第51話 ピロートークも真剣です
甘く気怠い余韻の中、ベッドの中で愛しい人とだらだら過ごす幸福感は、何物にも代え難い。
昨夜はとうとう伯爵が執事さんを説き伏せ、私が伯爵の私室で一晩明かすことに同意させたのだった。
伯爵は、相思相愛になってからの熱意というか、デレ具合が凄い。彼の気持ちが見えなくてやきもきしたり落ち込んだりしていた、あの期間は一体何だったのかと思うほどだ。
これ以上ないほど愛されているという実感が強い私は、現状に何ら不満はないのだけれど。
「――お前にそっくりな娘が生まれたら、いざその時に手放せなくなりそうで怖いな」
私の耳に沢山のキスを落としながら、彼が囁く。
心配なのは、その有り余るほどの愛情が、まだ影も形も存在していない私達の娘にまで向けられていることだった。
それはまあ、見方を変えれば微笑ましい話として充分受け入れられるものなので、そこまで深刻に捉えてはいないのだけれど。
その娘に関して、私の中では一つの大きな不安が膨らみ始めていた。
「……ディアス様」
「何だ?」
「オーギュスト公にはこちらから、娘に御自身が好かれるよう仕向けて欲しいとお願いしましたけれど」
私は彼の優しいスキンシップにうっとりと身を委ねながら、正直な思いを吐露した。
「出来れば彼も娘を愛して欲しいと思うのは、贅沢でしょうか」
自分の放った台詞が、じっとりと鼓膜に纏わりつく。
それは、もしもこれが自分だったらという想定のもと、ずっと脳内の目立つところに浮かび上がっていたことだった。
いや、実際にこの役割は私だったはずなのだけれど、少し事情が違うのは、それぞれの想いの方向。
「好きな人に尽くせる喜びというのは至福ですが、それでも想いがずっと一方通行のままでは、必ず辛くなる時が来ると思うんです」
紡いだ言葉には自然と小さな溜め息が混じった。
もしも私があの日、あのまま愛人となることを承諾していたら、私とオーギュスト公はきっと互いを好きになることもない、ビジネスライクな関係になっていただろう。
だけどこれがもしゼロからのスタートで、私がオーギュスト公に惚れていたとしたら。自分に気持ちが向くことがないのに、彼の欲を解消するためだけに身体を差し出し続けなければならないとしたら――そんなの、耐えられそうにない。
事実、伯爵の気持ちが分からない間、本当にしんどかったのだから。
「結論から言えば、まあ大丈夫だろう」
されど伯爵の答えは、あっさりと簡潔に導き出された。同調や、それによる葛藤などが一切ないことに少し戸惑っていると、私の髪を指先でくるくると弄びながら、彼がにやりと微笑む。
「一度は御自分のものにと望んだ、お前の産む娘であるし――何より、俺の娘だからな」
なぜだか物凄い自信を彼から感じる。
まるで、伯爵の血を継いでいれば無条件で好きになるような口振りだな?と、目をぱちくりさせたところ。
「言葉に出されたことはないが、公は俺に、普通以上の感情をお持ちだ」
「……えっ」
少しドヤの入った表情で言われ、私は思わず口を開けた。
そうだったのか……。
他家と比べてウィランバルが特別貢ぎ物の量が多い訳でもないのに、重大な秘密を守ってくれていたりと端々で庇護は感じていたけれど、単にディアス様のことが好きだからなのね。
私のことを思ったよりすんなり諦めてくれたのも、もしかしたらそのせいもあるかも。表情から感情が読めない人だから、全然分からなかったけど。
て、待ってよ、伯爵。
オーギュスト公の気持ちに気付いていて、執事さんの気持ちに気付いていないなんてこと、ある?
私は冷静に考えた。そして、『それはないな』という結論に至った。
幼い頃から四六時中あれだけ一緒にいて、何も感じないということは恐らく有り得ない。
つまり、伯爵は全て気付いていて、敢えて執事さんの『ヴァネッサさんを好きなふり』に乗っかっているんだろうということだ。それは優しくもあり、残酷でもあった。でも、応えられない以上は仕方のないことなのだろう。
「ミオは知らなかっただろうが、大勢いる公の愛人達のうち、何割かは男だぞ。そんな御方が、俺達の娘、たった一人に夢中になるんだ。見ものだろう」
私が頭の中でごちゃごちゃ考えていることなど露知らず、伯爵が愉しそうな笑みを見せた。しかしすぐさま、「――と、親としては不謹慎過ぎたか」と、私の髪から手を離して口元を覆う仕草をする。
「愛し愛され、の関係なら問題ないですよ」
私はシーツの中でもぞもぞと体勢を変え、伯爵の裸の胸に頬を寄せた。彼の香りに包まれて安心する。この筆舌に尽くし難い幸福感を、娘にも味わって欲しい――けれど。
「ただ、正妻にはなれないのかなと思うと……」
両想いの壁をクリアしても、まだ個人的に引っ掛かる問題があった。
オーギュスト公が後妻を取らない、正妻は生涯亡くなった奥様だけと決めているのなら、これはもうどうしようもない。そこは非常にデリケートな話なので、私なんかが直接どうこう言えることではなかった。
だからせめて、伯爵に吐き出すくらいはいいかなと思って口にしたのだけれど。
次に繰り出された彼の台詞は、またしても私の予想とは全く違うものだった。
「その点についても、俺はあまり心配していない」
伯爵の大きな手が、シーツ越しに私の背中をやわやわと撫でる。
「公御自身も仰っていたが、サンドラ様とはあまり熱い関係ではいらっしゃらなかった。それが相愛ともなれば、何らかの心情の変化が起こるかも知れん。それに――」
美しい黒曜石の瞳が、私の顔をじっと覗き込み、悪戯そうに細められた。
「お前の娘なら、正妻の座くらい己で獲りに行くんじゃないか?」
痛烈な皮肉ながら、明らかな揶揄いの色の滲んだ声音に、つい私もぷっと噴き出しそうになる。
「それは……否定出来ないですね」
苦笑いが浮かんでくるのを止められなくて、私はそれを隠すように伯爵の胸に額を押し付けた。
彼の言うことは尤もだ、娘が私に似た性格に育ってしまったら、正妻にしてくれと自ら公爵に迫るかも知れない。オーギュスト公の気持ちを思いやれる女性になるようきちんと教育しなくては、だけどそれが果たしてこんな私に出来るのかしらと、情けないことに新たな不安が芽生え始めていた。
「お前は健康な子を産むことだけを考えていればいい。生まれてくる子の性別に、神経質になる必要もない」
頭頂部に伯爵の低く穏やかな声がかかる。この人がいつだって相談に乗ってくれて、一緒に解決策を模索してくれるのだと思うと、幾ら懸念が後から増えたとしても大丈夫な気がした。
そうだ、子どもの教育だって、私一人じゃない。彼は決して他人事にせず、私に任せきりにすることなく、悩みも喜びも分かち合ってくれるだろう。
「でも、意志の強いディアス様のことなので、最初から女の子を宿してくださるような気がします」
私が笑って顔を上げると、
「実は、俺もそんな気がしている」
彼も笑って、私の唇に自分のそれを優しく重ねてきた。
このままゆっくりと時が流れてくれればいいと、ロマンチックな雰囲気の中で目を閉じれば、すぐさま伯爵は私の身体の芯に火を点けようと様々な技を繰り出して来る。
それが可笑しくて最初は声を立てて笑っていたのだけれど、やはり彼の色っぽい指や舌の動きには敵わず、濡れた吐息が零れるようになるのに何分も持たなかった。触れられるだけ欲しくなってしまうのだから不思議だ。仕事がなければ私達はきっといつまでもベッドの中にいるだろう。
そうして、窓の外の星喰い鳥が鳴いて夜明けを告げるまで、私達は二人きりの甘い時間をたっぷりと堪能したのだった。




