上運天と物語のはじまり
腹がなっている。
冷蔵庫の中身は尽きた。正確には野菜や調味料や魚、乳製品や粉類は揃っているのだが、肝心の肉がなかった。肉がなくては食事などできるはずもない。さっきから冷蔵庫を開けては閉めてを繰り返していた。次に開けたとき、魔法のように冷蔵庫の中に肉が溢れかえっていたりはしないだろうかというちょっとした期待からだ。しかし日頃の行いが悪いのか、奇跡はなかなか起こらない。調達に行こうにも、腹が減っている。腹が減っては戦などできない。誰でも知っていることだ。しかし戦に行かなければ食べることができない。スーパーマーケットという場所を、彼はあまり好まなかった。あれだけ品揃えの良さをアピールしておきながら、肝心の肉が、そう、肝心の肉がまったく置いていないのだ。
しかしこのままでは餓死するのも時間の問題だ。今日も顔色が悪いと同僚に心配されてしまった。腹が減っているのだと答えると、金がないなら昼くらいおごってやると言ってくれたが丁重に断った。彼はお弁当派なのだ。好きなものを好きな組み合わせで食べられる。これほど嬉しいことはない。
さて、そうは言っても同僚に心配をかけ続けるのは本意ではない。ここはなんとか自分を奮い立たせて『肉を買いに』いかなければいけない。
実は彼には目をつけている『肉屋』があった。馬屋橋トンネルという場所だ。なんでも質の良い肉が集まりやすいらしい、とネットのコミュニティサイトで見たのを覚えていた。確か場所はメモをしていたはずだと、手帳を取り出す。
さて、行こう。ベッドの下から鉈を手に取り、アパートの部屋を出る。『上運天』と書かれた表札が曲がっているのを、几帳面に直して、上運天はパジャマ姿で階段を降りていった。
車四台分のヘッドライトがトンネル内を照らしたのを合図にするかのように、
トンネルが落盤した。