出来事のほとんどを、夜通したっぷり喋らされることになったのだった。


 実はマディは数年後、何と執事のレオンさんの子どもを産むことになるのだけれど、それはまた別のお話。

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