田中
「あかん……」
何度目かわからない呟きが、口から漏れた。しかし何度呟いても、状況は変わらない。目の前で死んでいる彼女が生き返るはずなどなかった。
なんでこんなことに。
頭が少しずつ今の状況を分析し始めてようやく、田中の目には涙が滲んできた。ちょっとした喧嘩じゃないか。テーブルの角なんかで本当に人間って即死するんだな。下着にネコ耳姿で死ぬなんてさすがにちょっと可哀想だな。服着せてやろうか。捕まりたくないな。自首した方がいいのかな。まず電話か。マネージャーには知らせるべきかな。
様々な考えが行き来するのを、頭を振って追い払った。駄目だ。全然まとまらない。
ひとまずテーブルの上の酒を半分飲んで、いくぶんか落ち着きを取り戻す。グラスを取る際、テーブルに半分頭を乗せるように死んでいる彼女の上を腕が通る形になり、突然彼女にゾンビのように腕を捕まれたらどうしようと考えた。もちろんそんなものは杞憂だった。
少し離れたソファーに座って、彼女を眺める。一重の目。小さい鼻。薄い唇。軽く荒れた肌、頭がぱっくり割れていることを差し引いても、あまり可愛いとは言えなかった。どう見ても、新人ではあるがモデルの自分の方が整った顔をしている。と、田中はこんな状況にも関わらず横目で鏡を見て思った。
大体自分はそんなに彼女のことが好きだっただろうか。ふとそんな考えまで浮かんでしまい、それはさすがにひどいなと目を閉じた。
どうしよう。どうしたい?
しばらくソファーにもたれ目を閉じたままで考えていたが、やがて一つの決心をして田中は目を開けた。
冬物のクローゼットを開け、黒のダウンジャケットを取り出す。袖を通してチャックを閉めると、体温が一気に上がったような気がした。しかし贅沢は言っていられない。
続いてベランダのプランターの脇から、小さなスコップを拾い上げた。脆そうな代物だが仕方ない。こんな時間にホームセンターは開いていないし、もし開いていたとしても深夜にシャベルを買うなんて怪しい行動はできない。
スコップを袋に入れて、田中は携帯を取り出した。『馬屋橋トンネル』と検索をかける。馬屋橋トンネル周辺は、あまり手入れのされていない林が広がっている。以前彼女が肝試しに行きたいと、パソコンのサイトを見せてきたときに知った場所だった。
まさかこんな形で行くことになるなんて、と田中はため息をついた。場所は確認した。まずは彼女を車に運ばなければ。彼女に近付き手を伸ばす。しかしそこで田中ははたと手を止めた。
どうやって運べばいいんだ……?
彼女の死後硬直の始まった体を見て田中は今日二回目の絶望を経験する。
彼が家を出るのは、もう少しあとのことになりそうだ。