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第22話 人に話すたび、想い募る

「いやあまさか、こうして御主人様の送迎が出来る日が来るとは、夢にも思っていませんでしたよ!」


 揺れる黒塗りの馬車の中、楽しそうにカカカと声を立てて笑ったのは、私が紅夜城に連れて来られた時に出会った魔族の青年キールだ。


「祖父の代から世話になっていると聞く。一族を代表して感謝する」

「やややっ、そんな、畏れ多い!」


 広げた膝の上に手をついて会釈する伯爵に、大慌てのキール。


「こちらこそ、こんなに長く使ってくださって本当にありがとうございます。それに、こんな素晴らしい機会を作ってくれたお嬢さんにもお礼を言わないといけないですねえ」


 彼が照れくさそうに目を細めながらこちらを向いたので、私も釣られて笑顔を見せた。


 この馬車は今、ウィランバル家の領地であるブラッドベリー農園へ向かっている。下降の一途を辿っている収穫量の救済案を打ち出すため、伯爵自ら視察に行くことになったのだ。


 伯爵がお城から出ることは滅多になく、少なくとも私がメイドになってからは今日が初めてなのだけれど、年に何回かはこうした視察や夜会に向かうことがあるようで。

 それならば五十年も送迎係を務めているキールが伯爵に会ったことがないのはおかしいと、執事さんに事情を聞いてみれば、『生贄』の送迎係と伯爵の送迎係は完全に別だとのこと。しかもそれぞれ必要な時にしかばないというので、それならば役割を片方に纏めて、もう一方には別の仕事を与えてみては?と意見したところ、それが通ったというワケ。


「それでその、今までこのお役目を仰せ付かっていた御方は、どうなったんでしょうかね?」

「この辺りの地理に詳しいということで、ウィランバル家の所有地の正確な地図を作成する手伝いをしてもらうことになったそうよ」

「はー、なるほどなるほど」


 キールがルビー色の瞳をくりくり動かしながら頷く。


「それは確かに、俺達には務まらない仕事ですね。俺らは女の子のお迎えと送り出しだけで、ここからは離れた地域が主ですから」


 彼はその時、両腕を広げておどけるような仕草を見せたのだけれど、すぐに全身をびくりと跳ねさせて口を手で押さえた。「しまった」という表情だ。今の発言にどこか変なところがあったかしら?と私が思考を巡らせていると。


「――大丈夫だ。ミオは全部知っている」

「は……」


 伯爵が静かな声でそう告げ、キールが一瞬唖然とした後に、いかにもほっとした様子で長い長い息を吐く。


「ああ、そうなんですね!良かった!そうか、でなきゃ視察に同行なんてさせませんよねえ」


 彼は後頭部をがしがしと掻きながら、「それにしたって口が滑ったのは事実です、申し訳ありません!!」とその場で平謝りした。

 なるほど、冷静に彼の台詞を反芻してみれば、『お迎え』はともかく『送り出し』はトップ・シークレットに値する。世間的には、紅夜城からは二度と出られないことになっているのだから。


 それで、私はふとあることに気付き、思わずパンと手を打った。


「そっか、あの時貴方のこと、人を死地に向かわせるにしては軽い態度だなあなんて思ってたけど……記憶がないにしても、『生きて』『また』会えるのを知ってたからなのね」

「仰る通り。『お食事』が済んだお嬢さんを遠くの地に置いてくるのも、我々の役目でして」


 キールがゆっくり頷きながら、紳士が自己紹介をする時のように胸に手を当てる。この真っ黒な馬車じゃ目立つのでは?と訊いてみたら、『送り出し』の時は魔術で見た目を毎回変えているらしい。秘密を守るためとはいえ、手が込んでいる。


「あっ、もっと、『今生の別れ』みたいな雰囲気を醸したほうがいいんですかね!?女の子達をあまり怖がらせるのも良くないと思っていたんですが……」


 不意に、キールがそんなことを言って焦り出したので、怖い見た目に反してやっぱりこの人面白いなと笑いを堪えていると。


 「どう思う、ミオ」と伯爵が私に意見を求めてきた。

 彼はその現場を実際に見たことがないから、答えにくいのかも知れない。私は「ええと」と少し考えてから、自分の中で纏まった意見を口にした。


「あの時は皆、怖がっていて多分そんなこと気にしていないし、もし私みたいにキールの態度を軽いと感じても、それが『なぜか』まで考える子はそうそういないだろうから、どちらでもいいんじゃないかしら」

「……だそうだ」


 言い終えたところで伯爵の言葉がそう添えられ、まるで発言する前から私の意見を肯定してもらえていたようで、嬉しい気持ちが胸にじんわりと広がる。

 キールはニカッと笑って「承知しました」と答えた後、私と伯爵の顔を交互に見つめて、首をゆっくりと縦に何度も振った。


「それにしても御主人様、良い娘に目を付けられましたね!こちらは、御主人様が爵位を継がれてから運んだお嬢さん達の中でも、俺の一押しですよ」


 彼のその言葉に、伯爵は特に何も答えなかったけれど。

 唇の端がほんの一瞬ふっと持ち上がったのを、私は隣で確かに目撃した。


 ただ、どういうつもりで笑んだのかは分からない。

 キールの喋り方がいちいち大げさで面白いから、咄嗟に出た反応で、特に意味はないのかも知れない。


 伯爵もいつか、選んだのが私で良かったと思ってくれたらいいんだけれど。


「ねえキール、貴方が前に私のこと、魔族の暮らしに向いてるかもって言ってたの覚えてる?」


 ほんのちょっぴり伯爵に揺さぶりをかけたいという悪戯心が働いて、私はキールにそんな話題を持ち掛けた。


「覚えてますとも。こうして再会してみても、やっぱりそう思います」

「私、伯爵夫人になるつもりなの」


 決意を自分に言い聞かせるように、そしてそれがキールだけでなく伯爵にも改めて伝わるように、きっぱりとした口調で宣言する。


「おお、そりゃあ結構なことで!」

「でもそのためにはディアス様に、私を女性として好きになってもらわないといけないんだけど……それがなかなか難しくて苦戦してるのよ」


 ちら、と伯爵のほうに視線を寄越す。伯爵は顔色一つ変えずに、締め切ったままのカーテンを黙ってじっと眺めている。


 間違いなく『一番のお気に入り』になれてはいる。充分過ぎるくらい良くしてもらってる。彼の伴侶になりたいという気持ちも、拒まれていないという事実が、少なからず自信には繋がっている。


 だけどそれだけじゃ、全然足りない。

 もっと生身の私のことを見て欲しい、こちらを向いて欲しい、伯爵のほうからも求めて欲しい――


 そんな欲張りな想いは見る見る膨れ上がって熱となり、じりじりと涙腺を刺激し始めた。やばい、今は泣くタイミングじゃないだろうと、重ねた手同士で密かに爪を立て、何とか意識を逸らす。


 すると、ぽかんとした様子だったキールが目をぱちぱちさせながら言った。


「いや、それは大丈夫なんじゃないですかね?だって……」


 彼の台詞が終わらないうちに、伯爵がわざとらしいほどの大きな咳払いをする。そこでキールは何かを察知したらしく、「頑張ってくださいよ、俺、応援しますから!」と私を激励するに留まった。


 何がどう大丈夫なのか、どうしてそう思うのか、本当は詳しく聞きたかったけれど。

 伯爵が少し怒ったような顔でカーテンを睨み付けていたので、農園に到着するまでに、その願いは叶わなかった。

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