第52話 原始的一手
間を置かず、やはり奴は現れた。
精神的消耗が大きいとはいえ、互いにほぼ無傷。しかし両者の手の内は晒されていて、長く攻防が続くとは思えない。俺の魔法剣リストアの破損は、既にその修復特性により万全な状態だが、次の攻防も持つかどうか。
一撃必殺が基本である居合いに対し初手を譲るのはあまりよくない。だから、初めは俺が貰う。
――中級水魔法【ウォーターウォール】
ムシャゴブリンとの間に巨大な水壁を発生させる。分厚さも申し分なく、下手な攻撃なら全ての勢いを削り取られるだろう。もちろん、その下手な攻撃をムシャゴブリンが仕掛けてくるとは全く思っていない。
そんなことで防げると思っているのか? と言いそうに怪訝な顔をしているムシャゴブリンを睥睨しつつ、続いて新たな魔法を行使する。使う場所は水壁の中。
――中級オリジナル爆・火混合魔法【ファイアーヒートボンバー】!!
ボッフンッ!!!
大量の水の中で生じた爆発は瞬時に水蒸気を発する。加熱を重点において調整された魔法は、狙い違わず視界すべてを真っ白に染める濃霧を出し、一寸先すら見えない空間を作り上げた。
水から水蒸気へ。簡単な三態の状態変化によって生み出される不可視空間に、しかしムシャゴブリンは動揺しない。自身の【気配察知】に絶対の自信があるからだろう。
視界を封じられたところで、まだ耳も、鼻も、触覚も残っている。【気】だって異常はない。ならば俺を捉えられる、そう思っているのだ。
ムシャゴブリンは前面に存在する力強いオーラへの警戒を緩めず、隙の無い構えを欠かさない。
だが、甘い。
俺はムシャゴブリンを魂力感知を頼りに捕捉し、背後から切りかかった。
ギッキィィィィンン!!
完全に不意を打った死角からの攻撃は、直前で防がれた。鞘に納められたままの刀で上段切りを抑えられ、その鋭い眼光を俺に飛ばしながら、次への一手を打とうとして来る。……かなりトリッキーな事したつもりなんだが、本当に動揺しないなコイツ。
俺がした今の攻撃は、リスクの高い賭けであった。白銀のエネルギーをその場に残して気配の残像を作り、自身はサイレントアサシンスパイダーの隠形系スキル群で背後に回ったのだ。
初めてのスキルをこんな死線にぶっつけ本番で使うなど正気の沙汰ではないが、苦肉の策だった。
サイレントアサシンスパイダーのスキルの効果は、簡易に言えば以下だ。
【気配遮断Lv7】気配をほぼ完全に消す。しかし、何かしらの行動をするたびに効果が途切れる。スキルレベル、熟練度によって動ける規模が変わる。
【魔力遮断Lv6】漏れ出る魔力をほぼ完全に遮断する。しかし、何かしらの魔力的行動をすれば効果が途切れる。同じくスキルレベル、熟練度依存。
【音消Lv5】自分の周囲の音を消す。消せる音の大きさ、範囲がスキルレベル、熟練度依存。
【透明化Lv5】自分と、自分に触れているモノを見えなくする。原理は光の高度な屈折である。しかし、動けば動くほど光に違和感が生じてしまう。触れていて消せるものの規模、動ける規模などがスキルレベル、熟練度依存。
これらによって、未熟なまでも高次元なレベルの隠形が出来たはずなんだが、普通に防がれた。脳がオーバーヒートしそうなほど頑張ってスキルを使ったと言うのに……悲しくなってくる。
おそらく【気配察知】は封じれたと思ったんだが、……【直感】か? 【見切り】か?
互いの武器が接触した衝撃で隠形系スキルは解除され、俺の姿が現れる。間髪入れず、ムシャゴブリンに居合いを使う暇を与えないように連続で切りかかる。
ムシャゴブリンより未熟とはいえ、【剣術Lv5】に見合うだけの剣舞は可能だ。
【闘気】【崩潰】【寵愛の継承者】をこの魔法剣に込め、上段、下段、右薙ぎ左薙ぎ、突き、袈裟切り、逆袈裟と、あらゆる攻撃を繰り出し続ける!
だがそのすべてが鞘に納められた刀でいなされる。鞘内に込められた濃密な【闘気】が細い刀の両断を許さず、拮抗する。しかし、反撃の隙だけは絶対に与えない。
【曲刀術Lv4】では無駄と思っているのか、【抜刀術Lv7】を使う姿勢を奴は決して崩そうとせず、俺のミスを虎視眈々と狙っている。
響き渡り、絶えることの無い剣劇。だが、俺とムシャゴブリンの心は鋭利に研ぎ澄まされ、怖いほど静かであった。交差する眼で互いが互いにプレッシャーをかけ、フェイントをいくつも重ね、ミスを誘発させようとする。攻撃魔法を使うことすら、許されない。
駆け引きにおいても俺はムシャゴブリンに劣っていた。その差を手札の数と地力のゴリ押しで押し切る。
冷や汗が噴き出る。剣と刀の衝突で衝撃波が生まれ、霧はとっくに晴れていた。
単発だけならギンッという音だけの筈なのに、まるで出来の悪いレコーダーのようにギギギギギと響く。しかしそれが……心地よいと感じ始めた。
――何時の間にか、この攻防を楽しみ始めたのだ。
長時間の近接戦闘、視界が歪むほど呼吸をしてなく、息が苦しくなる。しかし、一呼吸置けば次の瞬間に俺は真っ二つになっているだろう。隙が作れず、それが俺を苦しめる。
あまり表情の変化しないムシャゴブリンも苦悶の表情を浮かべ、だがその眼は笑っていた。互いに拷問に合っているかのような苦しそうな表情なのに、俺もムシャゴブリンも笑い始めていたのだ。
もっと、もっと、もっとだ。まだ、まだいける、もっと速く、もっと強く――!!
傍から見ればまるで修羅の様に見えただろう。極限の戦闘。憎しみを交えない純粋な闘争に、心が昂揚していく。
ムシャゴブリンの透き通るようで、激流のようにも思える“闘志”が、俺に初めての感情を覚えさせていた。
だが、こんな永遠に続くとも錯覚する殺陣も、唐突に終幕へと収束していく。呼吸の許されない程の攻防は、長く続くはずがないのだ。
視界が狭くなり、余計な情報が全て削除され、白黒に変色した世界で、俺は勝負をかけた。
内から湧き出る白銀のエネルギーを強制的に汲み取り、ワザと暴発させる。俺の体全体を起点として生じた【静寂への雷火】未満の爆発は、ムシャゴブリンの【気纏】を相殺しつつ奴を弾き飛ばした。
暴発によって俺の体も大きなダメージを負う。俺は右手に持ち直した剣を地面へおろし、回復も含めて呼吸をする。
―――抜刀術、居合い一閃――――
明らかな隙。剣を持ち上げるのは絶対に間に合わない。ムシャゴブリンは【縮地】を使い、離された距離を無に帰し、首を確実に寸断する軌道で必殺の一撃を俺へと見舞った。
俺は――――下げていない左腕を前に掲げ、白銀のエネルギーを全身全霊で込め、その居合いを防いだ!
ザクリ…………!!!!
その破滅的な切れ味を持つ刀は俺の左腕を切り裂いていき――――骨に接触した辺りで止まった!
片腕を犠牲にして稼いだ刹那の時間! 絶対に無駄にせん!!!
「ッ!!?」
「ダッッリャァアアアアア゛ア゛!!!!!!」
右腕を上げる時間も無い、魔法を展開する時間も無い、スキルを練る時間も無い!
そんな俺が選択した攻撃。それは――頭突きだ!
俺の暴発攻撃で消された【気纏】を、再度展開する前に特攻してきたあいつは今まさに無防備! なら、この原始的な攻撃で十分だ!
ゴツッ――!
互いのデコから生々しい音が出る。額が裂け小さく血が噴き出て、顔を紅く染めた。俺も目の前が真っ白になったが、ムシャゴブリンはもっと酷く、意識が飛んでいるように見える。
だがここで終わらない! 奴は、こんなものでは終わらない筈だ!
剣を振る時間も惜しいとそれを離し、右手の拳を握る。【闘気】も白銀のエネルギーも死ぬ気で込めて、もはやその余波で空間に歪みすら生じる。
その段階で、懸念した通りムシャゴブリンが目覚めた! だが遅い!!
「くらぇぇぇええええええええええええ゛え゛!!!!」
右足を抉るように踏み込み、そこから膝、腰、胴、腕へと力を伝達させる! 筋肉を引きちぎる様な捻りから繰り出された一撃は、内臓を悉く破壊するボディーブロー!!
全攻撃補助スキルを収束し、奴の腹へ!!!!
ドゴッッミチミチミチミチッ――バァァアアアアン!!!
拳がムシャゴブリンの腹部を完全に捉え、埋まるほどめり込む。瞬きほど遅れて、その衝撃により奴は吹き飛んだ!
そのまま魔樹へ叩き付けられ、反動で跳ね返り、地面へと落ちた……。
そして……ムシャゴブリンは起き上がらず、その様子を見て、俺も崩れ落ちた。
つ……疲れた……いっつつ……。
鋭い痛みを感じ、左腕を見る。その腕は途中までパックリ割れており、ダクダクと鮮血が流れ続けていた。白い骨も見える。
ワイバーン戦の終わりを思いだし、白銀のエネルギーを流し込んでみると、光を発しながら傷が塞がれていった。
傷が完全に治るのは僥倖だ。最悪、さっきので左腕は二度と使えないかと思っていた。賭けは賭けでも失うモノが大きい賭けで、リスクが膨大なものだったのだ。
左腕を治癒したところで、白銀のエネルギーも消えた。どうやら打ち止めらしい。
もう動きたくない。【寵愛の継承者】のお蔭か痛みは無いが、様々な意味での疲れが天元突破している。息も上がっていて、収まる気がしない。
しかし、休むわけにはいかない。奴は意識を完全に失い倒れ伏しているが、その右手には刀が握られているのだ。あれだけの一撃をお見舞いしたと言うのに、刀だけは絶対に離さなかったらしい……。一体どんな執念をしているんだ。
警戒しつつ、体を引きずる様にムシャゴブリンへと近づく。途中で思い出したように剣を拾いに行ったりしたが、奴は一向に起きる気配を見せず、難なく傍までたどり着いた。
うつ伏せに倒れていたのを手でひっくり返し、様子を窺う。眠ったようにも見えるほど、ムシャゴブリンは静かに目を閉じていた。
試しに刀を奪えないか触ってみるも、本当に意識が無いのか疑わしいほどしっかり握られていて全然取れない。仕方なく諦めて、その腕を上級土魔法で拘束した。
そこに至って、ふと、考える。
なぜ、俺はこいつに止めを刺そうと思わないのだろう。今までなら気絶した相手に刃を突き立てることに何の躊躇もなかった。しかし、ムシャゴブリンにはその考えが浮かばず、むしろ起きた後の事を考えている。
右腕を拘束した状態。そこでさらに剣を首筋に添えて、干渉型初級水魔法を顔にぶつけた。
「ゲホッゲホッガフッ……!」
乱暴な起こし方をされたムシャゴブリンは意識を覚醒させるが、鼻や口に入ったらしい水に悪戦苦闘している。右腕を拘束されているから起きれず、吐き出しづらいのだ。酷い起こし方だとは思うが、許せ。
しばらくして、ムシャゴブリンが落ち着いた。水を吐き出した後は暴れることなくこちらを見返してくる。その目に“闘志”は見られず、満足感のような、充足感のようなものがありありと浮かんでいた。
なんだか毒気を抜かれ、剣を離す。こいつが騙し討ちの様な真似をしないのは戦いの中で感じ取れたし、警戒の必要が無いと思ったのだ。だからと言ってわざわざ右腕の拘束を解いたりしないが。
互いに静かに見つめ合う。そして、ムシャゴブリンは……顎を軽く上げ、首を晒した。言葉にしなくても分かる。さあ止めを刺せ、という事だろう。
俺は、そんなムシャゴブリンを無視して、話しかけた。
「……お前が来たタイミングが悪くて、一時は憎悪すら抱いたが……今は、そんな気持ちが浮かび上がってこない」
ムシャゴブリンは俺の言葉を聞き、顎を上げた体勢をやめて、話を聞き始めた。
言葉は分からないだろう。こんな場所で学べる環境がある訳がない。だからといって、意思が伝わらないわけじゃない。
言葉が分からないからといって馬鹿にしたりせず、真摯に、想いを伝える。
「何回も、何回も死ぬって覚悟したし、殺したと思った。今まで以上に張りつめた戦闘で、疲労がとんでもなく蓄積した。だけど……途中から、楽しいと思ってしまったんだ」
下手をすれば、いや、普通に考えて殺し合いを楽しむなど狂人の思考。しかし、今までにない、負の感情を交えない戦闘に、心を射止められてしまったのだ。
「俺は――お前に止めを刺したくない。それが今までの“闘争”を汚すものだとしても。今までの神聖な“決闘”を、俗なものに堕とすものだとしても……終わりにしたくないんだ。もう一度、戦ってみたいと、思ってしまうんだ」
これまでの戦闘は全てにおいて、殺意の元に敵を殺す、自身の心も殺すようなものだった。だけど、この戦闘は、まるで、母さんと居た時のような――。
「だから、これは紛れもない我儘だ。断ってくれていい。だけど、もし、俺と同じ感情を抱いたと言うなら……この手を取って、共に来てくれないだろうか」
現実的に考えて、言葉の通じない魔物に言うのは、頭のおかしい行動と言えるだろう。魔物とは生き物を殺戮する悪しき存在であり、そこに疑問を抱く余地はない。
でも……。それでも、俺はムシャゴブリンへ、左手を伸ばした。伝わるはずの無い言葉と共に。
そして――ムシャゴブリンは初めて穏やかな微笑みを見せ――その手を取った。
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スキル、【テイム】が発動しました。
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瞬間、俺の魔力がムシャゴブリンへと腕を伝って注ぎ込まれる。強靭な意志によって抑えられていた魔石内の“澱み”を洗い流し、俺の存在をムシャゴブリンへと刻み付ける。
初めての感覚。互いが深い所で繋がる様な、一種の人知を超えた快感。共有という喜びが湧き上がってくる。
ムシャゴブリンも驚いたようで、目を見開いてこちらを見た。
初めての感覚に膝をつきそうになって、やっと流され続けた魔力は途切れる。だが、“つながり”の様な物は残ったままだ。
今、俺達は、仲間となったのだ。それが自然と理解できた。
腕の枷を魔法で外し、ムシャゴブリンの負傷を上級回復魔法を重ね掛けしまくって治癒する。ほぼ崩潰寸前まで傷つけられていた内臓から無駄な血が湧き出て、口から吐き出させられる。どうやら【気】を強く循環させることで致命的な内臓の出血を抑えていたようだ。
気持ち悪いだろうと干渉型水魔法で水を作り、空中に浮かべる。意図が伝わり、ムシャゴブリンはそれを口に含み、うがいした。
上級魔法でも少し時間のかかる程の負傷は、なんとか動けるレベルに治癒させ、しっかりと立たせた。肩を貸すことも無く地面を踏みしめて立ち上がった様子は、かっこいい、という言葉が似合うだろう。
さて、仲間になってもらったところで、メイレーを向かいに行かなければ。ムシャゴブリンに声を掛けようとして……ふと思う。
「そうだ、名前。名前が無いと困るよな」
【名付け】。その特別な行為は、本当に重要な行為だ。名前によって存在が確立し、自己が確かなものへとなるのだから。
スキルにすら名前があり、魔法にも名前を付けることで安定性が増す。技に名前を付けてたらスキルになった、なんて噂話もあるぐらいだ。
特にヒトの名前、生物の名前は重要で、名前を得て初めて“魂の型”が形成される。つまり【クラス】が出来るのだ。クラスが出来れば、そのクラスに合わせた大幅な能力強化が起こる。
別に名前でクラスが決まっていく訳じゃないが、関係性はゼロじゃないと言われている。よく考えてつけねば……。
「ムシャ、武者、武士、侍、大名……いや、まて」
大事な、本当に大事な事を忘れていた。というか、そのストイックさから目がまったくいかなかった。
――こいつ、メスじゃねぇか。ステータス解析でそんな結果が出ていたはずだ。
さすがに男っぽ過ぎる名前は可哀想だ。こいつはまったく気にしそうにないが、周りが、俺が気にする。なら……。
……俺の目に、薄い桃色のような眼と髪が映った。
「――リザクラ。お前の名前は、リザクラだ」
ムシャゴブリン、いや、リザクラはその名前に嫌そうな素振りを見せず、受け入れた。
――そしてまた唐突に起きる変化。
まず体の内から、気が、魔力が放出された。急なエネルギーの排出に発光現象が生じ、ピカピカと光る。収縮と拡散を繰り返すエネルギーの様子は、まるで胎動のようだ。
さらに分かりやすく変化を始める。少なかった髪が爆発的に増え、一気に一般的な量に増えたのだ。眉や睫毛も生えて、あまりにも皺が少なくマネキンの様だった顔も、可愛らしい少女のようなそれへと変わっていき、色が無かった唇には淡い紅がのった。
体を構成する筋肉もヒトへと近づき、肉感的になる。宇宙人じみた印象を持たせた容貌は、誰もが認めるほどの美しき少女へと変身した。
……はぁ!?




