第21話 忍び寄る、嵐の予感
伯爵の執務室にて。
晩餐会の日は決して部屋から出ないように、とのお達しが執事さんから発せられた時、リズの顔は見ているこちらの血の気も引くくらい真っ青になった。
「あのっ、絶対に他のところには行かないので、せめて厨房にいさせてもらえませんか!?サラダ、どうしても作りたいんです」
今にも泣き出しそうな表情で懇願するリズ。
「ああ……そう言えばそんな話がありましたね。いいでしょう。ただし絶対に厨房から出ないこと」
執事さんがそう返すと、リズは「ありがとうございます……!」と言って大きな安堵の溜め息を吐いた。
「あの……給仕の手伝いなどはしなくて宜しいのでしょうか?」
コレットがおずおずと尋ねる。
「その日は古参の者達に任せます。ゲストは全員が魔族ですので」
「下手に顔を合わせると、危険な目に遭うかも知れんぞ」
二人の返答に、私達ヒウム女子は思わず顔を見合わせた。
このお城で働いているせいで、自分達は何となく魔族に慣れた気になってしまっていたけれど、よく考えればゲストの魔族がヒウムに慣れているとは限らない。ともすれば『餌』とみなされる可能性があることに、私達は全員鳥肌を立てた。
「それなら、私達も一緒に厨房にいさせていただけませんか。リズさん一人だけ離れているのは心配ですし、私達も食器を洗ったりするくらいは出来ますから」
ライラのその申し出に、私を含めた他のメンバーがうんうんと頷いて同調する。
自室で一日暇を持て余すよりは、例え厨房から出られないとしても、四人揃って何か仕事をしていたほうがよほど建設的なのは確かだった。
「……なるほど、そのほうが無難だな。レオン」
「では、そのように。通達は以上です。解散!」
伯爵の賛同によりスムーズに意見が通ったところで、私達はそれぞれの持ち場に戻されることになった。と言っても私の居場所は元々この執務室なので、そのまま居残る形になったのだけれど。
「危険な目、ですか」
退出していく三人を見送った後、扉をそっと閉めながら、私は引っ掛かった言葉を口にした。
「……気を付けろ。『純血』も来る」
「えっ?」
声をひそめた伯爵の台詞が気になって聞き返すと、執事さんが神妙な面持ちで説明する。
「遥か遠い地ですが、ウィランバル家以外にもヴァンパイアの一族はいるのです。中でもリンディール家の御息女ノイエッタ様は、当家との結びつきを強く持ちたがっておられます」
「――あいつはもう呼ぶなと言っただろう」
「そんな訳には参りません。ディアス様が最もよくお分かりのはずでしょう」
私の知らない女の人の話題が出た時、それまで穏やかな表情を保ち続けていた伯爵が一転、酷く不機嫌になったのが分かった。彼にとっては恐らくあまり思い出したくなかった名前で、そして――私もあまり聞きたくなかった名前。
「結びつきを持ちたがってるって、」
あくまで平静を装いながら、私は尋ねた。
「ディアス様と結婚したがってるってことですか」
恋敵と呼べるかもしれない存在の出現に、脳神経がひりつくような感覚を味わう。しかも相手は純血のヴァンパイア。伯爵の感情を抜きにしてしまえば、何をどう競っても自分に勝てる要素などないような気がする。
「……正確には俺とどうこうというよりも、ウィランバル家を乗っ取ろうというのがノイエッタの狙いだ」
私の心の裡を察してか、伯爵が『乗っ取る』という部分を強調して補足を入れる。自分に惚れている訳ではない、つまり自分は彼女を結婚相手の候補として見てはいない――暗にそんな風に説明されたような気がして、私はほんの少しだけ胸を撫で下ろした。
「ちなみにノイエッタ様は、当家の先代ジークハルト様の時に、その企てに失敗しておられます」
「……!?」
ちょ、ちょっと待って。ノイエッタ様って一体、何歳なのよ……。
一瞬混乱しかけたけれど、しかめっ面に頬杖の伯爵を見ていて、その本質にふと気付く。
「そうか、純血のヴァンパイアは長生きだから……混血の伴侶が先に亡くなれば、自分が実権を握れるんですね」
「その通り。もしも公爵家の後ろ盾がなければ、疾うに力づくで乗っ取られていることでしょう」
これまで苦労して守り、隠してきた血筋のことだからか、執事さんの表情も険しい。
ウィランバル家の秘密を知らない他の種族ばかりか、事情を知る同族からも隙を窺われているなんて、それがこの先もずっと続いて行くなんて――。
「……色々と大変なんですね」
思わず、そんな感想がぽろりと零れた。あくまで率直なもので、深い意味はなかったのだけれど、それを聞いた伯爵が、真顔で「夫人の座は諦めるか?」と訊いてくる。
「まさか」
どことなくムキになって私がきっぱりと答えると、
「お前のことだから勘付いているとは思うが」
伯爵が組んだ両手指の上に顎を乗せ、唇の端をにっと不敵に持ち上げた。
「この城にヒウムが入る機会は限られている。つまり、俺の曾祖母、祖母、母は――全員、メイド上がりだ」
彼の声が、柔らかな熱を持って私の鼓膜にじわりと沁み通る。
「せいぜい励めよ、ミオ」
これまで滅多に聞くことが出来なかった伯爵のエールに、唇を引き締めながら大きく頷く。
執事さんが「余計なことを」みたいな、何か言いたげな顔をしていたけれど、それは無視で。
単にノイエッタ様の思惑通りに事を運ばせたくない、本当のところはそれだけかも知れない。
それでも私には、自分の隣に並んでいいのはお前だけだという、公認の言葉のように聞こえた。
ただし、この日は眠りに就くまでずっと、ノイエッタという女性のことが頭から離れることはなかった。




