第1話 それじゃ、お世話になりました
「……本当にいいのかい」
ヨオトおじさんが、悲痛な面持ちで私の手を握った。
決して広くはない居間が、完全にお葬式ムードだ。こんなギリギリで、もし私が「嫌です」って言ったらどうなるんだろう。そんな小さな空想を頭の隅に追いやって、私はにっこりと頷いてみせる。
「行く宛の無かった私を半年間もお家に置いてくださった、そのせめてもの御礼です。大体、マディが連れて行かれてしまったら、私がこのままお世話になる訳にも行きませんし」
そう言ってマディのほうを向くと、彼女は葡萄色の瞳に涙をいっぱい浮かべて唇を噛み締めていた。艶々の黒髪に、透き通るような白い肌。こんな綺麗な子と半年間一緒に暮らせて、眼福だったなあ。
「マディ、お父さんを大切にね」
彼女の頭にぽん、と掌を置くと、ヨオトおじさんまでもが鼻をすすり始める。それが合図であったかのように、マディが私の胸に飛び込んできて、とうとう嗚咽を漏らし始めた。
やだな、もらい泣きしそう。目頭が熱くなってくるのをぐっと堪えて、私は精一杯の強がりを言ってみせる。
「大丈夫。逃げ出すチャンスを窺うわ。必ず、生きてあの城を出る」
「ミオ……」
マディが泣き濡れた目で私を見上げた。何てそそる映像。私が男だったらキスしてるわね。
そんな風にちょっぴりムラムラ来ているところに、容赦無く表の呼び鈴が鳴らされた。私達三人の顔が今までに無いくらい強張る。
「……お迎えが来たみたいね」
「ミオ!」
「それじゃマディ、ヨオトおじさん。本当にお世話になりました。どうかお元気で」
マディの肩に手を添えて身体からやんわりと引き離すと、私は一つ大きな深呼吸をして、木製の古ぼけた玄関扉を勢い良く開けた。
瞬間、背がすらりと高く怪しい恰好の三人が目に入る。真っ黒なローブに付いているフードを目深に被り、そこからはこの世のものとは思えぬような青白い肌が覗いていた。その冷たく禍々しい雰囲気に、一度は覚悟を決めたはずの膝が微かに震える。
「……生贄は」
「私です」
他人の口から発せられる『生贄』という単語の重みに、改めて鳥肌が立ちはしたけれど。
臆したら負けな気がして、私は堂々と胸を張った。
「そちらの娘の間違いでは?」
三人のうちの一人が、目ざとく私の背後のマディを顎で指した。フードからちらりと覗いた片眼が真っ赤なのを目撃してぎょっとする。明らかに普通の人間のものでは無い。
「お触れでは、一つの家につき一人出せば良いとありました。彼女は治りにくい病を抱えていますので、私が参ります」
予め用意していた言い訳をつらつらと述べる。そこを不審に思われはしなかったようだが、もう一人が馬鹿正直に放った発言が、私の神経を逆撫でした。
「……随分と年増だな」
ぴきっっっ。
こめかみに何かが浮き立った音がはっきりと聞こえた。
「『大人』と言ってくださらないかしら」
腕を組んで思いっきり胸の谷間を寄せる。そりゃ若くて巨乳の子がいたら敵わないけどさ。適度に脂ののったアラサーのボリュームも悪くないでしょ、とばかりにアピール。
すると残りの一人が、「俺はアリだと思います!」と朗らかに言い放った。近寄りがたい見た目の割に、他の二人より声も若くてチャラい感じ。なるほど、道中は彼を味方につけておくのもいいかも知れない。
「……ふん、まあいい。それでは大人しく付いて参れ」
「はーい」
いかにも死地に向かう、という空気を醸し出したくなくて、努めて明るい声を上げる。さすがに心臓は嘘を吐けず、とんでもない速さで鼓動を打っていたけれど。泣き顔のマディとヨオトおじさんを後に、私は町へ買い出しに行くかのような足取りで、お世話になった家を出た。
藤堂美青、28歳、元OL、独身。
私を拾ってくれた美少女マディの身代わりに、生贄として、これから吸血鬼の城へ参ります。