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第15話 ウィランバル伯の重大な秘密

「な……っ、何を」


 その時、私のカウンターを受けてからずっと口を閉ざしていた執事さんが、床に座り込んだままで身を乗り出した。


「何を言っているのです!ディアス様は、誇り高きヴァンパイアの一族たるウィランバル家の、正統な御当主様であらせられ」

「レオン」


 口の中が切れてしまっているのか、痛みに顔を歪めながら懸命に喋る執事さんを、伯爵がそっと制する。


「――質問に質問で返して悪いが」 


 伯爵が、しゃがんでいて乱れたマントの裾を直しながら立ち上がり、ゆっくりとこちらへ向かってきた。


「なぜそのように思った?ミオ」


 優しいけれど、それ以上に冷たさをはらんだ漆黒の瞳。手を軽く差し出せば触れられる距離まで迫られて、身体がすくみ上がる。


 だけど――


 二週間近く、いつもこの人の傍にいて身の周りのお世話をしてきた。だから、表情があまり変わらなくても、感情の揺れは何となく分かる。


 彼は恐らく、いきなり主人の素性を疑うような私の暴言にほんの少しだけ怒っていて、同時に真っ先に核心を突いてきたことに感心もしている。

 そして何より――秘密が暴かれるのを、待っている。


 『彼が本当にヴァンパイアかどうか』なんて、きっとこれまで誰も疑ってこなかったんだと思う。

 お城の外の世界では、噂話に無数の尾鰭おひれがついて、すっかり『残虐なヴァンパイア伯爵』像が出来上がってしまっている。集められた女の子達が帰らなければ、お城の中のことは一切漏れないものね。


 彼が本当にヴァンパイアでないとして、『敢えて』それを演じているのだとしたら。

 きっとそこには然るべき理由と、私には想像もつかない苦労が、苦しみが、孤独があるはずだ。


 私は何度か大きく深呼吸をしてから、伯爵を真っ直ぐに見上げた。


「ここに来てからずっとディアス様のお傍におりましたが、血を吸うような方にはとても思えませんでしたので」


 そう答えると、私を射竦めていた伯爵の眼から微かに毒気が抜ける。


「……それだけか」

「充分な理由ではないですか」

「ならば、俺は一体何者だと言うんだ」


 一瞬弱まった光がまたすぐに戻ってきて、先程までよりもっと強い視線を生み出す。ここで目を逸らしてはいけないと思った。退いてしまったら、隙を突かれて私も棺桶ドールの仲間入りかも知れない。


「恐れながら申し上げますと」


 私はともすれば乱れそうな呼吸を押さえるように、胸元に両手を当てながら答えた。


「ディアス様がヒウムなのだとしたら、同じヒウムであるレオンさんがお仕えしているのも説明がつくかと」


 緊張で喉が震えそうになるのを、丹田に力を込めてぐっと堪える。

 とうとう踏み込んでしまった、と思った。くらく、深い、闇の底無し沼に。


 せいぜい棺桶に眠っている女の子達を目撃してしまった程度であろうライラより、遥かに危険な領域へと辿り着いてしまったのだ。気を抜いたらいつ消されてもおかしくない、という恐怖が全身を駆け巡り、私はそれが表情や仕草に出ないよう必死に水面下で闘っていた。伯爵のお気に入り、という設定に甘んじている場合ではない。


「……私は己がヒウムだと明言したつもりはありませんがね」


 その時、執事さんがよろよろと立ち上がりながら口を挟んできた。


「違ったのなら申し訳ありません。では、何か御自分の種族が分かるような証拠を見せていただけますか」


 私が即座に切り返すと、彼は物凄い形相でこちらを睨んできた。この人、第一印象のきりっとした美男子イメージからどんどんかけ離れていくわね。


「レオンは、何の混じり気もない、ヒウムだ」


 散り始めた火花を打ち消すように、代わりに答えたのは伯爵だった。


「そして俺は――ヒウムではない」


 続けて繰り出された予想外の台詞に、思わず息を止める。それならば一体何の種族なのかと訊ねそうになって、まだ、最初の質問にきちんと答えてもらっていないことに気付いた。


 言葉にせず、目で問う。貴方は、本当にヴァンパイアなのですか?と。


 その意図を酌んでくれたらしい伯爵が、意味有り気な薄い笑みを浮かべながら続ける。


「ヴァンパイアでも、ない」

「ディアス様!!」


 執事さんが声を荒げた。肝心なところは話すべきではないと、その眼が強く訴えている。しかし彼に背を向けている伯爵に、それは届いていない。


 ヒウムでもない、ヴァンパイアでもない。

 その言い回しから導き出される真相が、私の知識の中で、一つだけある。


 本当は、『どちらでもある』と言えるはずなのに。


 それまで心を満たしていた恐怖と入れ替わるように、ひたひたと哀しみが湧き起こってくる。  


「賢いミオは、もう分かるな」


 伯爵の指先が、私のおとがいにそっと触れた。手袋越しに感じる温もりは、バスルームでの接触に慣れている私には物足りなく感じた。ぎこちなくそこに自分の手を重ねると、「はい……」と小さな声でいらえる。


 すると伯爵は、何かから解放されたかのような清々しい面持ちで、私の額に自分の額を当てながら囁いた。


「俺の中に流れている血は、ヴァンパイアのものが八分の一だけ――後はヒウムだ」


 まるで伯爵自身に言い聞かせるように、一つ一つ丁寧に紡がれた彼の言葉が、とても痛くて。

 こんな女に同情されても嬉しくないだろうと思いながらも、私の目の端からは、涙が零れ落ちた。

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