第45話 それぞれの歩む道
「あんまりいきなりだったもので、頭がついて行かなかったわ」
ふかふかの枕を抱きしめながら、コレットがふふっと笑った。
リズ、ライラ、そして私も、彼女と同じローブを身に着け、思い思いの体勢でベッドの上にいる。
ここは私とライラの相部屋。せっかくなので伯爵には親子水入らずで過ごしてもらうことにして、皆には宴の片付けが終わった後、寝る支度を整えてから集まってもらったのだ。
「コレットと執事さんって、なかなかお似合いだと思うけど」
栗毛色の美しい髪を梳かしながらリズが言うと、コレットが「貴女とグレンデル伯ほどじゃないわ」と切り返す。
するとリズは頬をぽっと桜色に染めて、櫛にぐるぐると髪の毛を巻き付け始めた。はにかむ様子がとても可愛い。これは出来るだけ早くお茶会を開いたほうが良さそう。
「もう『生贄』じゃなくなるのなら、グレンデル伯爵夫人も夢じゃないですね」
ライラがさらなる攻勢をかけたので、リズが「もう、私の話はいいわよ」と傍にあった枕を掴んで顔を埋める。後の三人で顔を見合わせてくすくす笑い合うと、コレットがふと幸せそうな表情で呟いた。
「そう、私達、皆助かるのよね……」
そのしみじみとした声音が、全員の胸にじんわりと沁み通る。そうなのだ、もう私だけではない。記憶を消されることなく、晴れて自由の身だ。
だからこそ――三人がここに残る可能性は、低い。
「ごめんなさい……その、命までは奪られないってこと、黙ってて」
いい雰囲気が壊れるかもしれないと分かっていても、言わずにいられなかった。
私と違い、今日まで彼女達は『いつか血を吸い尽くされて死ぬだろう』恐怖に怯えながら過ごして来たはず。命は助かるけど記憶は消されます、とも言えなくて、伯爵が処遇を正式に決定するまでは隠し続けるしかなかった。
だけど、本当にそれで良かったのかは分からない。
『全く何も知らない』より、『少なくとも死にはしないということを知っている』毎日のほうが、多少なりとも心の安寧があったのでは、という思いが拭えなかった。
「ほらやっぱり!ミオは絶対謝ると思ったのよね」
枕から顔を離したリズが手を伸ばし、噛み締めた私の唇を指先でちょんと突く。
責められても致し方ないと思っていたので、予想外の反応に少し驚いて顔を上げると、三人とも穏やかな笑顔で私を見つめていた。
「むしろ、黙っているほうが辛かったでしょうに」
「色々なことが整理されていないうちから話せるような内容じゃなかったし、ね」
「死なないって早くから分かっていたら、仕事の手を抜いてたかも知れないわよ」
口々にそう言って笑い合う彼女達に、鼻の奥がつんと熱くなる。
やっぱり、とてつもなくお人好しで、精神的に成熟した娘達だ。ノイエッタ嬢は爪の垢を煎じて飲んで欲しい。あんな子どもみたいな反抗しやがって。おっと、口が悪くなってしまったわ。
それにしても、本当に良かった。
特殊な状況ながら出逢えたことも、ここで一緒に過ごした日々の記憶を、これから先もずっと共有していけることも。
「良かったじゃない、伯爵が完全なヴァンパイアじゃなくて。ほとんどヒウムに近いってことは、きっと寿命も同じくらいなんでしょう?」
リズのその言葉に、私は彼女の想い人が純血のウェアウルフであることを思い出してはっとした。その事実を自身にも言い聞かせるように、「あの御方は――分からないわ。ヒウムより長生きなのか、そうでないのか」と彼女が付け加える。
「それでも、種族が違うことなんてどうでも良いくらい、好きになっちゃったのよ」
自らの発言に、湯気が出そうなほどカーッと顔を赤らめたリズ。何だか私達も照れてしまって、部屋中がくすぐったい雰囲気に満たされる。
「あちらが望まれるなら、お城を移ってもいいんじゃないかしら。勿論リズがその気なら、だけど」
「そうね……」
私の提案に、リズの翡翠色の瞳が迷いを映して揺れた。
優しい子だから、御家族のことや私達のことを考えると、心のままに踏み出せない部分もあるのだろう。
だけどきっと、親元に戻ってしまえば二度とグレンデル伯と会うことはない。善は急げと言われるように、何か行動を起こすなら今のうちがいい。そのために私が協力出来ることは何でもしてあげたいと思った。目の前に幸せへの道が拓けているのだから、それを選んで進んで欲しい。
そんなことを考えていると。
「ねえ、ミオ」
「なあに?コレット」
「『生贄』じゃなくなっても、しばらくこのお城に置いてもらうことって出来るのかしら?」
微塵も予測していなかった質問が飛び出てきて、私は目を丸くした。
何せ、この中で誰よりも城を出たいだろう人は、家族の多いコレットだと思い込んでいたから。
「え、コレット、ここ出ないつもりなの!?」
「だって、実家には帰りたくないんだもの」
同じように思っていたらしいリズも驚いて聞き返したけれど、コレットの答えは引き続き意外なものだった。
「我が家は決して裕福ではなかったから、四姉妹の長女は、何かにつけて我慢させられてきたの。今回のお触れが来た時、妹達は当然のように『お姉ちゃんが行くのよね?』と言ってきた。親も口減らしに丁度いいと思っていたはずよ。今更戻ったところで、喜ばれることはまずないと思うわ。もう居場所なんてないでしょうし」
諦めの境地なのか、見えない傷を隠すために敢えてそうしているのか、彼女の口調は極めて淡々としていて。そこに全く悲しみの色が滲んでいないことが、私にはかえって哀しかった。
外から見ただけでは分からない、その家や人の事情というものがあるのだと痛感する。コレットの家庭然り、このウィランバル家然り。
「でも、いなくなって初めてコレットの存在の大きさが分かったはずよ。こんなに仕事が出来る娘さんなんだから」
リズが枕を放り出し、コレットに横から抱きつく。コレットはそれにゆったりと体重を預け、「ありがとう。今頃せいぜい困ってくれているといいんだけど」と微笑った。
『既にコレットがいないと回らない』というほどお針子組に彼女が馴染んでいたのは、居場所をここに見出したが故の仕事熱心さもあったのかも知れない。そしてそれがこの先も続いて行くのなら、彼女の能力を必要とするウィランバル家としては正直願ったり叶ったりだった。
「貴女が残ってくれるなら、こんなに嬉しいことはないわ。これからヴァネッサさんも大変になるし」
事情が事情だし、リズは残留しない可能性が高いので、控えめに、でも真っ直ぐに喜びを伝える。するとコレットは「伯爵夫人が歓迎してくださるなら、これまで以上に心を込めて働かせていただきますわ」とおどけた。
私は「やだ、もう」と笑いながら、彼女が幸せに暮らして行ける空間を全力で創って行こうと心に誓った。オーギュスト公に差し出すような真似も絶対にしない。取引自体を知られないようにしようと、私はこの時決意したのだった。
「……私は、ひとまず家族の元へ帰ろうかなと思ったんですが……」
ライラがシーツに手を滑らせながらおずおずと切り出す。
「『ひとまず』?」と私が聞き返すと、「正直、迷っているんです」と彼女は答えた。
「ここでのお仕事はやりがいがあるし、皆さんとも仲良くなったし、リズさんみたいに外に好きな人がいる訳でもないので……」
ライラのぐらつく心が手に取るように分かり、次に何と声を掛けたら良いか分からなくなる。家族には会いたい、でもここの仕事も続けたい。この同時に成立させることが難しい二つの願いは、ここにいる全員の眉をぎゅっと寄せさせた。
「どうするのが最善か、少し考えてみます」
しばらく皆でうんうん唸った後、最終的にライラ自身がそう言ったので、私はどんな結論でも尊重するということを伝えた。
魔族の皆は三人とも残ることを望んでいること、本音を言えば私もそのほうが嬉しいということは告げなかった。彼女達の気持ちに最も寄り添う形になる、『本人に決めさせる』という伯爵の意向を大事にしたかったから。
――ばらばらになる日の足音が近付いてくるのを、私はこの夜、はっきりと感じた気がした。




