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第12話 逃しはしない、この好機

 翌日の朝食の時間、顔を合わせるなり首を横に振った私を見て、リズがわっと泣き崩れた。

 コレットも涙こそ流していないけれど、昨晩はろくに眠れなかったのだろう。席に着いて挨拶をした後も、憔悴しきった様子で食事がいっこうに進まずにいる。


 私も正直、口に運んでいる食べ物の味がよく分からなくなっていた。同室の子が死刑台へと連行されて行くのを、ただ黙って見送ることしか出来なかったのだ。ハーブ入りの水で何とか食事を流し込み、昨日からの一連の出来事について思いを巡らせる。


 ライラは一体どうなってしまったのだろうか。

 予定を早めてもう血を吸われてしまったのか、それとも別の形で『処分』されてしまったのか。


 ――昨日彼女がもし、目撃した内容を全て喋っていたら、私達も同じ目に遭っていたのだろうか。


 私はライラのことを考えながらも、そこまでして隠し通したい『開かずの部屋』の秘密は何なのだろうと、そこに関心の大部分を持って行かれていた。

 単に危険だとか『なるべく見られたくない』程度なら、ライラをどうにかする必要がない。私達との接触を絶たせて情報が漏れないようにしたからには、余程の機密性を持つ何かがあの部屋に秘められているはずだ。


 それはひょっとすると、伯爵の弱点になるようなものなんじゃないだろうか?


 私はいつも通りの業務をこなしながら、伯爵と二人きりになれるチャンスを窺った。今すぐ核心に迫るのは無理でも、探りを入れるくらいのことは出来るかも知れない。自分の身が危なくなるから首を突っ込まないようにしようなどという考えは、はなからなかった。


 そしてその好機は思ったよりずっと早く、私が昼食を終えて執務室に戻った時に訪れた。しかも、思ってもみなかった形で。


「……ディアス様、レオンさんはどちらに?」


 私はドアをそっと後ろ手に閉めながら尋ねた。ちなみに伯爵は、爵位名より名前で呼ばれるのを好むので普段接する際はそうしている。 


「レオンには少々手間の掛かる用を言い付けた。すぐには戻って来ないだろう」


 伯爵は目を通していた書類を徐に机の上に置くと、組んだ手の上に顎を乗せ、私の顔をじっと見つめた。


「気丈に振る舞ってはいるが、朝から顔色が悪い。何かあるなら話せ」


 人払いをした上で、まさかの伯爵側からのアプローチ。こんな一介のメイドの心配をしてくれるなんて、とちょっと情にほだされそうになるのを、ぐっと踏み止まって私は冷静に質問をした。


「……昨晩、『お食事』なさいましたか?」


 瞬間、何の捻りもないどストレートな問いかけに、しまったと思った。予想以上に早く訪れたチャンスに、作戦をじっくり練る時間がなかったとは言え、あまりにも直球過ぎる。


 しかしこれに対して、伯爵はまるで昨日の出来事など全く知りもしないかのように、「……誰かいなくなったのか」と訊き返して来た。


 ――つまりライラは、少なくとも血を吸われてはいない!


 加えて、彼女がまだ命を奪われていない可能性も出てきた。

 楽観的な予想ではあるけれど、もしも何らかの形で『処分』されていたとしたら、伯爵の耳に入っていない訳がない。大事な食糧を吸血以外の方法で失くすのだから、無断でということは考えにくいだろう。


 ライラはもしかしたら、どこかに幽閉されているのかも知れない。そしてそのことを、執事さんは隠している。なぜ、伯爵に知られてはいけないのか――想像するに、『開かずの部屋』の鍵が開いていたのは、執事さんの重大なミスなんじゃないかしら?


 ねえ、これって、大・大・大チャンスよね。


 部屋の秘密を知りたいという好奇心を押し殺して、私は事情を余すところなく伯爵に説明した。ライラの命が無事ならば、そっちのほうがいいもの。今はあの綺麗なお顔の執事さんに一矢報いてやる方が重要。伯爵からお灸をすえてもらえるなら、こんなに胸のすくことはない。


 しかし伯爵は、執事さんの過失に腹を立てるでもなく、大きな溜め息をはーっと吐くと目をかたく瞑って呟いた。


「……あの部屋か……」


 何だか、知られたくない秘密というよりも、厄介事といった感じの反応だ。それも、ずっと抱えているのにどうにも出来ない面倒なこと、みたいな。


 そして次に伯爵から繰り出された一言は、私の目をこれ以上ないほど大きく見開かせた。


「ライラは、十中八九、その部屋にいるぞ」

「え!?」

「助けたいか」


 伯爵の黒曜石の瞳が、私を真っ直ぐに射抜く。


「それは、勿論……」

「お前が代わりに入ることになってもか」


 問われて、どきんと心臓が強く跳ねる。


「それでライラが助かるなら、と、言いたいところですが……」


 私は意を決して答えた。


「入らなければならない理由を、知りたいです」

「……だろうな」


 伯爵がこれに同意する。

 

 その時、間の悪いことに、誰かが執務室に近付いてくる足音が聞こえてきた。恐らく執事さんだろう。

 もう少しこの件について伯爵と詳しく話したかったのに、と、私は肩を落とす。


 そして予想通り、言い付けられた仕事を終えてきたらしい執事さんが、人を一人監禁している男には見えない穏やかな面差しで部屋に入ってきた。


「ディアス様、しばしの中座、失礼いたしました。十日後の晩餐会に関する手配は滞りなく進んでおります。話が途中になっておりました荘園の件ですが、」

「それは後回しでいい。それよりもレオン」


 手を前方にかざすようにしながら、伯爵がゆっくりと立ち上がる。


「お前が『開かずにしている部屋』に、行くぞ」

「は……はっ!?」


 伯爵の意味深な言い回しに、執事さんの表情が瞬時に凍りつき――やがてそれは憎しみとも怒りとも嫌悪感ともつかない複雑な視線となって、私に向けられた。伯爵が私から話を聞き出すために自分を遠ざけたのだと気付いたのだろう。使用人として多少負けた気になったならいい気味だと私は思った。


 そして私と執事さんは無言で睨み合いながら、伯爵の後ろを『開かずの部屋』まで付いて行くことになったのだった。

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