第48話 見慣れぬおじさんと私達の答え
晩餐会の夜から、もう二週間が過ぎた。
私と伯爵の意志が変わらないのなら、もうオーギュスト公に正式な返事をしてしまおうと面会の約束を取り付けたところ、彼がこちらにわざわざ足を運んでくださることになったのだけれど。
幾らか緊張しながら出迎えた時、私はその人のことが、同伴しているディアトリスさんを見るまで本当に誰だ分からなかった。
年の頃は、四十代前半といったところだろうか。
緩いウェーブを描く赤茶色の髪は腰に届くほど長く、伯爵とそう変わらないほど背が高く、深い緑色の瞳と、目元の小さなほくろが妙に色っぽい男性。
別のお客様がいらしたのかと勘違いしそうになったのは一瞬で、すぐに伯爵がその人を「ようこそいらっしゃいました、オーギュスト公」と歓迎したので、私はこれが今回の彼の新しい『器』なんだと理解した。
「いらっしゃいませ」
「やあ、ミオ。どう?これ」
オーギュスト公がその場でくるりと華麗にターンしてみせる。
「素敵です」
「この前のと、どっちがいい?」
「私は今のお姿のほうが」
「でも君、最初驚いてたよね?」
にやにやと顔を覗き込まれ、気まずさから「失礼いたしました……」と視線を下げる。
晩餐会の後、オーギュスト公が『容れ物』を定期的に変えて魂を継ぐことで生きているのだと、そしてそれは彼だけが使える秘術なのだと、きちんと伯爵に教えてもらってはいたのだけれど。
今回初めて交換後を目にした訳で、それを何の衝撃も感じずに受け入れろというのは無理があると思う。少年から一足飛びでおじさんになった訳だし。
「――それで、結局のところどういう結論に至ったの?」
リズの焼いたパイの甘い香りが漂う客間に着くなり、オーギュスト公が私達に本題を投げかけてきた。
テーブルを斜めに挟んで向かい合い、私は言うと決めていた台詞を彼に向かってきっぱりと放つ。
「娘を、お預けします」
「へえ、そっちでいいんだ?」
「ただし、条件があります」
前のめり気味に攻め込んだ私に、ディアトリスさんに椅子を引かれてどかりと着席したオーギュスト公が、笑顔を貼り付けたまま片眉をぴくりと動かした。
「僕に恥をかかせた罰なのに、君達のほうから条件……?」
凄い。目線の高さはさほど変わらないのに、この見下されてる感。
彼の瞳は明らかに「どの立場でそんなことを」と言っていたけれど、私は――私と伯爵は、動じなかった。それはまだ影も形もない娘の未来のために、絶対に呑んで欲しい条件だったから。
「――まあいいや、言うだけ言ってみなよ」
引き下がろうという素振りを私達が全く見せないのを察してか、オーギュスト公はテーブルに肘をつくと、顎の下で手を組んだ。睨みをきかせてはいるものの、拒絶的な態度ではない。
とにかく話を聞いてもらう体勢に持ち込んだことに内心ほっとして、私は椅子にも座らずに、オーギュスト公の眼を真っ直ぐ見つめながら告げた。
「公爵様に置かれましては、私の産んだ娘を全力で落としていただきたいのです」
必要以上に声に力がこもったせいか、『落とす』という表現のせいか、伯爵が隣でふっと微笑む気配がした。しかし当然ながら事情のよく分からないオーギュスト公は、「どういうこと?」と眉間に皺を寄せている。
「娘には、嫌々貴方の元へ参るのではなく、自ら進んで――喜んで行って欲しいのです」
先程の内容を噛み砕くようにして答えると、それまで険しさを保っていた公爵の表情がほんの少し和らいだ。
「……つまり、『好きな相手の所に行く』形になるように、娘を僕に惚れさせろってこと?」
「はい。ですから、もしも、万が一、それが叶わなかった時は」
オーギュスト公に魅力がないと言っているのだと誤解されぬよう、『もしも』『万が一』を殊更に強調した上で、続ける。
「次の世代までどうかお待ちください。心から、貴女のものになりたいと望む娘が現れるまで」
本当は後に引き継ぎたくないのだけれど、可能性がゼロではないので、私はその部分にも触れた。
何せ、ここは特殊な環境だ。同世代の子ども達がわんさかいる村や街とは違う。極端に限られた触れ合いの中で、異性を好きになる感情が育つかどうか、確固たる保証はなかった。
「――これは、公にとっても良い条件だと思います」
口元に手を当てて考え込むオーギュスト公に、それまでずっと出番を待っていた伯爵が口を開いた。
「……どんな風に?」
「失礼ながら、公はこれまでにかなり多くの愛人をお持ちでいらっしゃいましたよね」
「二桁では収まらないかと思います」
なぜか間髪入れずに答えたのはお付きのディアトリスさんだった。銀の鎖が光るモノクルの奥の眼が、公爵に冷ややかな視線をじっとりと浴びせている。
「ということは、一人に割く時間や回数はそう多くないのでは?」
気を遣った伯爵が、オーギュスト公とディアトリスさんの双方に話しかけるような体を取ったのだけれど、やはりすかさず反応するのはディアトリスさんのほうで。
「一回相手をさせてそれっきり、なんてこともザラですわ」
「もう、さっきから何でお前が答えるんだよ、ディア」
「当然でしょう!気まぐれなゼーレ様の閨を管理しているのは私なんですよ!?」
こめかみに青筋を立てながら作った彼女の笑顔が恐ろしい。
とは言え、好きでやりたい仕事ではないだろうなと、幾らかは同情せざるを得なかった。オーギュスト公もそこは一応分かっているのか、ふん、とむくれてそれ以上ディアトリスさんに言い返すようなことはしなかった。しなかったけれど、ごちゃごちゃ言われたくない、という気持ちが態度に出ていて、それがまたディアトリスさんの神経を逆撫でするようだった。
「――つまり、公のために誂えたように馴染む身体の女性は、サンドラ様以外にはお出来にならなかったのでは?」
ややぴりぴりとした雰囲気の中、伯爵が平常心を装って話を続ける。
サンドラ様というのは、オーギュスト公の亡くなった奥様のことだ。愛人の話が出た時、そう言うからには正妻がいるんだろうなと予想はしていたけれど、とうに亡くなっていたということは後で知った。
奥様がご健在だった時には、まだ愛人は一人も持っていなかったそうで。先立たれた寂しさを一時的な温もりで埋めていたのかも知れないと思うと、どんなに人数が多くとも、短絡的に彼を軽蔑する気にはなれなかった。
「……サンドラだって、そんなにしっくり来るとは思わなかったよ。あれは僕のことがそんなに好きじゃなかったしね」
むすっと虚空を凝視したまま、オーギュスト公が呟く。どことなく片想いを思わせるような台詞の響きに、私は少し切ない気持ちで彼の横顔を見つめた。
「でしたら、猶更のこと。惚れた男に合わせて変わる女の身体を、公にも堪能していただきたく思います」
台詞と同時にすっと伯爵の掌が私の腰に添えられる。彼の言っていることを証明するのは紛れもなく私の身体なのだと意識させられて、ぶわっと頬に熱が集まってきた。
すると少し苛ついた様子のオーギュスト公が、「ふうん、ミオは、そうなんだ?」と訊いてくる。彼の斜め後ろに控えているディアトリスさんが「見りゃ分かるでしょうが」と声に出さずに口をパクパクさせていた。
蠱惑的な伯爵の眼差しと、私の視線が自然と絡み合う。それが返事の代わりとなり、オーギュスト公の形の良い唇を尖らせた。
「ああ馬鹿馬鹿しい!全く、僕が僕のために召喚した女の身体が、ディアス仕様にされちゃったなんて本当に腹が立つよね」
彼は白い手袋を外すと、大皿から素手で直接リズのパイを取り、乱暴に口に放り込んだ。外見は立派な中年男性なのに、仕草と口調が幼いので見ているほうはやや戸惑う。
同席しながら一言も発せずにいた執事さんが、慌ててティーポットから紅茶を淹れ始めた。これまでのんびりお茶をしながらという空気じゃなかったので、無理もない。伯爵、私、ディアトリスさんも、とりあえず席に着くことにする。
「そりゃ、『生贄』の誰かじゃ割に合わないや。娘、遠慮なくいただくよ」
パイがお気に召したらしく、二切れ、三切れと次々にお代わりを手にして、オーギュスト公が宣言した。そして指に付いた蜂蜜を舌先でぺろりと舐め取りながら、少年漫画の主人公さながらに台詞を決める。
「――それで、必ず僕に惚れさせる」
見目麗しいので、それはとても絵になった。けれどもやはり、それなりに、おじさんだ。
私は宜しくお願いいたしますと頭を下げながら、娘を引き取る時は『器』をもう少し若いものにしてくださいと密かに願ったのだった。




