第8話 生き方の選択
三人が去ったあと、俺は未だに痛みを堪えて呻いている母さんに回復魔法を掛けに行った。
母さんは手加減なく思いっきり殴られた影響で、奥歯が折れ、前歯がグラつき、目や頬が青く腫れ、鼻から血を流していて、見ているこっちまで痛みを感じるような凄惨な顔になっていた。
俺の回復魔法はまだ初級相当のものしか使えないため、おそらく完全に治す事が出来ないだろう。
それでも俺は、人より多い魔力量を駆使して、少しでも母さんの痛みを和らげることができるように全力を尽す。
根気強く回復魔法を掛け続けることによって、少しずつ母さんの顔がもとに戻っていく。
グラついた前歯がしっかりと固定され、鼻血も止まり、目や頬の腫れも収まってきた。
だが、それでも回復魔法としての効力が足りず、折れた奥歯は治らず、顔には引き攣った痕のような物が残った。
恐らく、この傷は一生残ってしまうだろう。
俺は自分の魔法に対する不甲斐なさと、アイツに対する激しい怒りから泣きそうになってしまう。
だが、申し訳なさそうに俺の顔を見つめる母の視線に気づき、グッと涙を堪えた。
「ごめんね……、テラスちゃんに怒らないように約束しておきながら、お母さんが怒っちゃったね……」
「お母さんが悪いわけじゃない」
俺は感情を必死に抑えた声で母さんに告げたが、泣くのを堪える子供となんら変わらない声音になってしまい、ますます母さんに申し訳なさそうな顔をされてしまう。
母さんは俺と一緒に立ち上がり、ひと撫でしてから俺の手を引いて入ってきた扉に向かって行った。
「回復魔法、ありがとね、おかげで痛みが無くなったよ。さあ、お母さん達の部屋に戻ろっか」
俺は黙って頷き、母について行った。
廊下に出てからは、扉の向こうで待機していた侍女に案内され部屋に戻っていく。
怒鳴り声ぐらいは聞こえていただろうに、相変わらずの無関心な侍女に薄ら寒さすら覚える。
この人だけでなく他の侍女も同じようなもので、容姿は悪くない人ばかりだというに台無しになっていると思う。
慎ましやかなメイド服のような物を着ているが、その冷徹さは隠しきれていなかった。
そんな現実逃避のように別の思考をしていると、いつもの見慣れた部屋についた。
侍女はその場で「それでは何か御用がございましたらお申し付けください」と事務的に告げた後、そそくさと何処かへ行った。
そして部屋に入り扉が閉まった瞬間、母さんは咳を切ったように泣き出して、俺を力強く抱きしめた。
「ごめ、んね……、ぐすっ……、辛いこと、たくさん、聞か、せちゃって、ご、めんね……。お腹、痛かった、でしょう? ごめんね、テラスちゃん……」
母さんは途切れ途切れになりながら、大量の涙を流し、吐き出すように必死に謝ってきた。
俺もそこでたかが外れ、みっともなく大泣きしながら母さんに「お母さんのせいじゃないよ、怒ってくれて嬉しかったよ」と、慰め続けた。
俺達は、お互いが疲れ果てるまで、泣きながら抱き合ってお互いを慰め続けた……。
………………
…………
……
「ねえ、テラスちゃん。テラスちゃんは、将来何かしたいこと、あるかな……?」
もう時間は夜になっていて、俺達はベットに横になっていた。
俺は、大泣きして少しだけスッキリしたのと、色々な事があったせいで体力を失っているため、うつらうつらしながら母さんの腕の中にすっぽりと収まっている。
そんな心地よい空気の中、母さんがゆっくりと俺の頭を撫でながら話しかけてきた。
「んー……、まだわかんない」
これは俺の正直な感想だ。
俺は家の外に出たことが無いため、この世界がどんな世界なのかちゃんと見ることができていない。
俺のこの世界の知識はすべて、本から得られたものぐらいなのだ。
この世界で、俺が何を求めるか、検討もつかないのだ。
……でも、
「でも、まだ何をしたいのかわかんないけど、だけど、一つだけ。
僕は、強くなりたい。
もう悔しい思いをしなくていいように、強くありたい」
「……そっか、じゃあお母さんはちゃんと応援するからね? ……テラスちゃん。今から大事な話をするから、よく聞いてね?」
母さんはそう言い、俺を真っ直ぐに見つめてくる。その真剣な気配に、俺は襟を正すように気を引き締める
「テラスちゃん、家から出られるとしたら、出たい?」
母は、俺に一つの可能性を示し始める。
それは、絶望の中の微かなの望みだった。
――――亡命。
期待に目を輝かせた俺に母さんが提示してきた事は、つまりそれに当たる。
文字通り家から出ただけでは、国内でも有力な貴族であるエンドルフ家から逃れることはかなり難しい。
短期的には問題ないかもしれないが、この家に逆らっただけで大規模な指名手配犯にされるため、いずれ見つかってしまうことは必須であろう。特に、母さんは美人で目立つし、首輪もあるのだ。
だが、俺達が今いるヴァンス帝国は他国とのつながりが相当薄いため、指名手配犯にされたところで他国に亡命してしまえば痛くも痒くもないのだ。
そうなれば、晴れて自由の身というわけだ。
しかし、当然高いリスクも存在する。
もともと身分制度が厳しく生活レベルの格差が激しいヴァンス帝国では、亡命しようとするものが多数存在する。
亡命しようとするものが多くなれば、当然国境のチェックはどんどん厳しくなり、今や正規のルート以外通ることは不可能とすら言われている。
その正規のルートである関所も、国や一部の有力貴族に認められたものだけに発行される通行手形がいるため、一握りの商人しか通れないのである。
しかも、もし亡命が失敗して国の兵士に見つかってしまえば、かなりの重い罪で罰せられてしまう。
軽いもので極刑、重いものであれば家族全員が国民の前で見せしめのためにいたぶられた挙句皆殺し、ということすら珍しくないそうだ。
この八方塞がりな状態で一体どうやって亡命するのか、リスクを上げていく母の答えを待っていると、母さんは事も無げに言った。
「正規のルート以外の亡命が不可能なら、正規のルートで行けばいいってことよ」
「でも、今通行手形がいるって言ってたけど……本当に大丈夫なの?」
「もちろん! お母さんだってこの四年間、遊んでたわけじゃないからね。あの人がテラスちゃんを手厚く育てる姿なんて全く想像出来なかったから、いずれこうなることを予想してしっかり準備してたのよ!
……もっとも、協力者がいてくれたからこそ準備できたんだけれどもね。」
母さんは苦笑いしながら答えてくる。
それにしても、協力者?
「協力者っていうのは、前に話した【同胞】の一人で、友人よ。暗殺や情報収集に特化した人でね、村で暮らしていた頃仲良くしてたんだけど、その馴染みで助けてくれることになったの。
その人は警報の結界を抜けるスキルがあるから、たまに来てもらって打ち合わせをしてたのよ」
警報の結界とは、貴族などの大きな家に設置されていることの多い、名前そのままの誰かが通ると警報装置がなる魔道具である。
しかし、母さんとはほとんど一緒に居たのだが協力者の事など全く知らなかった。恐らく、寝てる間に会っていたのだろう。
まあ【同胞】は貴族なんかではないし、俺達は亡命のために通行手形を欲しているため、申請しても発行を認められるものではない。
つまり、母さんが言っているのは非合法な通行手形のことなのだろう。
「それで、その人が関所を通れる通行手形を取ってきてくれることになったんだけど、それにはかなりのお金がいる。
だから、この四年間は得意だったアクセサリー作りをしながら、そのアクセサリーに魔導術式を組み込んで、彼に売ってもらっていたの。
今の技術じゃ簡単に出来るものじゃないから、結構高く売れたのよ? それでこの前、やっと通行手形を貰えるお金が貯まったの」
あのアクセサリー作りはそのためにしていたのか。
そしていつの間にか無くなっていくアクセサリーの謎が、意外なところで解けた。
しかし、あのアクセサリー作りは毎日していた。今じゃオーバーテクノロジーな魔道具を、専用の器具を使っていない簡易なものとはいえ相当数売り捌いた事になるから、とんでもない値段になるはずである。
にも関わらず、母さんはこの前やっと貯まったと言った。
無理を通すためには莫大なお金がいる。非合法な通行手形には、それ相応の途轍もない値段がするのであろう。
母さんがこの計画の為に途方もない努力をしていた事が伺えた。
「彼にはアクセサリーの材料を買ってもらったり、亡命するための情報収集をしてもらったりたくさんの迷惑を掛けてしまったわ。いずれちゃんと何らかの形で返さないとね」
ひとりごとのように呟いて苦笑いをした母さんは、再度俺の目をしっかりと見つめて語りかけてくる。
「だから、亡命についてはなんの心配もいらないわ。だけど、その、ね……。
お母さんは、一緒に行けないのよ…………」
「な、なんで!?」
「……調べてみたんだけど、お母さんにはね、かなり上位の隷呪の首輪と魔封呪の腕輪がしてあるの。これは、首輪の方は無理矢理解錠しようとしたら頭が吹っ飛ぶ術式が付けられていて、腕輪の方にも致命傷を負うようなものが、ね。
首輪の効果は、外せない奴隷の証ということと、彼から聞いたけど関所が通れなくなっているらしいの。
それに、町中なら居場所が分かってしまうような術式もあったわ。
魔封呪の腕輪は、あの人が持っている鍵から送られる信号を受信してしまえば、一切の魔法が使えなくなるのよ。
だから、お母さんは、一緒に行けない。
無力だと思われているあなただからこそ見逃してもらえてるけど、私は十分に強いから、枷をはめられているのよ」
「……そんな…………嫌だよ……母さん……」
「ごめんね……でも、こればっかりは、色々してみたんだけど……ダメだったから…………」
これだけ頑張ってきた母さんが、こんなに辛い思いをした母さんが救われなくて、何も知らなかった俺だけが救われるなんて………………そんなの嫌だ!!
なにか、なにか方法はないのか……!? 小さな可能性でもいいんだ!
何でもいい、俺に出来ることは……!
…………………………っそうだ!
「母さん! その腕輪と首輪見せて!」
「え……いいけど、外れないわよ………?」
「いいから、お願い!」
「わ、わかったわ」
俺は母さんの首にはまっている無骨な首輪と、母さんの手首に嵌められていた腕輪に向かって【叡智の選定者】を使い、鑑定を行う。
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隷呪の首輪
罠:爆発
位置発信
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魔封呪の腕輪
罠:爆発
魔法封殺
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くっ、確かに無理に解錠したら爆発するようになっている!
それに位置発信の方は、未だに動いているようだ……。
だが、入ってきた効果などの情報の他に、なんとなく呪いの作用を利用している魔道具だということが伝わってきた。
なら……あとは一か八かの賭けになるが、それでも何もしないでよりマシだ!
「お母さん! もしかしたら……解除できるかもしれない」
「えっ!? 本当なの!?」
「たぶん、出来ると思う! だけど、確信が持てない。失敗するかもしれない……。でも、何もしないなんて嫌だよ!」
「……できれば、してほしくないかな。失敗すれば、解除してる人まで酷い怪我をしてしまう術式だから」
「それでも……!」
ここは一歩も譲るつもりはない。もし拒否されても、強引にでもやってしまおう。
そんな俺の表情を見たからか、母さんは溜息をついて、首肯した。
「……わかったわ。だけど、今してしまうとバレちゃうかもしれないから、家を出るその日にしようね」
「わかった」
確かに、今までしていた首輪や腕輪が無くなったことを侍女たちに見られてしまえば、厄介なことになるかもしれない。
俺は焦る気持ちを抑えて、母さんに向き合った。
「……絶対、一緒に出ようね! お母さん!」
「…………ありがとう、テラスちゃん……」
そう言って、嬉しいという気持ちと、申し訳ないという気持ちが混ざったような複雑な表情をした母さんは、俺の頭を優しく撫でた……。
………………
…………
……
それからしばらく経って、亡命する当日がやってきた。