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第46話 例え、茨の路だとしても

「レオン」

「は」

「今回お前が己の判断で両親をんだことは、お前が今まで成し遂げてきた仕事の中でもとりわけ賞賛に値するものだったと思う。未だ求心力の低い俺がゲストを納得させるのに、父の存在が強い力添えとなった。このことに関しては重ねて礼を言う」

「……身に余るお言葉でございます」

「だがな」


 伯爵は一呼吸置くと、執事さんにじとりとめつけるような視線を向けた。


「彼らをいつ帰らせるつもりなんだ?」

「それは私にも分かりかねます……」


 執事さんがどんよりとこうべを垂れる。

 そう、もう晩餐会の日から実に五日が経とうとしているのだけれど、ジークハルト様とステラ様は一向に自宅へ戻られる気配がないのだった。


「まあまあ、いいじゃないですか。久しぶりにディアス様にお会いしたくていらした訳なんですから」


 ティーカップに熱い紅茶を注ぎながら私が言うと、机に肘をつき顎の下で手を組んだ伯爵が、こちらにちらりと流し目を送ってくる。


「お前とゆっくり過ごす時間が取れんだろう」


 眼で、裸にされる。

 見つめられたら身に着けているものを全て脱いでしまいたくなるような艶っぽい視線に、危うく手元が狂うところだった。

 そして、この眼差しを受け止めるのが自分一人であることにほっとする。他の女の子に向けられたら、きっと私は平常心でいられなくなってしまうだろう。


「せめて寝室を一緒にすることは出来ないのか」

「なりません!正式な御夫婦となるまではお待ちください」


 伯爵の要望に、間髪入れず執事さんがストップをかける。


 この世界ではどこかに婚姻の届け出をする必要がないので、自分達が夫婦と名乗ればそれがオフィシャルになるのだけれど、ウィランバル家のしきたりを重んじたい執事さんとしては、きちんと式を挙げて周囲にお披露目してからということらしい。

 ただでさえ色々な慣習を変えることになったのだから、結婚くらい伝統に則って欲しいと頼み込まれたら、私と伯爵はそれ以上何も言えなかった。


「――そもそも、『ゆっくり』ではなくとも、浴室で充分過ごされているでしょう?」


 執事さんが半ば呆れ気味のような何とも言えない表情で、伯爵と私を交互に見やる。


 そうなのだ。

 夜を一緒に過ごせないこともあり、このところ、『背中流し』がその言葉通りの作業ではなくなっていた。

 恋人同士が二人きりの空間で裸で過ごすのだから、何も起きないほうがおかしい状況ではあるのだけれど、やっぱり執事さんに勘付かれていたのだと思うと顔から火が出そうになる。


「それだけで足りると思うか?」

「そのようなことを私にお尋ねにならないでくださいよ……!」


 頬が熱くなった私より赤いかも知れない顔で、執事さんが伯爵に言い返す。その様子がおかしくて、私は伯爵の前にソーサーとカップを置きながら「それじゃ、色々なことを片付けて、早く夫婦になりましょう」と提案した。


「片付けることが山積みだがな……」


 湯気の立つ紅茶の水面を眺めて、伯爵が小さな溜め息を零す。

 すると、この話題を待ってましたと言わんばかりに、執事さんが「何度でも申し上げますが」と姿勢を正し、声高らかに宣言した。


「私は、当家の御令嬢をオーギュスト公に献上することは断固として反対です」


 出たー!本当にこれで何度目だろう。

 言うたびに私と堂々巡りの口論になるの、分かってるくせに。


 晩餐会の時に直接オーギュスト公の話を聞くことが出来なかった彼は、宴の後でヴァネッサさんから事情を聞かされることになったのだけれど、良くも悪くも執事という立場の人間らしく、ウィランバルの血筋から愛人を出すことに猛反対した。

 そうなると当然リズ・コレット・ライラの三人から選ばなくてはならないという話になるので、今度はそれに私が猛反対、議論は平行線をたどり続けている。


「それはもういいじゃないですか、私とディアス様で一緒に決めたことなんですから」


 冷静に答えようと思ったのに、口調に少し苛立ちが滲んでしまった。


 頭では、一般論として執事さんの言い分が正しいことは分かっている。御家存続という観点から考えれば、当主の血を引く娘と、生贄として呼び寄せられただけのゆかりのない娘、どちらを差し出すべきかは比ぶべくもない。


 だけど今回の場合、後者は、私にとってはかけがえのない友人なのだ。本来ならば自分が行くべきところを、身代わりとなって行ってもらうことになる人物のため、それを親友から出したくないという私の気持ちを伯爵は汲んでくれた。


 だからこそ私達は、晩餐会の翌日、まだ見ぬ未来の娘とその将来について、じっくり話し合った。我が子を差し出すなんて人でなしの親だと、生涯憎まれるかもしれない可能性も含めて――全部。


「……何のための生贄ですか」


 微塵も納得していない執事さんの声音は低く、厳しかった。責められるような、叱られているような気持ちになる。それでも私はそれを負けじと撥ねつけた。


「『食事のため』でしょう。食事をしなくなったんだから、それ以上用はないでしょう。はい、この話終わり」

「本当にそれでいいんですか、ディアス様!?」


 私にこれ以上何を言っても無駄だと思ったのか、はたまた付き合いの長い主ならば同調に傾けやすいと判断したのか、執事さんがターゲットを伯爵へと変更する。

 しかし伯爵は唇の端をふっと軽く持ち上げ、諭すような響きを以て執事さんの問いかけに答えた。


「案ずるなレオン。こちらからも条件を付けるつもりだ」

「そんなの呑んでいただけるか分からないじゃないですか……!」

「いいえ、絶対に呑んでいただきます」


 横からながら、私がきっぱりと言い切る。

 そう、その『条件』こそが、伯爵ともよく相談し合った、未来の娘へのダメージを最小限に止める秘策なのだ。上手く行けばダメージにすらならないので、これだけは何としてでも公爵に承諾していただかねばならない。


「『呪い』を後世に引き継がぬために、ミオは何としても自分で娘を産むつもりだ」


 一口飲んだ紅茶のカップをソーサーに静かに置いたその手で、伯爵が傍に立っていた私の手を掴み、引き寄せる。バランスを崩しかけた私を椅子に座ったまま抱き留め、自分の膝の上に座らせるようにしながら、彼は一度却下された要望をもう一度口にした。


「だから、一刻も早く子を成せるよう――早いとこ寝室を一緒にしてくれ」


 伯爵の唇がうなじに触れ、反射的に身体がしなる。

 もっともらしい理由付けをされた上、執務室でいちゃつく姿を見せつけられて、さすがの執事さんも今日のところは反論する気が失せたようだった。


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