栄光へ奉ぐ
「‥…」
私を抱く男は静かに泣いていた。
ベットを敷くのがやっとの広さの部屋を、月光が照らす。開け放たれた、不釣り合いな程の大きな窓から、くすんだ紫色のカーテンが舞っていた。
「なにか、仰ってください」
春、それもまだ肌寒いこの時期に寝間着のワンピースは流石に冷える。
私がぶるりと、震えるのに気がついた彼は、そっと身を離した。ギシリ、とベットが軋んだ。
「こんな所に来てはいけません」
私の呟きに、縋るような目を向ける。
泣きはらした目がよくわかる程、月光は明るい。満月が、彼の美術品の様な美をいっそう際立たせていると思った。
私はいつもの笑顔で、彼の手を取った。そして、耳元にささやく。
彼の肩がびくりと、跳ねた。当然だろう。この美丈夫は生涯で唯一度も、"女性"とこんな距離で会話した事はないのだから。
「驚いたでしょう?」
彼は逞しい体を情けなく歪めさせた。私の手を弱々しく握り返す掌は、一回りも二回りも大きかった。
「俺は‥…認めないからな‥…」
「なにを?」
目を細めて問いかける。自信に溢れた人ほど折れやすいというのは本当であるらしい。普段のこの人は、こんなにも弱々しかったか。
「私が女であるということがですか?」
私は、彼の手を己の胸に持っていった。
「貴方は知らぬでしょうが女人には膨らみがあり‥…」
「‥…やめろ‥…っ」
「男性にあるものがないのです‥…」
胸から腰をなぞるようにして移動させた手は振りほどかれた。虐めすぎたらしい。
「いけませんわイーヴァリ様。殿方は甲斐性を身に付けられませんと。女に恥をかかすのはこの国では恥ずべきことではなくて?」
クスクスクスクス。
女特有の笑い方。なんと、私でもまだ出来たらしい。
すると煽られたのが余程応えたのか、イーヴァリは耐え切れなくなったかの様に怒気を露わにし、勢い良く立ち上がる。
「誇り高き騎士のお前が、よもやこの様な娼婦の真似事をするとは‥…!」
この男は己の身長と天井の低さを忘れていたらしい。頭をガツンと打ち付けたかと思うと「つっ‥…」とベットの上に倒れこんでしまった。
共に育った12年の間、一度も見たことのない光景に更に楽しくなる。いつも自信に満ち、有能で、女が苦手で、人生のあらゆる困難の勝者たる王子が、初の敗北を喫しようとしている。
剣術に明け暮れ、同じ師に学んだ、王子の唯一無二の親友のはずだった男に。
線が細く少年のまま時が止まったかのような善良な男に見せかけていたのは、彼を殺すという目的があったからだ。
「騎士と娼婦というのはいささか奇妙な組み合わせですねえ…」
私は彼の頭を、猫にする様に撫でた。柔らかい黒い毛は、白くてガッシリとした身体に似合っている。
「…えろ。」
「…どうしました?」
「教えろ、全てをだ!‥…何故、お前が死者の塔にいるのか、全て、話すのだ‥…!」
やっと言ってくれた。いけない、また口角が上がってしまう。私はトキメキを押さえ込みながら口を開いた。
「結論から言うと、ばれちゃったんですね。貴方の暗殺計画。」
イーヴァリはいやいやをする様にかぶりを振った。
涙が出そうなほどの愛おしい気持ちが溢れてくる。
真の姿でいるのがこんなにも感情豊かでいることとは、知らなかった。
彼の震える唇にキスをする。
「我が一族の謀反でございます」
「俺を王子のときに殺さなかったのは」
瞳を閉じて、額を擦り合わせる。
「王になった方を屠るのに意味があるのですよ」
「俺はお前を信じておったのに‥…」
彼は呟くと、私の肩に手をかけ横に押し倒した。
ハッとしたのもつかの間、投げられた左手を骨ばった彼の手が包む。
彼の瞳にある怒りと、悲しみの中に確かに愛情が感じられた。
いつかの光景と同じだった。
王子の側役として、戴冠式の日の暗殺を任された者として、彼の側を離れる日はなかったが風邪を引いた日はさすがに違った。
そんな日は一日中、陽光の当たらないジメジメとした所ですごさねばならない。
本でさえ取り上げられてしまったら、私にする事はなかった。
退屈で死にそうだった。不安で死にそうだった。一人の闇夜が死ぬほど嫌だった。
寝静まる頃に、あの人は来てくれたーーーーー。
「あの頃みたいですね」
王族用の脱出用の秘密通路を使ってくれたの、知ってるよ。寝室から抜けだして来てくれたアナタが優しいのは誰よりもわかってるよ。
「ひとつ種明かしをすると、昔は男に変化する術が身体に負担で、よく熱を出してました。」
彼が私の髪を撫でる。指先は震えてるけど、くすぐったいくらい優しい。
「負担に耐えうる身体が出来ると、感情に乏しくなりました。私の使命は戴冠式の日に、一族の家紋の入ったマントを着て、貴方を殺すことだけでした。」
いけない。彼の顔をよく見なくちゃ。
「‥…だけど、できま、せんでした。あの日私は、剣を抜き、こ、ころすつもりだったのにっ」
彼がぼやけて、揺れる。
私ってば、海の底にいるみたい。それともとっくに沈んでたんだろうか。
「‥…あとは、貴方の知ってのとおりです」
王の証を頭上に頂くその日、私の剣はイーヴァリ新王の首の皮一枚を切っただけだった。
どれ位泣いたろうか。彼はベットに倒れこみ、私を強く抱きしめる。互いのぬくもりと香りを確かめ合う。
「‥…くるしい、です」
「すまん‥…」
顔を覗きこまれて、急にぼっと身体が暑くなる。切れ長の瞳に女の姿の己が映っていることに、急に羞恥心を覚えた。
彼の身体も強張っているのが感じられる。
「お、お前ここまで来て、照れるのはよせ‥…」
あんまりにも恥ずかしくて、彼の広い胸に顔を埋める。彼は、何も言わずにまた抱きしめてくれた。
「‥…聞かないんですか。男装してたことについては」
「男の嘘と殺意はすぐにまじない師に感づかれるけど、女は気づかれにくい‥…。感情を鈍くするという副作用もあるから余計に、ってところだろう」
無言が、正解であると誰よりも雄弁に語る。
彼は長い息を吐き、私の名を呼ぶ。
「ああ、ナクリ、ナクリ。」
「顔をよく見せてくれ」
私達はついばむような、優しく、悲しく、深い口づけを交わす。
何度も、何度も、何度も。
美しい朝。私が目を覚ますと、彼はもういなかった。
「謀反人、ナクリ・タングルート。王の側近兼友人という地位であり、王の戴冠式で唯一の帯刀を許される身分でありながら、王の命を奪うおうなど言語道断。果てに貴様は女であることを13年間偽り続けた。」
国で一番闇が深いとされている断崖絶壁に私は立っていた。私はこの裁判(裁判と呼べるものではないが)の大トリ。メインらしい。
「貴様は未来永劫、転生することなく闇の中を彷徨うがふさわしい存在だ。よってこの者を常闇の刑に処す!」
父や兄が投げこまれた、この国で最も深い闇を、私は見据える。
兄は私に一言、すまないとだけ言い残したが、父とは最後まで何もなかった。
未練などない。
闇に飲まれることのない宝物を、私は知っているから。
イーヴァリ、貴方には乗り越えてほしいな。
私のことなんて忘れて、綺麗な后を迎えて、子や孫に囲まれて暮らしてほしい。
こんなのは大王の伝説の、はじまりにすぎない。
そうでしょ?
彼が右手をかかげた。逆光でここから表情は読みとれない。
「イーヴァリ!」
押し出される直前、ありったけの大声をあげる。
私の気持ち、私の言葉。
もっともっと知ってよ。私の、ほんとの名前。
「リィンって言うの‥…」
女の、よく澄んだ美しい声は荒れ野にいつまでもこだましていたという。
読んで下さってありがとうございます。
この二人は、キスやなんやはしてますが交わってはおりません。あくまで純愛です。
あいしてる!!!って叫ばないけど全力でほとばしるお話が書きたかっただけてす。