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第24話 メイドの未来は、お城の未来

 伯爵の発熱の一件があってから、執事さんの私に対する態度は数日の間、あからさまに冷ややかだったものの。

 伯爵が私を庇い続けてくれたことや、執事さん自身が「大人気ない」とヴァネッサさんに怒られたことで(これが一番効いた)、それは次第に軟化していった。


 気付けば、晩餐会まで、残り二週間。

 リズのサラダも大分仕上がって来ていて、私は毎日の試食をとても楽しんでいたのだけれど、同時に日が経てば経つほど、大きな不安が心の中で膨れ上がっていくのもまた確かだった。


 伯爵夫人の座を狙う女ヴァンパイアが来る、という件。


 私はその日、皆と厨房に籠るから、そのひとの姿を見ることは恐らく叶わない。

 純血のヴァンパイアにとってヒウムは食糧となるので、顔を合わせなければ安全ではあるけれど。自分の目の届かないところで、伯爵とそのひとの接触があるということは、ライバルに絶好のチャンスをむざむざ与えているような気がして、考えるほどに胸の奥がちりちりと焦げ付くのだった。


「ミオさん、晩餐会にあたって、何か気掛かりなことでも?」


 紅夜城で働くメイド全員での、何度目かの打ち合わせが終わった後。

 こちらに近付いてきたヴァネッサさんがそう尋ねてきたので、私は驚いた。


 個人的な懸念だから、頭の隅に追いやるよう気を付けてはいたのだけれど、知らず知らずのうちに顔に出ていたのだろうか。特に何も、と答えようとした喉はこごったようになって、すぐに声を発することが出来なかった。


「何か心配なことがあるなら、遠慮なく教えてくださらないかしら」


 最後に小声で「話しにくいことでなければ」と付け加え、ヴァネッサさんがにこりと微笑む。

 その気遣いが心に沁みた私は、思い切って彼女に訊いてみることにした。


「晩餐会にいらっしゃる、ゲストのことなんですけど」

「ええ」

「ノイエッタ様、ってどんな方ですか?」


 その人物名を口にした途端、ヴァネッサさんの柳眉が明らかにぴくりと引き攣る。

 えっ、と思った瞬間、彼女の背後から清掃担当の責任者・メリダさん――羊のような角の付いた、薄緑の肌の女性――が、ひょっこりと顔を出して「その名前はヴァネッサには禁句よ」と言い放った。


「なんせ城に来るたびに、見境なく色んな男に声を掛けるもんだから。ヴァネッサの旦那も何回モーションかけられたか分かんないわよね」

「……余計なことは言わなくていいのよ、メリダ」


 睨みをきかせるヴァネッサさんの紅い髪が、本当に燃えているように見える。いつも穏やかで、温厚で、冷静な彼女が、こんな風に怒気を滲ませることがあるのかと、私は少し吃驚した。まあ、旦那さんにちょっかい掛けられたら無理もないか。


「――仕事に私情を挟むのは禁物だとは思いますが、」


 こほんと小さく咳払いをした後、ヴァネッサさんが気を取り直して話し始めた。


わたくしは、あの方をディアス様の奥方に迎えるのは断固として反対です」

「あたしも、ぜーったいに嫌!」


 メリダさんがこれに激しく同意する。


「あんなのに仕えるくらいなら、記憶を消されて解雇されたほうがマシよ」

「メリダ!」


 ヴァネッサさんの顔が強張り、メリダさんがしまったというように口元を手で押さえる。

 キールといい、うっかり発言しちゃう人が多いけど、今までよく秘密が漏れずに済んでいたわね。内心苦笑いしながら私はさっと周りを見渡して、リズやコレットやライラが近くにいないのを確認してから、「大丈夫ですよ」と告げた。


「お城を離れる時のことは、ディアス様やレオンさんから伺っています」


 声をひそめてそう続けると、二人は一瞬固まったのち、驚きを隠せない様子で私をじっと見つめる。


「それはあの、他の方達は……?」

「いえ、私だけです。皆にも一切話してはいません」

「そう……」


 ヴァネッサさんが片手を頬に当て、ほう、と小さな息を吐く。


「ディアス様が貴女を特別お気に入りなのは知っていたけれど……そんなことまで打ち明けていらしたのね」


 彼女は感心しながら「首が繋がって良かったわね」とメリダさんに囁き、それからこちらを向いて、ふと何かに気付いたかのように薄く口を開いた。


「――もしかして、ミオさんがノイエッタ様のことを気にされたのは、」

「はい」


 彼女が台詞をみなまで言わないうちに、私はこくりと頷く。


「今後もずっと、ディアス様のお傍にいたいと思っているからです。その気持ちは、御本人にもお伝えしてあります」


 いい歳をして少しばかり気恥ずかしさを感じながら答えると、ヴァネッサさんの顔が柔らかくほころんだ。ノイエッタ様の名前を口にした時は、いつ般若に変身してもおかしくない雰囲気だったけれど、これはいつもの優しい彼女の表情だ。


 すると、その時。


「――ねえ、あたし、いいコト思いついちゃったんだけど」


 メリダさんが、にやにやと満面の笑みを浮かべながら私達の間にぬっと入ってきた。


「ミオがここの奥方様におさまっちゃえば、ステラ様の時に続いて、ノイエッタは二度敗けることになるのよね。そしたら外聞もあるし、さすがに大人しくなるんじゃない?」


 明け透けな物言いが面白い彼女は、腰に手を当て、名案とばかりにドヤ顔を決めている。

 これは頼もしい味方になってくれそうだと、私が密かに親しみと嬉しさを感じていると。


「……わたくしは正直、ディアス様が選んだ方ならどなたでも構いません」


 ヴァネッサさんの返事は、意外というべきか予想通りというべきか、いずれにしろ彼女らしいクールなものだった。マイナスな意味ではなく、最優先すべきは伯爵の意向という、自分の立場をわきまえた上での冷静な発言。ノイエッタ様との婚姻を反対するのは、伯爵が彼女を選ぶことはないはずだと判断した上でのことだろう。


「ちょっとお、ヴァネッサったらノリ悪いわね~」

「それよりも気掛かりなのは、次の『入れ替え』のことよ」


 唇を軽く尖らせてツッコミを入れるメリダさんに対し、ヴァネッサさんの猫目石の瞳がすっと細められる。 


「ミオさんは上手く行けば、無事が約束されるでしょう。ですが後の御三方は、このままではお役御免となります。メリダ、次に迎えるのがごくごく普通の家事スキルの子だったとして、ライラさんと同レベルになるまで育て上げるのにどれくらいかかるかしら?」


 真剣なトーンで問われ、メリダさんもしばし、真面目な表情で考え込む。

 やがて引き出された彼女の返答は、「……ま、『ここでの滞在期間』では、まず無理でしょうね」というものだった。


「つまりあれね、ヴァネッサとしては、今回入った子達のそれぞれの専門スキルが高かったから、もう当分入れ替えたくないと」


 メリダさんがそう続けると、ヴァネッサさんが溜め息を吐きながら大きく頷く。


「『入れ替え制』は仕方のないことだと諦めていたし、何とか育った子達をすぐ手放すことになっても我慢していたわ。ただ、今回の子達は粒揃いだから、逃したくないの。でもレオン坊やは頭が固いから、首を縦に振ってくれるとは思えない」


 『レオン坊や』の表現に思わず口の端が緩みながらも、私はヴァネッサさんの言葉から滲み出るこれまでの苦労に頭の下がる思いがした。

 今のシステムは、どんなに仕事が出来る人でも契約を更新をすることのない、短期の派遣と同じだ。管理職は時間の大部分を新人教育に取られ、それを短いサイクルで何度も繰り返す羽目になり、疲弊していく。


 『メイドを入れ替えたくない』というヴァネッサさんの思いと、『リズ達の記憶を消させずに何とか助けたい』という私の思いは、利害が完全に一致している。私がそのことをを二人に告げると、


「それじゃ改めて、作戦会議と行きましょうよ」


 メリダさんがそう言って、にっこりと笑った。

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