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第14話 虎穴に入らずんば虎子を得ず

 扉が開け放たれた時、目に飛び込んで来た光景に、私は一瞬呼吸をするのを忘れた。


 弱々しい蝋燭の光に染まった部屋の中には、ただ、蓋のない棺桶が八個ほど並べられているだけで。

 そのうち右端から二つに知らない女の子が二人、そして左端の一つには――ライラが横たわっていたのだ。


 ライラの顔は血色が良く、遺体のそれには見えなかったので、ほっとした私は彼女の棺桶に近付こうと、部屋の中に足を踏み入れかけた。

 その瞬間、背後から抱きつかれるような形で身体の自由を奪われ、ハンカチのようなもので鼻と口を塞がれてしまった。恐らく、執事さんだ。


 しまった、油断した、と思った。

 けれども、身体は反射的に動いてくれた。


 お尻を後方に大きく突き出し、相手の体勢が崩れかけたところに、片足を引きながら体を捻り、遠心力を利用して腕を相手の顔に思い切り打ち付ける。

 護身術の一つをまともに喰らって、執事さんが呻き声を上げながら床に転がった。一人暮らしを始める時に覚えたものだけど、使う機会がほとんど無くて、まさか異世界に来てから役に立つなんて。


 しかも、執事さんがヒウム純血100%だからこそ通用した技だ。

 力の強い魔族だったら、こうはいかなかった。


「ごめんなさい」


 痴漢に遭った時ならばこの後は逃げ出すだけだけど、今は状況が大きく違うので、私はまず謝罪した。


「手荒な真似をして申し訳ありません。ですが、何も知らないままこの棺桶に入る訳にはいきません」


 きっぱりと言いながらも、長いスカートに隠れた私の膝は震えていた。突然襲い掛かってきた最悪の事態を免れただけで、決して有利になった訳ではない。執事さんは倒れているけれど、伯爵が入口に立ちはだかっている。部屋から出られそうにないし、首尾よく出られたところで、城の中に安全な場所などありそうになかった。


「……お前には驚かされることばかりだな」


 伯爵がゆっくりとしゃがみ込み、執事さんの肩を抱き起こした。気を失ったりこそしていないものの、すぐには立ち上がれそうにない様子の執事さんを見て、少しばかり胸の奥が痛む。


「……申し訳ありません」

「そう何度も謝らなくていい」


 伯爵が予想外に穏やかな表情でこちらを見た。 


「上司に手を上げたのは褒められることではないが、淑女レディに手荒な真似をしたのはレオンも同じだからな。こちらから一方的に攻撃をしておいて、反撃を喰らうはずがないと思うのは驕りだ」


 言いながら、私の裏拳を受けて赤くなっている執事さんの頬を、指先でちょんとつつく。痛みにびくりと身体を跳ねさせる執事さんに、伯爵の口元が笑みの形を作る。うわあ、この人、Sだ。何となく分かってはいたけれど。


「――さて、質問があれば、三つまで答えてやろう」

「えっ、どうして三つまでなんですか」

「それも質問の一つに数えていいか?」

「ダメです!」


 私が焦ると、伯爵はやれやれといった風に肩をすくめ、しゃがんだままドアノブに手を掛けて扉を静かに閉めた。退路を断たれたように思えて、喉がごくりと鳴る。果たして、質問を終えた時、私はこの部屋から無事に出してもらえるのだろうか。


 「よく考えたいので、少し時間をください」と願い出ると、伯爵はよろめく執事さんの脇を抱えて立ち上がるのを助けながら、小さく頷いた。貰ったチャンスを逃すまいと、私は部屋の探索を始める。


 と言っても、室内には調度品がほとんどなく、本当に棺桶が並んでいるだけだった。傍に水差しが置かれているところを見ると、ここに横たわっている人の唇を湿らせたりしているのかも。


 ライラの胸が、微かに上下している。意識はないものの生きていることが分かると、むしろ気になってくるのは右端の、二人の女の子達だ。私達と同じメイド服を着ているし、ここが『お食事をする部屋』であるらしきことから、前任者達のような気がするんだけれど。


 私は彼女達に近付いて、様子をよく観察した。ライラと同じように頬には赤みが差していて、呼吸もあり、ただ深い眠りについているだけのように見える。随分健康そうで、とても血を吸われた後のようには思えない。だけどもう、『お食事』は済んでいるはず……。


 私の中で、色々なことが引っ掛かっていた。情報が複雑に絡まり合って、もやもやしている。


 純血のヒウムであるレオンさんが、なぜヴァンパイア伯に仕えているのか。それもわざわざ、執事などという、このお城によって最重要とも言える立場で。


 この部屋は、錠前こそ仰々しいものなのに、なぜその気になれば破壊出来そうな木の扉が設えられているのか。女の子達は意識を失っていて、逃げ出す可能性が低いから?


 『お食事』されたはずの女の子達と、まだ『お食事』はされていないライラとの、見た目の違いのなさ。何のために眠らされているのか。この娘達は、この後どういう扱いを受けるのか?


 考えて、考えて、考えて。


 やがて幾つもの小さな疑問が、り合って大きな一つのロープとなり、私の手を誘いに現れた。

 これを手繰り寄せてはいけない気がする。いきなり核心に迫ってしまったら、恐らくもう二度と後戻りは出来ないだろう。


 だけど、ひとたび掴んでしまえば、欲しい情報が一気に得られるかも分からない。

 その誘惑は、あまりにも強く。


「では、一つ目の質問です、ディアス様」


 私は、全ての根幹を揺るがすような重大な問いかけを、迷わずに唇から送り出した。


「――貴方は、本当に、ヴァンパイアなのですか?」

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