第2話 目を覚ましたら、異世界でした
そう、あれは実に半年も前のこと。
さわさわという爽やかな葉擦れの音に起こされた私は、あれ、窓開けてあったっけ、とぼんやりしながら疲れの残る体をゆっくりと起こし――唖然とした。
見渡す限りの草、草、草。
ところどころに、ピクニックに最適そうな、緑たっぷりの樹木。
少なくとも、こじんまりとしたワンルームの、私の部屋ではなかった。
前日の夜遅く、会社から帰宅して、そのまま着替えもせずメイクも落とさずベッドにダイブしたのは憶えているんだけど。
なぜ、私はそのオフィススーツのまま、広大な原っぱのど真ん中で寝ていたのだろう。
驚いた。確かに驚いたんだけれども、まだ眠気が完全に取れていなかった私は、事も有ろうに――
もう一度寝た。
いや、頭がよく働いていなかったもんで、夢だと思っていたのよね。
正直、草が柔らかくて気持ち良かったし。
だけど、二度目に私を起こしたのは、今度は葉擦れではなくて、頬に当たった冷たい大粒の雨。
文字通り、叩き起こされた。私を引っぱたいた雨は、すぐに大勢の仲間を引き連れて、本格的な土砂降りを展開し始めた。
ちょ、ちょ、ちょっと、嘘でしょう!?
これ、リアルなの!?
慌てて一番近くの大きな木の下に逃げ込んだ私は、濡らされて肌に纏わりつく着衣に顔をしかめながら、なぜこのような事態に陥ったのかをどうにか推測しようとした。
されど、全く心当たりがない。
そもそも、ここはどこなのか。明らかに自宅の近くでもなければ会社の周りでもない。
意識を飛ばしている間に家宅侵入・拉致されて、どこか遠くの地へ放り出されたのだろうか。
だとしたら一体、誰が、何のために?
ぐるぐると考えを巡らせているうちに、そうだ、警察!と思い立って、私は携帯電話を手に取ろうとした。が、ポケットに入ってもなければ、傍に落ちていたりもしなかった。
携帯、帰って来る時握り締めてたから、多分ベッドの上だわ……。
あああああ。
見知らぬ地で、あるのは身一つ、連絡手段無し。
絶望のあまり、思わず声に出た。
「あああああどうしよう」
「……あの……」
突如、背にした大樹からか細い女性の声が聞こえてきたもので、私の身体は驚きのあまりビクッと跳ねた。
一瞬木が喋ったのかと思ったけれど、そうではなくて。恐る恐る振り返ってみれば、木の陰に、それはそれは可憐な美少女が私と同じように雨宿りをしていたのだった。
「……大丈夫ですか?」
私に声を掛けてくれたその少女は、年の頃は十五、六くらいだろうか。
『みどりの黒髪』ってこういうのを言うんだろうな、っていうさらさらストレートのロングヘアーに、いわゆる『抜けるような白い肌』をしていて、長い睫毛に縁取られた瞳には濃い紫色のカラーコンタクトを入れていた。実のところ、それはカラコンなんかじゃなく本物だったんだけど、私はこの時はそう思った。
鼻筋もすっと通っていて、唇はほんのりと紅く、小柄で程よく細身で、ビジュアル上の欠点が何一つ見当たらない。ごくごく地味な、ざっくりとした生成りのワンピースを着ていたけれど、その美貌は童話の中のお姫様か何かと思うほどだった。
こんな綺麗なお嬢さんに、奇声を発したところを聞かれていたなんて。
「あ、変な声出してごめんなさい、大丈夫です……」
顔から火を噴きそうな恥ずかしさに堪えながら、私はどうにかこうにか言葉を返して。
それからすぐに、「あ、やっぱり大丈夫じゃないです!!」と自分の台詞を否定した。
「すみません、ここ、一体どこですか?」
私が尋ねると、彼女は少々面食らった面持ちになったけれど。
「道に迷われたのですね。ここは、ネーレルの村とミュランの森の中間地点にある平原です」
すぐににこやかに答えてくれた。
そしてその微笑みに見惚れながら私は、そもそも日本じゃないのかよ……と、本日何度目かの絶望に身を震わせたのだった。




