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第17話 これから恋を始めるのもありでしょう?

 伯爵に気に入られて処分されない立場になるのは歓迎だけど、さすがに奥方の座までは求めない――私は確かにそう考えていたはずだった。

 なのにこんな、求婚紛いのことが口をついて出てしまって。すぐに後悔したのは、言ったその瞬間に、伯爵の顔が酷く曇ったからだった。


「お前が俺に惚れているようには思えないが」


 伯爵が懐中時計を仕舞い込みながら、こちらに冷ややかな視線を流す。


「はぐれ者への同情か、はたまた純血のヴァンパイアでないと知って財産を狙う気になったか?」

「命を失わないと分かったのですから、それ以上を望む必要はないでしょう」


 伯爵の言葉は刺々(とげとげ)しく辛辣で、そこに執事さんの追加攻撃が加わり、私に痛恨の一撃を与えた。


 しまった。完全にタイミングを間違えた。そう誤解されるのも無理はない。

 ――伯爵を、傷つけてしまったかもしれない。


「御気分を害されたのなら申し訳ありません」


 私は深々と頭を下げた。今にも失われそうになっている彼の信頼を取り戻すには、誠実に向き合い、真摯に話すしか術はない。


「ですが、私にここまで事情を打ち明けてくださったのは――どうせ私の記憶も消すおつもりだからですよね?」

「当然でしょう」

「消されたら、私は生きていけるかどうか分かりません」


 ぎろりと厳しい眼差しを向けてきた執事さんに、強い語気で言葉を返す。 

 

「もう既に一度、新しい人生を生き直しているようなものなのに。それも、前の世界の知識があるからこそやって来られたのに、記憶を消されたら何もなくなってしまいます」


 彼らに訴えているつもりながら、それは自分自身に現実を知らしめる台詞だった。


 名前すらも忘れるというくらいだから、この世界に来てから覚えたことは勿論、きっと前の世界にいたこと自体、跡形もなく忘れ去ってしまう。そうしたら、元々この世界の者ではない私は、赤子同然のようになってしまう可能性がある。


 ならば結局、これまでの私は、『死』を迎えるのとほとんど同じ。


 捲し立てた私がはあ、と息をいたのが合図かのように、伯爵と執事さんが顔を見合わせた。そこで初めて、とんでもないキーワードを自分がうっかり口にしてしまったことに気付く。


「……『前の世界』とはどういう意味だ。ミオ――お前のほうこそ、何者だ?」


 伯爵が至近距離まで近付いてきて、私の顔を真っ直ぐに見下ろした。先程までの、私への軽蔑とも取れた昏い表情が興味へとすり替わったのを見て、ほんの少しだけほっとする。


「それでは、順を追ってお話しますね」


 私は自分が異世界から迷い込んで来た人間であることを、伯爵と執事さんに丁寧に話し始めた。

 結局、半年間探っても帰り方が分からなかったこと。今更無事に帰れたところで、元の世界に居場所があるかどうか分からないこと。資料整理が得意なのは、前の世界で会社勤務だったからということ――などなど。


「――だから、私は厳密にはヒウムですらないんです。ディアス様をはぐれ者呼ばわりする資格なんてないんですよ。私がこの世界で一番のはぐれ者なんですから」


 笑いながら言った言葉の終わりが、少し震える。

 そうだった。すっかり馴染んでいるつもりだったけれど、私こそ、異端の存在なんだ。

 この世界に来て、色んな人と知り合い、本当に親切にしてもらったけれど――根っこの部分では、いつも独りぼっちだった。


「……要するにお前は、己の居場所を、俺の妻の座に求めるということか」


 眉間に皺を寄せながら黙って話を聞いていた伯爵が、口を開いた。


「それもありますけど……」

「何だ、他に何がある」

「ウィランバル家が今のやり方を続けているのは、弱体化を外に悟られて潰されないようにするため。ということは、一族の存続を考えていらっしゃる訳で、いずれ奥様とお世継ぎが必要になってきますよね」

「……まあ、そういうことになるな」


 不意に伯爵の歯切れが何だか悪くなる。

 すると、待ってましたとばかりに執事さんが、「そこなのです!」と急に乗り出してきた。


「ディアス様は、もううにご結婚されていてもおかしくない歳ですのに、そこをずっとはぐらかし誤魔化し続けてこられたのです。そしてそれはまさに、当家の事情と深い関係があるのです」


 今まで誰かに話したくて仕方なかったと言わんばかりに活き活きと語り出した執事さんに対し、伯爵は非常に決まりが悪そうに目を逸らしている。まあ、ここに限らず、家のためのお嫁さん選びって大変そうだものね。


「つまり、奥様になる方からは、ディアス様が混血であることや、女の子達を集めるやり方への理解を得る必要があるということですよね。それ――相手が私なら、話が早くないですか?」


 効率の良いことを好む伯爵に、これは響くだろうと思って申し出たけれど。

 肝心の彼はというと、やや押され気味というか、戸惑い気味というか、引き気味で。


「……お前は、それでいいのか?」

「えっ?」


 いいも何も、自らの提案なんだけどなあ。予想外の彼の反応に面食らっていると、執事さんが苦笑いを浮かべながら注釈を入れてくれた。


「ディアス様は、ご結婚に際しては、惚れた者同士でなくてはならないという信念がおありのようでして。こう見えてロマンチストな方なんですよ」

「レオン!」


 伯爵の表情が見る見る不機嫌な色に染まる。怒るということは、本当のことなんだろう――可愛いなあ。


「それじゃ、今日から、ディアス様に好きになっていただけるように努力します」

「……お前が、俺を好きになる努力も必要なんじゃないのか」


 彼はどうやら嫌味のつもりで言ったようだけれど、私にそれは効かなかった。だって、「奥さんに」って迫った後、なぜそんなことを言ったのか自分でもよく分からなくて、ずっと考えていたから。


 そうして導き出した答えの一つが、これ。


「確かに、寝ても醒めてもディアス様のことを想うかと言われたら、そうではないですけど」


 回り込んで、下から真っ直ぐに伯爵の顔を見上げる。


「ディアス様の背中を他の人が流すとなったら、不愉快です。それでは駄目ですか」


 我ながら、正直ちょっと気持ち悪いかも知れないくらいの、恐ろしくあざとい攻撃を繰り出す。齢二十八にして、異世界でこんな駆け引きをすることになろうとは思ってもみなかった。受け入れられたら一生この世界で生きていく覚悟が必要だというのに、これをちょっと楽しいと思い始めている自分もいるから不思議だ。


「……そろそろ執務室に戻るぞ」


 結局この時、伯爵が私の言葉にはっきりとした返事をくれることはなかったけれど――我先にと部屋を出て行く彼の耳が少し紅かったのを、私は見逃さなかった。

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