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第20話 向き合う想い、優しい絆

「……っ!??」


 リズが声にならない声を上げながら椅子から立ち上がったので、一瞬どこか遠くへ飛びかけた私の意識はすぐに引き戻された。


「そんなまさか、違うよ!違う!」


 『まだ』、という単語を押し込めて慌てながら否定するも、ライラは続けてとんでもないカードを切ってきた。


「でも、一緒にお風呂に入っていますよね……?」

「っ!?」


 今度立ち上がったのはコレットだ。


「な……んでそれを」


 まるで悪事がばれた時のチンピラのような台詞が私の唇から零れる。


「私が『謹慎』を解かれた日、伯爵専用のバスルームのお掃除に行ったら、脱衣スペースにこれが落ちていたんです」


 彼女がエプロンのポケットから取り出したのは、淡い紫色の小花の細工をあしらった、小さなヘアピン。私が五本ほどマディに貰い、愛用していたものだ。一本どこで失くしてしまったんだろうと内心落ち込んでいたのだけれど、ライラに拾われているとは思わなかった。道理で、バスルームを確認しに行った時も見つからなかった訳だ。


「……あらほんと、これは確かにミオのね」


 リズが頬に手を当てながらまじまじとピンを見つめる。


「あの日は頭がぼんやりしていたので、『あら落とし物』くらいにしか思わなくて、ポケットに仕舞ったことも忘れていたんですけど……エプロンを洗濯しようとした日に急に思い出して、よくよく考えたらそういうことなんじゃないかなって」


 何やらセクシーな想像をしているのか、ライラの顔がちょっぴり赤い。

 ここでその場凌ぎの嘘を吐いて誤魔化したとしても、今後の伯爵の入浴時にバスルーム付近で張り込まれてしまったら、私が一緒にいることなど即座に分かってしまう。いずれ知られることだろうと思った私は、正直に話すことにした。


「……実は、毎日、伯爵の背中を流しているの」

「まあ、お世話係ってそんなことまでしなくちゃならないの!?」


 コレットがテーブルに手を付いて身を乗り出しながら尋ねてくる。


「いや、本来そんなこともないんだろうけど……伯爵の希望でね」

「なるほどねえ。ミオって、伯爵の特別お気に入りっぽいもんね」

「やっぱり?実は私もそう思っていたの」


 興奮気味に立っていたリズとコレットが、口々にそう言いつつ椅子に座り直した。そして紅茶のお代わりを淹れながら、伯爵が私を見る眼が他の人と違うとか、あの時もこんな風に感じたとか、聞いている私が恥ずかしくなるようなエピソードを次々に繰り出し始める。


 すると。


「すみません。実は、同室のミオさんにこっそり聞けばいいものを、わざわざ皆さんのいる時にしたのは、理由があるんです」


 タイミングを見計らって、ライラが手を挙げながら発言する。


 確かに、彼女と私はルームメイト同士なので、部屋で幾らでもチャンスはあった。にもかかわらずわざわざこの場を選んだということは、何か考えがあってのことなのだろう。正直、この時は驚きと焦りのあまり、言われるまではそんなことに気付きもしなかったのだけれど。

 

 ライラは私達三人の意識が確実に自分に向いたのを確認してから、一度大きく息を吸い込み、真剣な面差しでこう言った。


「――ミオさんがこのまま、伯爵の特別な人になったら、血を吸われなくて済むんじゃないでしょうか?」


 その瞬間、私は驚きのあまり、呼吸も、瞬きも、普段意識せずに行っている生命活動の大部分を止めた。


 個人的な自分の企てを、他の人から提案として聞くことに、これほどの威力があろうとは。

 しかも私自身は、『自分以外の三人が最終的にどうやったら助かるか』なんてアイデア、考えもしなかったのに。


「本当ね……なぜ今までこんな良いことに気が付かなかったのかしら」

「しかも上手く行ったら、『伯爵夫人』じゃない!」


 コレットとリズは吃驚びっくりしながらも、それ以上に乗り気でこれに同調する。


「そうなんです。だから、何が出来るか分からないですけど、そういう方向で皆で協力し合うのはどうかなと思って」


 自分の意見が肯定されたことで、ライラは花が咲いたかのように嬉しそうな表情を浮かべている。しかし彼女は固まったままの私にふと気づくと、顔色をさっと変えた。


「あ……でもミオさんの気持ちが一番大事ですよね。先走ってしまってごめんなさい」


 目の前でしゅるしゅると大輪の花弁が萎んで行くのを見て、私はようやく我に返った。

 幾らか冷静になった頭で情報を整理すると、はっきりと見えてくるのは――どこまでも自己中心的な、私という人間の輪郭。


「それは私自身、考えていたことなの。でも、一人だけ助かろうなんて浅ましいかと思って、とても皆には言えなかったのよ……」


 消え入りそうな言葉の終わりが、楔となって自分自身に深々と突き刺さる。されどそれは、他の三人を傷付ける刃にはならなかったようで。


「あら、どうして?全員血を吸われて死んでしまうより、一人でも助かったほうがいいに決まってるじゃない」


 リズが空になったお皿にパイを取り分けながら言った。 


「そりゃ、それが自分じゃないのは確かに残念だけど……幾ら命が助かるからって、一生を好きでもない男に捧げるなんて私には無理だわ」

「リズはガンドルさんみたいな男性が好みだものね」


 コレットがふふふと笑ってティーカップに口を付ける。

 ガンドルさんとは、ネーレル村で一番の木こりで、髭を蓄えた筋骨隆々の逞しいおじさまのことだ。彼がタイプだというのなら、そりゃ伯爵になんて興味が湧きやしないだろう。


「私も、ミオだけでも助かるなら嬉しいわ」

「私もです」


 コレットとライラの賛同を得て、リズが大きく頷き、改めて私をじっと見た。


「で、肝心のところはどうなのよ、ミオ。伯爵のこと、好き?」


 ストレートに問われ、言葉に詰まる。

 伯爵にも同じようなことを聞かれ、あの時も「好きだ」とは断言出来なかった。決して嫌いじゃないけれど、多分これから好きになれると思うけど――これって、ちょっと後ろ向き?


「じゃあ、質問を変えるわね。伯爵が今すぐ結婚することになりました。明日から、その奥様のお世話も一緒にすることになります。どう?ちなみに私は平気」

「私も大丈夫」

「私も、喜んでお仕え出来ると思います」


 リズが出してきた具体的な内容を、私は目を瞑って想像した。


 今、伯爵の一番近くにいる女性は間違いなく私だと思うけど、それが自分ではなくなるとしたら?

 伯爵が、他の誰かと仲睦まじく過ごす様子を、近くで眺めながら働き続けなくてはいけなくなるとしたら……?


 実際のことではないのに、胸の最も深いところを鈍い痛みが駆け巡った。

 いい歳の大人だから、表向き、平気なふりは出来るかも知れない。でも、間違いなく心は少しずつ死んでいくだろう。そしてその虚無感を埋められるものは、どこにも存在しないだろう――。


「……凄く、嫌かも」


 しばしの沈黙を破って絞り出した私の声は、自分でも驚くほど悲痛な色を帯びていた。

 ……何だ。私、自覚していたよりもずっと、あの人のことが好きなんだ。


「――決まりね」


 リズが手を組んでにっこりと微笑んだ。


「皆で頑張って、ミオを伯爵夫人にしましょう」

「賛成!」

「余計なお節介かと心配だったけど、良かったです」

「さっ、早く食べちゃいましょ。もうすぐティータイム休憩が終わっちゃう」


 少しの曇りもない笑顔を見せる彼女達を前に、胸がいっぱいになる。


 勧められるままに美味しいパイを頬張りながら。

 彼女達も一緒に助かるために、自分に出来ることは何でもしようと、私はこの日、深く心に誓った。

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